じじぃの「人の死にざま_1316_サダム・フセイン」

サダム・フセイン  裁判で述べた言葉 2005年12月 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=PudoIlLvpCU
イラク元大統領【サダム・フセイン】の処刑 ビデオ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9O9qxVpi_gI
法廷でのサダム・フセイン

サッダーム・フセイン ウィキペディアWikipedia)より
サッダーム・フセイン(英語:Saddam Hussein 、1937年4月28日 - 2006年12月30日)は、イラク共和国の政治家。スンナ派のアラブ人であり、イラク共和国の大統領、首相、革命指導評議会議長、バアス党地域指導部書記長、イラク軍最高司令官を務めた。軍階級は元帥。日本語の慣例では、彼の名をサダム・フセイン、または単にフセインと表記することが多いが、本稿ではサッダームと表記する。
【サッダーム政権崩壊後のイラク
サッダームは恐怖によってシーア派スンナ派クルド人の対立を抑え込んでいた。しかしサッダーム政権崩壊後のアメリカの占領政策の失敗とイラク政府の無為無策により、一時宗派対立で内戦状態に陥り、テロも頻発するなど治安も悪化した。現在もこれらの問題は解決されたとは言えない。トルコの政治家アブドゥラー・ギュルはユーゴスラヴィア連邦解体が内戦につながった様にイラクを『パンドラの箱』と揶揄していた。

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『私が出会った「世界権力者&超VIP」50人 真実の素顔』 中丸薫/著 イースト・プレス 2013年発行
「闇の権力」に蹂躙された悲劇の大統領 サダム・フセイン(政治家) (一部抜粋しています)
待ちに待ったフセインさんへのインタビューの日。約束の時間が近づいた頃、軍服姿のフセインさんがひとりで部屋に入ってきました。
「会議が長引いておりまして、15分ほど遅れます。大変申し訳ないのですが、もう少しお待ちいただけますか」
こんな伝達は側近に任せればいいのに、わざわざご本人が言いに来たことに私は驚きました。
それからしばらくして再び現れたフセインさんは、私と通訳を相手に話を始めました。側近の方に聞いたところでは、フセインさんが護衛をつけずにインタビューに応じることは通常なかったそうです。
私はさっそく、前線で撮影したイラン少年兵のビデオを一緒に見てもらい、「この戦争を起こしたのはあなたではないのですか?」と切り出しました。フセインさんは落ち着いて答えました。
「いいえ、イラクは平和を願い、それをはっきり宣言しています。それなのにイランは私たちを踏みにじり、正当な理由もなく戦争を続けているのです。われわれは国連に対して、どちらが侵略者かはっきりしてくれるよう、提訴しています。すでに4回、停戦を求める公開状をイランに送りました。しかし、イラン側からはなんの返答もなく、繰り返し攻撃が行われています。本当に残念です」
この見解については、のちに訪問したエジプトで、ムバラク大統領が「フセイン大統領は、協定にもとづく国境線まで撤退すると何回も言っているのに、イランのホメイニ師が拒否している」と言っていましたから、フセインさんの言う通りなのでしょう。
また、当時の西側諸国のマスコミは、「シオニストがイランを支援している。彼らがイラクとイランの対立をあおっている」と書き立てていました。それについて、当事者としてどう思うか聞いてみました。
「宗教集団としてのユダヤ人と、ユダヤ人の中でもとくにアラブを蹂躙している熱心なシオニストとの区別をしなくてはなりません。イランには多数のユダヤ人がいて、そのユダヤ人の中に少数のシオニストがいるのです。その一部のシオニストたちが、イランとイラクの対立をつくり出すのに積極的な役割をはたしていると思います。
 イスラエルがイランに対して軍事援助をしているのは明らかです。アメリカにいるシオニストも同様です。マスコミや財界、連邦議会に対する彼らの影響力は相当なものです。これこそ、アメリカとイラクの間に問題を起こし、両国間の正常な関係を維持できなくしている原因のひとつなのです」
フセインさんが非常に冷静に、客観的に自国の置かれた状況を分析していることに、私は少し胸をなで下ろしました。
1079年、イランにイスラム革命が起こって以来、イラクアメリカから大量の武器を購入していました。私には、イラクがすっかりアメリカの術中にはまっているかのように見えて気がかりでした。
しかし、フセインさん自身、イラクイスラム革命拡大の防波堤としての役割を担わされていることを理解していました。フセインさんは自分なりに、アラブ世界の安定のためのビジョンを描いていたのです。
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その後のフセインさんは、「繁栄と平和」とはほど遠く、たび重なるアメリカとの戦争により、大統領の座を追われました。
イラクに「大量破壊兵器」があると喧伝(けんでん)し、空爆を正当化したラムズフェルド米国防長官は、かってフセイン大統領をかつぎあげ、イラクに大量の武器を売り込んだ張本人です。ラムズフェルド氏は、イラク大量破壊兵器などないことを、もっともよく理解していた人物のひとりでしょう。
ラムズフェルド氏らブッシュ政権に入り込んだタカ派、いわゆる「ネオコン」たちは、イスラエルと深く関わっていることがその後たびたび問題となりました。しかし開戦の責任はあいままなまま、今もイラクはテロの恐怖にさらされています。
ところで、フセイン大統領には、身を守るために「影武者」が何人もいたことはよく知られています。私には、亡くなった方が、お会いした本物のフセイン大統領だと、どうも思えないのです。影武者の方のうちのひとりが身代わりになったのかもしれない、という思いが残ります。