じじぃの「人の死にざま_1720_土肥原・賢二(陸軍軍人)」

日本と中国−2 満州国の建設 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZH2zwWu68kE
・中国人に慕われたA級戦犯 土肥原賢二 2014年02月15日 日本の戦前を考える研究所
土肥原賢二(1883〜1948)は、東洋のローレンスと呼ばれ、謀略将軍として様々な憶測が飛び交う人物でした。
満州国皇帝、溥儀を説得して奉天から長春に連れてきたのも土肥原で、迷っていた溥儀は目の前の土肥原を信頼して決意したと言われています。
奉天特務機関に所属しながら、20年も中国に在住し、中国研究の第一人者、中国語は日常の冗談に至るまで堪能でした。
http://syunankai.seesaa.net/article/388733362.html
土肥原賢二 ウィキペディアWikipedia) より
土肥原 賢二(どいはら けんじ、明治16年(1883年)8月8日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たす。昭和20年4月には、陸軍三長官(陸軍大臣参謀総長教育総監)の一つ、教育総監も務めた。敗戦後、三長官会議で東久邇宮内閣の陸軍大臣に推挙されたが、下村定が就任。
極東国際軍事裁判東京裁判)でA級戦犯となり死刑判決を受け処刑される。最終階級は大将。

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『マスコミより確かな 習近平の言い分』 孔健/著 三五館 2015年発行
中国人がいまでも憎む8人の日本人 より
いまでも中国人が許すことのできない歴史上の日本人がいる。すべて戦争に絡んだ人物だ。雑誌の特集ネタにもなっている。
伊藤博文
大山巌
昭和天皇
東條英機
・岡村寧次
・谷寿夫
・石井四郎
土肥原賢二
 旧日本陸軍の謀略部門のトップとして満州国建国に中心的役割を果たす。東京裁判A級戦犯となり死刑判決を受け処刑されている。

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昭和史の謎を追う〈下〉 秦郁彦/著 文藝春秋 1993年発行
東京裁判 (一部抜粋しています)
こうして洩れた候補者には有田八郎(外相)、伊藤述史(情報局総裁)、及川古志郎(海相)などがいるが、なんといっても大物中の大物は満州事変の中心人物だった石原莞爾中将であろう。
最近まで石原が被告から洩れたのは、法廷が柳条湖事件の真相をつつき出せなかったことや、東條に対立して日米開戦前に陸軍を去ったことが原因か、と推測されてきたが、選定会議の議事録などを見直すと、それほど確固とした理由ではなかったようだ。
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キーナン主席検事は、閉廷前の最終報告で次のように陳述した。
  彼ら(被告)の主張を信じるならば、彼らは悪事をはたらいていたということをまったく認めておらず、また釈放されたならば幾度も侵略をくり返すであろうということを暗に認めているのであります。このため安全保障の必要だけからしても、彼らは永久に拘束されるべきなのです。
国家の「犯罪」に対し、指導者責任を問うという史上はじめての裁判は、それにふさわしい大がかりな舞台装置で上演されたものの、誰ひとりとしてザンゲ者は出現しなかった。裁く方も裁かれる方も、その空しさに気づいていたはずである。
死刑となった7名(東條、土肥原、広田、板垣、松井、武藤、木村兵太郎)を除き、残るA級被告は講和条約終結後に仮釈放され、最終的に1956年4月連合国の通告により刑を免除された。
                           (『正論』1990年12月号)