じじぃの「テクノロジーの時代・なぜ巨大な戦艦作りを止められなかったか?この国で戦争があった」

A fan-less Indy 500 ends with a Takuma Sato victory under a yellow flag

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZflTJmCQ5dE

第104回インディアナポリス500マイルレース 佐藤琢磨選手

佐藤琢磨選手が2度目のインディ500制覇

2020年08月24日 Honda
2020インディカー・シリーズ第7戦 第104回インディアナポリス500マイルレース(以下、インディ500)の決勝レースが、8月23日(日)、米国インディアナポリス・モータースピードウェイで開催され、Rahal Letterman Lanigan Racing(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)の佐藤琢磨選手が800kmを超えるレースをトップでフィニッシュし、2017年大会に続く2度目の優勝を果たしました。
https://www.honda.co.jp/news/2020/c200824.html

『この国で戦争があった』

PHP研究所/編 PHP研究所 2000年発行

武器、兵器 【執筆者】本田宗一郎 より

戦争を礼賛するつもりは兎の毛ほどもないが、純粋的な見地から兵器というのを考えると、人間社会における技術文明の水準や、その背景をなしている社会思想までうかがうことができる。それは、私にとって、たいへん興味深いことなのである。
兵器と武器はちがうそうである。兵器と呼ばれているのは、火薬や鉄砲が考案発明され、近代的な戦闘が行なわれるようになってからのものをいい、武器はそれ以前の、突いたり刺したり、切ったりなぐったりり、射たりという戦いの道具をさす。
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これらの武器や兵器に共通する性格は、その効果が、常に相対的なものであって、すこしでも敵対するものがもつ性能におくれをとるときは、いっぺんにその価値がなくなってしまう。槍や刀や弓などは、いくらか人間の力でその性能をカバーできるが、科学的な兵器になると、それこそ致命的な差が出てくる。そこで、まさに日清月歩、時々刻々とエスカレーションをつづけることになる。
人と武器との原初の姿は、仮に使う道具と、人間同士が戦う道具に変わりはなかった。いまでいえば、斧(おの)とか鉈(なた)のようなものを石で作り、ヘッドの重みを利用して打ちおろす、いわゆる鈍器を使っていたらしい。したがって、それを防ぐためのヘルメット状のものは、道具としてたいへん早くから考案使用されたのである。
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何度かの戦争や国際緊張をふりかえるとき、その不幸な戦いや対立が結果として人類のテクノロジー・レベルを急速におしあげてきたことに驚く。戦争はスポーツやゲームではなく、まさに必死の戦いである。命がけの世界だから、一国の社会としては最大限のテクノロジーを結集しようとする。それを支えるのはものの考え方であり、社会の思想である。
ひとつの兵器ができるまでには、あらゆる情報と、原材料から工作機械、作業機械、きびしい生産管理、品質管理などハード、ソフトの技術が結集される。
しかし、これらのテクノロジーを使うのはあくまで人間である。やはり、思想であり哲学だということになる。太平洋戦争の末期、日本は巨大な戦艦作りを中止することなく完成させ、何の役にたてることもなく沈没させた。パールハーバーを攻撃したときから、飛行機の時代だとわかっていながら、なぜ厖大な量の鉄や燃料を要する戦艦の建造をやめなかったのか。
自己をとりまく明らかな歴史の流れを知っていながら、大きな問題をあいまいなままに処理していた、当時の日本の思潮をそこに感じるのは、私だけだろうか。

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じじぃの日記。
「太平洋戦争の末期、日本は巨大な戦艦作りを中止することなく完成させ、何の役にたてることもなく沈没させた。パールハーバーを攻撃したときから、飛行機の時代だとわかっていながら、なぜ厖大な量の鉄や燃料を要する戦艦の建造をやめなかったのか」
なにか、人間追い詰められれば思考が硬直化してしまうのだろうか。
終戦の翌年(昭和21年)、39歳の本田宗一郎浜松市本田技術研究所 (旧) 設立した。