じじぃの「歴史・思想_295_現代ドイツ・セーフティネットの転換」

Unemployment benefits and job match quality

IZA World of Labor
https://wol.iza.org/articles/unemployment-benefits-and-job-match-quality/long

『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行

セーフティネットの転換――ハルツ改革のその後 より

第2次シュレイダー内閣は、本来の「社会民主党」の理念とは異なる新自由主義的な構造内核に手を付けた。増え続ける失業保険費、社会扶助費(生活保護費)に対して抜本的な改革を図ろうとしたのである。
そこで首相は、フォルクスワーゲンVW)社の労務担当役員のペーター・ハルツ氏を座長とする委員会を設置し、成案を得た。改革案は、与党内でも多くの議論や反撥を招いたが、結局、野党の「キリスト教民主同盟」も賛成にまわり、国会を通過して2005年の1月から施行された。当時、ドイツの失業者はかつての世界恐慌時と同等の500万人に達し、最悪の状況のなかでハルツ改革はスタートした。
ここで取り上げるのは、セーフティネットのうちの眼玉の「ハルツⅣ」(委員長の名前に由来)といわれる失業補償や社会保障に絞るが、ハルツ改革の眼目は、失業者のセーフティネット依存型から、自立して社会参画できるよう就業支援することにあった。すなわちこれは、長期失業給付金のうち、働けるものには「ジョブセンター」(ハローワーク)を通じて仕事を与え、雇用に組み込むことを目指した。ただし、お題目を唱えただけの、今までどおりの手直しでは、絵に描いた餅となるので、改革はかなりシステム変更にも踏み込んだものになった。
従来、失業した場合、「失業給付金」を保険加入問題に応じて最長32ヵ月受給しながら、一定期間後、就職ができなかったものには無期限の「失業扶助金」が与えられていた。また最後のセーフティネットとして、社会扶助制度(生活保護)があった。ハルツ改革では失業当座、「失業給付金Ⅰ」として手当をもらうが、以前より期間が短縮され、最長でも18ヵ月にした。
一定期間を過ぎても就職できない場合、従来の「失業補助金」を廃止し、社会扶助制度と一体化した「失業給付金Ⅱ」をもらう。なおこれまで連邦雇用庁が失業給付を管轄し、自治体の福祉事務局が社会扶助を管轄していたが、政府機関と自治体の統合した機関(ARGE、ただし2007年に憲法違反の判決)に制度を一元化した。これは、窓口が違うと二重受給の霊が後を絶たなかったので、それを防ぐ意味もあった。
加えて働く能力を有する者は、紹介する仕事の拒否条件をきびしく制限し、就職を促す。正当な理由もなく就業しない場合には、給付金の30%を3ヵ月間減給する(年3回違反すると子宮停止)。ただし給付を受けながらアルバイト、その他で得た金は月1200ユーロ(子どもなし:14万4000円)、もしくは月1500ユーロ(子どもあり:18万円)までであれば、減額対象にらなずに、手当と並行して自分の収入としてもらえる。このような生活扶助から自助のインセンティブを与え、雇用・労働とのかかわりを重視して失業者数を減らそうと努力した。
ハルツ改革は、すんなりと了承が得られたわけではない。前述のように、「社会民主党」(SPD)や労働組合を含めた激しい批判が、導入前から続いた。とくに給付対象者が多い旧東ドイツ地域では大きなうねりとなって、反対デモが頻発した。かれらにしてみれば、それを改革ではなく弱者切り捨てに他ならなかったからである。与党内の左派のフィンテーヌ元蔵相一派は、ハルツ改革に反対して「社会民主党」を離党し、かれらはそのあとの結成された「左翼党」へ合流した。
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新制度導入当初は受給者が増え、声高にハルツ改革の失敗論を叫ぶ人もいたが、受給者の数が2006年をピークに減り続けている。このグラフ(画像参照)は改革の「本丸」を示すもので、「失業給付金Ⅱ」に依存しなくても、自立できるかどうかを判断する目安になる。景気動向、輸出動向に左右されることは当然であるが、結果的に2018年まで受給者が減少しているので、改革の道筋はついたと判断してよい。いずれにしても、ハルツ改革については「ドイツ病」といわれてきた低迷状態から、脱出する1つの転機となったといえる。