じじぃの「国力なき戦争指導・誰が太平洋戦争というトリガーをひいたのか?この国で戦争があった」

満州国国都・新京《前編》/ The capital of Manchukuo 1 of 2

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7LAAM2JSnr4

「大満洲国」 チラシ

満州のポスター ・チラシ

平成29年7月26日 名古屋市博物館
昭和7年(1932)の「満洲国」成立後、「満洲国」をPRする様々なポスターやチラシが作成された。
このチラシは背景から昭和8~9年(1933~34)頃のものと思われる。「日本、蒙古、満州、朝鮮、漢」の5族が肩を組み笑顔で前進する姿は、「王道楽土、五族協和」を謳(うた)う「満洲国」のスローガンを描いたもの。
http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari_joyubi_news/mansyuu/

『この国で戦争があった』

PHP研究所/編 PHP研究所 2000年発行

無明の世界 【執筆者】司馬遼太郎 より

1929年(昭和4)年のアメリカの株式市場にパニックがおこった。
つづいてやってきた大恐慌は、史上最大のものだった。世界じゅうの経済を崩壊させ、瀕死の大不況がはじまった。
各国は、懸命に大不況から脱出すべくあがいた。
ドイツやイタリアという、植民地をもたない新興工業国は、”共栄圏(アウタルキー)”の創設をおもいついた。自国の製品を”襟力圏(なわばり)”の国々に売りつけるというやり方であった。
が、縄張りは、力ずくでつくりあげねばならない。そのために、まず、自国の国内から自由をうばい、一国統制主義(ファシズム)で束ね、国家を戦争機械にする必要があった。ムッソリーニヒトラーの出現である。
かれらは、人間ならたれもがもっている郷土主義(ナショナリズム)というガスを国家という鉄の筒に詰めこみ、いやが上にも揮発性を高めた。
日本の場合、陸軍軍人が主導した。
かれらは政界人や言論人とむすんで皇道主義という、明治の森鴎外夏目漱石も知らなかった異常なナショナリズムを鼓吹した。
一方、一中佐にすぎなかった石原莞爾(いしはらかんじ)らが私的にグループをつくって謀略し、満州事変をおこして国家に追認させ、満州国をつくった。1931(昭和6)年のことである。中国人の愛国心や民族感情はまったく無視された。
以後、日本国は崩れにむかう。
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ごく最近、中原茂敏元大佐の「国力なき戦争指導」(同台経済クラブ編『軍事秘話』)という精密な実歴談を読んだ。
この人は兵器製造の専門家だが、日本の弾丸製造のための機械は日清戦争のころのボロ機械ばかりだったという。また、国力は日中戦争を始めた昭和12年(1937)でアメリカの約7分の1、昭和20年には、140分の1にすぎなかった。
このような実情だったのに、幻想の虎は、15年におよぶ戦争をやった。
日米開戦のぎりぎり前まで日米間の交渉がつづいた。
ついに、ハル米国務長官が、最後通牒的な覚書(”ハル・ノート”)を日本側にわたすことになる。内容は満州事変以前にもどれ、という。
中国その他すべての占領地から兵をひけ、という。もとの猫にもどれ、という。
このとしの10月まで首相だった近衛文麿は、ほぼハル覚書に近い考えをもっていたが、全国民が虎の幻想を持っているのに、猫にもどすような政治力は持たなかった。近衛ならずとも、古今東西のどんな大政治家でも、これはむりだった。いったん酔わせた国民を醒まさせることはできないのである。
開戦の2ヵ月前、近衛は辞職してしまった。
陸軍は元気を得、海軍を抱き込んだ。海軍首脳の心ある者(たとえば米内光政や山本五十六)は日本の滅亡を予感しつつ、結局、同調した。
あとは、真珠湾攻撃になる。

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じじぃの日記。
『この国で戦争があった』に【執筆者】森繁久彌の「落日の満州」というのがあった。
終戦当時、森繁久彌さんは放送局員として満州の新京で働いていた。
仕事がら、いろいろな国の放送が流れており日本が戦争に負けるということが分かっていたのだそうだ。
負けると分かっていた戦争を始めるにいたったきっかけを作ったのは誰だったのだろうか?

「一方、一中佐にすぎなかった石原莞爾(いしはらかんじ)らが私的にグループをつくって謀略し、満州事変をおこして国家に追認させ、満州国をつくった。1931(昭和6)年のことである」

ある軍事専門家によると、石原莞爾という軍人はとても優れた人だったらしい。
彼が「満州国」の立案者だった。
石原莞爾は五族共栄(日、満、漢、朝鮮、モンゴル族)の独立国(満州国)を作ることによりソ連の防波堤にしようとした。
太平洋戦争というトリガーをひいたのは石原莞爾だったのだろうか。
それとも、関東軍参謀長の東條英機だったのだろうか。