じじぃの「ベルリンの壁・西へ抜ける脱出路を掘った男たち!トンネル」

ベルリンの壁 真実の物語】映画『トンネル』予告編

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B8keGzvD1HU

Hasso Herschel

Mauerbau vor 60 Jahren: Dresdner Filmemacherin fluchtete als Kind mit ihrer Mutter in den Westen

07.08.2021 TAG24
Ein NBC-Kamerateam dokumentierte damals den gefahrlichen Weg in die Freiheit.
"An die Flucht kann ich mich naturlich nicht mehr erinnern. Ich war damals eineinhalb Jahre alt. Aber mit neun Jahren habe ich den NBC-Film gesehen - und mich sofort erkannt", erzahlt Moeller.
"Der Bruder meiner Mutter, Hasso Herschel, war schon im Oktober 1961 aus der DDR geflohen und hatte versprochen, uns nachzuholen." Er hielt Wort.
https://www.tag24.de/dresden/kultur-leute/mauerbau-vor-70-jahren-dresdner-filmemacherin-fluechtete-als-kind-mit-ihrer-mutter-in-den-westen-2072808

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

トンネル より

ベルリンの壁の下、西へ抜ける脱出路を掘った男たちがいた

2001年のドイツ映画「トンネル」は、東西冷戦下のドイツでベルリンの壁の下に脱出路を掘り、東ベルリンから200人以上の亡命者を自由に導いた男たちの闘いを、ほぼ史実どおりに描いた傑作である。命をかけて共産主義の圧政に立ち向かった彼らの姿は英雄の名にふさわしい。
1961年8月13日、東ドイツ政府は突如、東西ベルリンを結ぶ通路をいっせいに遮断。国境線上に長大な有刺鉄線を張り、全国民の通行を禁じた。当時、共産主義の圧政を嫌って西ドイツへ逃げ出す者が後を絶たず、業を煮やした政府が強硬手段に打って出たのだ。
バリケードには夜を徹して補強が行われ、やがて有刺鉄線は強固なコンクリートの壁に変わる。その後28年にわたって東西分断の象徴となる「ベルリンの壁」の誕生だ。
何人もの国民が亡命を試みたが、ある者は壁から落ちて死に、ある者は警備隊に撃ち殺された。壁の完成当時、国境沿いで命を落とした犠牲者の数は227人にものぼる。
そんな状況下、本作の主人公、ハッソ・ヘルシェル(劇中の役名はハリー・メルヒャー)もまた、西ベルリンへの脱出を計画していた。
1935年にドイツ・ドレスデンで生まれたヘルシェルは、高校に通っていた1953年6月17日の東ベルリン暴動に参加、逮捕され学校を退学処分となった。その後、国営鉄道で操車係として働きながら夜間高校に通い、大学入学資格試験に合格。ベルリン自由大学で心理学を学んでいたが、1955年、東西ドイツマルクの違法な売買で再び逮捕。6年の禁固刑を受け労働収容所で刑期を過ごし、釈放後、ドレスデンの交通大学に通っていた。
ヘルシェルの脱出計画は大胆だった。西側に住む友人に頼み込み、ベルリンの闇業者を通じてスイス国籍の偽造パスポートを作成。つけヒゲと眼鏡で見た目を変え、堂々と検問所を突破しようというものである。
唯一の問題は、妹の存在である。幼い娘を持つ彼女を連れて検問所に向かうのは、あまりにもリスクが大きすぎた。悩んだ末、ヘルシェルは単独での脱出を決意する。必ず助けに戻ることを妹に誓い、1961年10月、計画どおりに検問所を突破。西ベルリンへの亡命に成功した。
ヘルシェルは西ベルリンで学生寮に入ると、さっそく妹と家族の救出計画を練る。
東ドイツ政府は日に日に検問所の監視を強めており、偽造パスポートによる突破はまず不可能。国境沿いの警備隊も数が倍に増え、陸路からは付け入るスキがない。
八方ふさがりの状況に、ヘルシェルは、イタリア人学生たちによる亡命支援グループを味方につけ、またも大胆な計画を練る。西側からトンネルを掘り、ベルリンの壁の下から東に抜けようというのだ。あまりに無謀な作戦だが他に手段はなかった。
彼らが目をつけたのはベルリンの壁に隣接した、ベルナウアー通りにある爆撃で破壊された工場の地下室だ。ここから国境線まで約145メートルを掘り進み、東ベルリン郊外のスューンホルツァー通りに建つ空き家の床下から外へでる。エンジニアの計算によれば、トンネルの完成に必要な期間は約9ヵ国だ。
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やがて工事の資金が底をつき、絶望的なムードが漂い始めると、ヘルシェルはさらなる奇策を思いつく。アメリカのNBCテレビに掛け合い、トンネル工事の撮影権を売りさばいたのだ。
こうして無事に資金を手に入れた彼らは、再び士気を取り戻し作業に没頭。当初の予定どおり、9ヵ月でトンネルの完成にこぎつけた。
1962年9月14日、ヘルシェルは、まず東側の肉親たちに手紙を送り、東ベルリン郊外の民家に集まるよう通達。指示どおりに集まった総勢29名の亡命者をトンネル内に誘導し、およそ30分で全員を西ドイツへ脱出させた。
映画は歓喜に沸く亡命者たちが抱き合うシーンで終わるが、現実にはさらに続きがある。この成功に自信を持ったヘルシェルたちは、翌年からさらに4本のトンネルを完成させ、1972年までに200人以上もの亡命者を救い出したのだ。
本作が描いた奇跡の脱出劇は1963年、アメリNBCテレビで放映され、ヘルシェルは一躍英雄に。現在は反戦家として活躍している。

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