Stolpersteine: The stumbling stones memorial to Holocaust victims
地面に埋めこまれたシュトルパーシュタイン
観光地に無数のお墓 日常に歴史刻むドイツの「記憶文化」
2015.7.20 イザ!
●石畳には犠牲者の名前
日常の中で負の記憶を想起させる「仕掛け」は、ベルリンの街の至る所にある。
住宅街の石畳をよく見ると、所々に10センチ四方の正方形のプレートが埋め込まれているのに気が付く。かつてその場所に住んでいたホロコーストの犠牲者の名前や亡くなった年などが刻印されたこのプレートは、「つまずきの石」と呼ばれる。歩行の妨げにはならないが、見た人が思わず足を止めることからその名が付いた。1993年にベルリン出身のアーティスト、グンター・デムニヒが発案し、これまでにドイツだけでなくヨーロッパの18ヵ国に約5万3千個が設置されている。
https://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/150720/wor15072012080033-n2.html
『現代ドイツを知るための67章【第3版】』
浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行
現代のユダヤ人問題――「つまずきの石」シュトルパーシュタイン より
ドイツを旅していると、ときおり建物の入り口の地面に、文字が刻まれた真鍮製の金属タイルがはめこまれているのを目にしたことはないだろうか。
その表面に刻まれているのは、「ここに住んでいたのは」(Hiter wohnte)という語に続いて、「氏名、誕生年、没年、終焉地」という、過去の住人についてのわずかな情報のみである。しかし、それぞれのタイルに刻印された終焉地を見ると、この真鍮製の正方形プレートがもつ意味は明らかになる。アウシュビッツ、リツマンシュタット、リガ……。このタイルに名前が彫られている人びとが死去したのは、強制収容所やゲットーで知られる土地であることが多い。
この黄銅色の金属タイルの名称は、シュトルパーシュタイン(Stolpersteine)、ナチスの犠牲者たちの最小限の情報を刻みこんだ記念碑なのである。
その定型フォーマットとしては、縦横10センチ大で型取りした直方体コンクリートブロックで、文字が彫られた真鍮製プレートが取りつけられている。これを考案し、それをマチスの犠牲者たちがかつて住んでいた住居の前に埋め込むという行為を開始したのは、政府や地方自治体ではなく、1人の芸術家であった。
かれの名はグンター・デムニヒ(Gunter Demnig)、1947年10月27日にベルリンで生まれた。国立ベルリン美術大学(現ベルリン芸術大学)、カッセル総合大学美術アカデミー、カッセル大学で学んだ。その後、創作活動と並行して、カッセル大学で芸術学を6年間教えた。現在の活動拠点であるケルンで、アトリエを構えたのは1985年のことである。
そもそも、シュトルパーシュタインとは「つまずきの石、障害物」、「簡単に、何かがだめになったり、誰かが失敗しうる困難、障害」などを意味している語である。ナチスの犠牲者たちの名を記したタイルに、「つまずきの石」という名を付与することが、そのメッセージ性の高さ、そのタイルの情報の重さを示しているだろう。
1990年にケルンの社団法人ケルン・ロマ(Kolner Rom)と共同でおこなった「1940年5月 1000人のロマ」プロジェクトが契機となって、シュトルパーシュタインを路面に埋めることで、犠牲者たちの生活の場としての記憶を残していくという方法論の出発点に、デムニヒは立脚したといわれる。
その2年後の1992年12月16日には再度、社団法人ケルン・ロマと共同で、ロマの強制追放をめぐる活動をおこなった。このとき、デムニヒは最初のシュトルパーシュタインをケルンの市庁舎の前に埋め込んだのである。
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特筆すべきは、シュトルパーシュタインが、ユダヤ人のみならず、政治犯とされた人びと、ロマとシンティ、同性愛者、病院での安楽死殺人の犠牲者、エホバの証人なども対象としていることである。ドイツには、ホロコース犠牲者を追悼する施設は多く存在するものの、たいていはユダヤ人の犠牲者に向けられたものであるのに対して、デムニヒの射程は、ナチスの犠牲者すべてにおよんでいる。デムニヒのプロジェクトのは現在も拡大し続けており、市民運動も含めて、ドイツ全土に大きなネットワークが形成されている。2006年末には、約9000枚のシュトルパーシュタインが200もの市町村で設置されており、ほとんどがドイツであるが、7枚はオーストリアであった。2007年には、さらに国際的に注目されるようになり、この年の6月と8月にはハンガリーで、また11月にはオランダで最初のシュトルパーシュタインが設置された(2018年現在で7万枚)。