じじぃの「歴史・思想_91_世界史を変えた指導者・フランクリン・D・ルーズベルト」

Franklin D. Roosevelt

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XYrbKvAvkXY

FDR's 'Day of Infamy' Speech

Pearl Harbor: How FDR responded to the "day of infamy"

December 4, 2016 CBS News
The “Day of Infamy” is how we Americans have come to remember the attack on Pearl Harbor -- and we owe that phrase to the American president who knew exactly what was called for in that moment of crisis. David Martin takes us back:
https://www.cbsnews.com/news/pearl-harbor-how-fdr-responded-to-the-day-of-infamy/

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

アメリカを立ちなおらせた粘り強い改革者

フランクリン・D・ルーズベルト大統領は大恐慌時代から第2次世界大戦の終わり近くまで、祖国の2度の暗黒時代にアメリカを率いた。ルーズベルトはコミュニケーションと行政の手腕にすぐれ、ときとして不人気な政策にも国民の一致した支持を形成し、維持した。

1933年3月4日の大統領就任演説で、フランクリン・D・ルーズベルト大恐慌という経済問題に立ち向かうと宣言し、こう述べた。「この偉大なる国はこれまで耐えしのんできたようにこれからも耐えしのび、復活を果たして繁栄するでしょう。(中略)われわれがおそるべきはおそれるという気持ち、それだけです」。この粘り強く実直なリーダーは、自分の決意と自信を国民に伝えるときに人々を鼓舞する能力をもっともよく発揮した。
フランクリン・D・ルーズベルト(通称F・D・R)自身が、復活を経験していた。ポリオを発症し、1932年の大統領選に勝利したときには杖か装具がなくては歩けないまでになっていた。政治家としてのキャリアも断たれかねない状況から、カムバックを果たしたのである。大統領選では、「忘れられた人々」のための「ニューディール政策」を掲げて戦った。「忘れられた人々」とは経済危機の犠牲者となった人々のことで、大統領就任時には工業生産が不況前の56パーセントにまで落ち、1300万人が失業していた。
フランクリン・D・ルーズベルが政治家の道を志したのは、1901年から1909年まで第26代アメリカ大統領をつとめた従兄セオドア・ルーズベルトの影響だった。
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ルーズベルトニューヨーク州の議員として政治をよく学び、ウッドロー・ウイルソン台頭領時代に海軍次官として有能な行政の手腕を発揮した。しかし1921年に休暇でカナダのニューブランズウィツクに滞在していたとき、ポリオを発症する。一時期は完全に体が麻痺し、母親から政治家引退をうながされたが、彼と妻エレノアは政治家のキャリアを続ける決意を固めていた。
19228年、彼は復帰した。ニューヨーク州知事選に当選する。ふたたび、共和党支持の気風が強い土地で、民主党候補としての勝利だった。1930年に再選され、経済状況が悪化するなか、大統領としてニューディール改革を行う構想を描き、そのステップとして州知事の立場で救済措置と景気回復刺激策を実施した。
ニューディール政策は1933年から39年にかけて実施され、連邦政府の役割を大幅に拡大した。公共事業局が公共事業に33億ドルの資金を出し、民間植林治水隊が植林と治水の臨時職を創出した。農業調整庁は生産高制限のため農家に助成金を出し、主要農産物の価格引き上げをはかった。
社会保障制度で老齢年金、遺族年金、障害年金、失業者手当を給付するようにした。雇用促進局が失業――1935~38年に年間平均210万人いた――のために公共の建物、橋、道路建設の職を創出した。前例のない政府介入によるこうした果断な施策により、フランクリン・D・ルーズベルトアメリカ経済の活性化を支援し、景気は回復に向かっていると全国のアメリカ人を励ました。