じじぃの「歴史・思想_322_ユダヤ人の歴史・不条理な信仰・ヨブ記」

Story of Job Animated: Book of Job - Online Sunday School | Sharefaith.com

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=L-T2PUIGXXw

I Will Not Renounce My Integrity!

“I Will Not Renounce My Integrity!”

●The Story of Job in the Bible
He sat on the ground, his body covered from head to foot with painful boils, or ulcers.
Picture him, his head bowed, shoulders slumped, alone, barely able to summon the energy to shoo away the flies that buzzed around him. Sitting amid ashes to signify his mourning, he could only scrape his diseased skin with a shard of pottery. He had lost so much, had fallen so far! His friends, neighbors, and relatives had abandoned him.
People, even children, mocked him. He thought that his God, Jehovah, had turned against him as well, but he was wrong about that.-Job 2:8; 19:18, 22.
https://www.jw.org/en/bible-teachings/faith-in-god/men-women-bible/story-of-job-integrity/

ユダヤ人の歴史〈上巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

歴史家ユダヤ人 より

聖書の中には多くの自然描写があり、その中には驚くほど美しいものもある。しかしそれはあくまで歴史劇の背景であり、登場人物をひきたてるものにすぎない。聖書に活力が漲(みなぎ)っているのは、そのすべてが生ける創造物に関する物語であるからである。神は生ける者であるが、描写もできず創造すらかなわぬ存在であるがゆえに、関心はどうしても男女の登場人物に容赦なく集中する。
こうして古代ユダヤ文学における第2の特異点が現れる。すなわち人間の個性の限りない深さと複雑さを、言葉で表現することである。人間にはきわめて深い感情、特に身体的・精神的な苦しみ、不安、精神的な絶望や寂しさによってもたらされる感覚がある。またそうした不幸を慰めるために人間が考えだした、希望、決心、神の助けへの信頼、純潔や正義の意義、悔悛(かいしゅん)、悲嘆、謙譲といった観念がある。こうした深い感情を言葉で表したのは、ユダヤ民族が最初であった。
詩編として正典の中に加えられた150の詩歌のうち、約44篇の短い詩がこの範疇に入るだろう。その中には、時代と場所を問わずに共感を呼び起こす傑作がいくつかある。

ヨブ記の神義論 より

しかしその(多くの作品を残した)ギリシャ人でさえ、ヨブ記ほど神秘的で痛ましい作品を残しはしなかった。この作品は、どのような範疇にも分類しにくい。神義論と災いの問題を主題として取り上げたこの偉大な著作は、学者だけでなく普通の人々をも、2000年以上にわたって魅惑し、同時に困惑させてきた。カーライルは「筆で書かれた最も大いなる文学の1つ」と呼んだ。聖書のすべての書物の中で、これほど他の著作家に影響を与えたものはない。しかしヨブ記が何なのか、どこから来たものか、いつ書かれたのか、誰一人として知らない。他のどの書物にも登場しない言葉が100以上あり、古代の翻訳家や書記は解釈に苦心惨憺(さんたん)したに違いない。
ヨブ記エドム(現ヨルダンの南西部)から来たものだと考える学者がいるが、エドム人の言葉についてはほとんどわかっていない。ダマスコに近いハランを起源だとする説もある。バビロニア文学には、多少類似点が認められるものがある。早くも4世紀には、キリスト教徒の学者であるモプスエスチアのテオドーレが、ギリシャ悲劇起源説を唱えた。アラビア語からの翻訳とする見方も提示されている。起源や影響に関するさまざまな学説の存在は、逆にこの作品の普遍的性格を示している。なぜならヨブ記はすべての人間、特に堅固な信仰を抱くものが返答に窮した。根本的な問いを投げかけるからである。なぜ神はわれわれにこのような恐ろしい仕打ちをするのか。ヨブ記は、古代の読者にも現代の読者にも、変わらず訴えかける。それは特に選ばれ打ちひしがれた民ユダヤ人のため、何よりもホロコーストのための作品である。

ヨブ記ユダヤ文学の大傑作である。イザヤ書を除けば、これほど力強い雄弁さをもって絶え間なく語りかける書物は、聖書の中で、他に見当たらない。神の正義という主題からして、当然であろう。

しかし道徳神学の作品としては、失敗といってよい。なぜなら他のすべての人間と同様、著者は神の意志を測りかねるばかりである。理解できないながら、書き手は主題をふくらませ、宇宙について、その宇宙を人間がどう理解すべきかについて、問題を提起する。
ヨブ記は自然現象の詩的表現に満ちている。さまざまな有機的、天体的、気象学的現象を、実に魅惑的に描く。例えば28章では、古代の鉱業に関する驚くべき記述が現れる。そこでは人間が有するほとんど無限の科学的技術的可能性について、見解が披露される。そしてそれを、人間のどうしようもなく弱い道徳的能力と対比する。ヨブ記の著者は、創造に2つ法則があると言う。物質的な法則と道徳的な法則がそれである。世界の物質的法則を理解し会得するだけでは、十分でない。人は道徳的法則を受け入れ、守らねばならない。そうするためには、人は知恵の秘密を知らねばならず、それは、例えば採鉱技術のようなものとは、まったく違う種類の知識なのである。ヨブが漠然と理解したように、知恵は、神の論理や動機をむりやり知ろうとすることによって得られるものではない。そうではなく、道徳的法則の根幹をなす服従を通して得られるのである。「(神は)人に言われた、『主を畏れること、それが知恵、悪を離れること、それが分別である』」(ヨブ記28章28節)。
この点、知恵についての詩集シラ書(集会の書)の24章で、ユダヤの哲学者ベラ・シラが繰り返す。人間が堕罪(だざい)したあと神は新しい計画を立て、その秘密実現の場としてイスラエルを選んだと、シラは述べる。ユダヤ人は神への服従を通じて知恵を得、人類全体に同じことをするよう教える。既存の物理的世俗的秩序を覆し、道徳的秩序によってそれを置き換える。
この点を力強く、また逆説的に再び表明したのは、異端のユダヤ人であった聖パウロである。コリントの信徒への手紙Iの劇的な冒頭で、パウロは神の言葉を引用する。「わたしは知者の知恵をほろぼし、賢い者の賢らを空しいものにする」。さらに加えて言う。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」。であるから「神は賢い者を辱(はずかし)めるために、世の愚かな者を選び、強い者を辱めるために、世の弱い者を選び給うた」(コリントの信徒への手紙I1章19-27節)。こうして、既存の秩序tp世俗的な物の味方を覆すというユダヤ人に与えられた神聖な役割が、ヨブ記の混沌と混乱のなかに、また別の形で表現されているのを、われわれは見いだすのである。
このようにしてヨブ記は、ユダヤ哲学の主流の一部となり、そしていまや力強い奔流となって流れ出す。ユダヤ教が最初の「書物の宗教」に変貌するには、2世紀を要した。紀元前400年以前には、正典が出現する気配はまだまったくない。ところが紀元前200年に達すると、正典はすでにまぎれもなく存在していた。もちろんまだ完全ではないし、最終的な姿にもなっていない。しかし急速に形を整えつつあった。