じじぃの「人の生きざま_673_孔健(作家・孔子研究家)」

習近平の「中国夢」の二つの危険性 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=a-2obhuInJE

中国から見た太平洋

中国国産空母 「第1の目的は尖閣奪還だ」 日清戦争勃発120周年で韓国メディアが分析 2014-07-28 サーチナ
報道によると毎日経済は記事で、「日清戦争は数千年にわたって続いた『中国が東アジアの中心だ』という秩序を変え、日本が歴史の舞台に登場する上で重要な戦いとなった」と指摘。
さらに、「習近平国家主席が掲げる“中国夢(チャイナドリーム)”は、海軍の形を整えることから始まる。その中国で初の国産空母がすでに就役した。第1の目的は日清戦争で日本に奪われた釣魚島を奪還することだろう」と分析した。
http://news.searchina.net/id/1538798
孔健 ウィキペディアWikipedia) より
孔健(こう けん、孔祥林、1958年 - )は、中華人民共和国出身の作家、孔子研究家。
孔子の第75代直系子孫である。

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『マスコミより確かな 習近平の言い分』 孔健/著 三五館 2015年発行
中国人がいまでも憎む8人の日本人 より
いまでも中国人が許すことのできない歴史上の日本人がいる。すべて戦争に絡んだ人物だ。雑誌の特集ネタにもなっている。
伊藤博文
 日清戦争後。李鴻章との間に馬関条約(下関条約)を結び、中国から2億両余の賠償金を奪い取った。
大山巌
 日清戦争後、旅順攻略にあたった陸軍大将。旅順陥落後民間人を含む1万8000余名を殺害した、旅順大虐殺の責任者だ。
昭和天皇
 いわずとしれた8年に及ぶ中国大陸での抗日戦争(日本名・大東亜戦争)の責任者だ。
東條英機
 軍国主義者。A級戦犯だ。敗戦後、東京裁判で有罪となり絞首刑になった。
・岡村寧次
 抗日戦争時、「殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くす」という、主に共産党八路軍根拠地に対して行なわれた三光作戦の司令官。
・谷寿夫
 南京大虐殺の責任者。第二次世界大戦後、蒋介石による南京軍事法廷で、南京事件の責任者および関与者とされ、死刑判決を受け、銃殺刑となっている。
・石井四郎
 満州に拠点を置いて細菌戦の生物兵器の研究をしていた陸軍軍医。通称731部隊の責任者。
土肥原賢二
 旧日本陸軍の謀略部門のトップとして満州国建国に中心的役割を果たす。東京裁判A級戦犯となり死刑判決を受け処刑されている。
日中は戦わず、ただ争うのみ より
2003年7月(この当時、「人民日報」評議員)香港フェニックステレビ(香港鳳凰テレビ)で2日間にわたって放送された講演放送番組「世紀大講堂」で(日本は中国に対して21回も謝罪しており、すでに謝罪問題は解決している)と持論を繰り返し、日本の緒謝罪問題は解決済みとの立場を強調した。
「釣魚島の実際の価値はそれほど大きいものではない。中国とインド、中国とベトナム、中国とマレーシア間の領土、島の紛争の面積は釣魚島よりはるかに広く1.5万倍のケースもある。この小さな島のために、日中の国家関係が悪化した本質は何だろう?(それは)新興国が本来の大国の権利に挑戦することであると考えられる。即ち、国際関係論でいえば”トゥキディデスの罠”に陥ることもある」
トゥキディデスの罠」とはギリシャの歴史家トゥキディデスが指摘した説で、紀元前5世紀にぺロポネソス戦争が起きたのは、アテネの台頭に対してスパルタが感じた不安感(警戒)が原因であり、こういう構造的な緊張関係が”問題”を浮上させた。今日アテネに当たるのが中国、スパルタに当たるのが日本というわけだ。
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馬立誠は、日本が「強い中国」を認めるまでに10年かかるだろうという日本の友人の言葉を紹介しているが、約10年後その言葉どおり、日本は「強い中国」を認めざるを得なくなっているのが現状だ。
「日中両国の釣魚島(尖閣諸島)も同じく、問題の本質は東アジア主導獲得の紛争であり、誰がリーダーになるのかをめぐり争っている。われわれ社会科学文献出版社はフランス学者クラウド・マイアーの著作『日本と中国、誰がアジアのリーダーなのか』を2010年に翻訳し出版した。マイアーによると、日中間の紛争の本質はアジア主導権において、より高い外交地位をめぐる争いである。ただし、今回の権利交代は、平和な方法で成し遂げられることが望ましい。また、全世界から見た新状況は平和交代実現の可能性を向上させた。
しかし、われわれが反省しなければならないのは、近年中国国内における民族主義の台頭、すなわち袁偉時教授が指摘した「燃えている民族主義」である。李澤厚、易中天、徐友漁たちも同じ意見を発表した。例えば2012年8月に85の都市で行われた反日デモは強盗、放火暴行に拡大し、国際的に悪いイメージをもたらした事件になり、陳暁魯によると、「まるで文化大革命のよう」だった。