じじぃの「ユダヤ人の大量虐殺・ゾンダーコマンド・復讐のために生きたい!アウシュヴィッツ収容所」

「死の門」・アウシュヴィッツ第二強制収容所

「ゾンダーコマンド」と3人が書いたメモ 写真=NHK提供

アウシュヴィッツの巻物 証言資料:みすず書房 2019年発行

MATTERS OF TESTIMONY
Interpreting the Scrolls of Auschwitz
ナチのユダヤ絶滅収容所内に設置されたガス室は、移送されてきたユダヤ人から選別された囚人「ゾンダーコマンド」(特別作業班)によって稼動していた。彼らは人々がガス室へ送られるのに立会い、遺体の焼却や処理、清掃など、「地獄」の労働を担わされた。
ゾンダーコマンドたちがひそかに書き残してアウシュヴィッツ収容所の火葬場の地中に埋めた記録、手記や手紙が戦後、数十年にわたって発掘されている。イディッシュ語やフランス語、ギリシア語などの言語で書かれ、内容も文体も体裁もさまざまである。ガス室の入り口から隠し撮りした写真もあった。
やがて死の選別が自らにも下される恐怖のなかで、書くことは彼らの生を支え,同時にナチに対する抵抗でもあった。それは外部の他者、後世の人々とつながろうとする意志であり、ホロコーストがしばしば「表象不可能」と評されることへの根源的な反証となっている。
https://www.msz.co.jp/book/detail/08703.html

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ウィキペディアWikipedia) より
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ナチス・ドイツ第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容者の90%がユダヤ人(アシュケナジム)であった。
アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコ世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。
【労働】
労働は主に4つのタイプに分けることができる。
1つ目は被収容者の肉体的消耗を目的とした労働。たとえば、石切り場での作業や道路の舗装工事などを行う「懲罰部隊」がこれに該当する。
2つ目は、戦争遂行に欠かせない資材・兵器などの生産や、収容施設の維持・管理などを目的とした労働。
3つ目は、所内で死亡した被収容者の処分を目的とした労働。ガス室や病気、栄養失調などで死亡したおびただしい数の遺体を、焼却炉などに運び処分する「ゾンダーコマンド(特別労務班員)」がこれに該当する。比較的待遇は良かったが、一方で口封じのため数ヵ月ごとに彼ら自身も処分された。1期から13期まであり、解放直前に結成された12期のメンバーは武力蜂起による反抗を試みている。
最後は、ほかの被収容者たちを監視する「カポ(労働監視員、収容所監視員などと訳される)」である。主に第一収容所のドイツ人犯罪者から選ばれることが多かったとされ、被収容者ヒエラルキーの頂点に立った。戦後、過酷な懲罰を課したことで裁かれる者もいた。

ゾンダーコマンド (強制収容所)

ウィキペディアWikipedia) より
収容所の場所にもよるが、ゾンダーコマンドは「ユダヤ人労働者 (Arbeitsjuden)」を遠回しに表現する言葉として使われることもあった。また、「補助員」ないし「助手」 (Hilflinge)と呼ばれることもあった。
ポーランドのビルケナウ強制収容所では1943年までに400人ものソンダーコマンドが存在しており、1944年にハンガリーユダヤ人が大量に収容されるようになってからは、その膨大な数の死体処理のために900人にものぼるゾンダーコマンドがいたとされる。
ナチスは死体処理を行うことができるゾンダーコマンドの囚人を必要としていため、彼らは他の囚人よりも比較的ましな生活環境にいたとされる。彼らは他の囚人とは異なるバラックに住み、ガス室に送られた人たちから没収した煙草や薬、食べ物を手に入れることができた。また、その他の囚人とは異なり、収容所の兵士や監視員から無差別に殺される心配もなかった。ゾンダーコマンドの囚人たちの命や必要性は、彼らがどれだけ効率的に死体処理を行うことができるかによって決められていた。それにより、ゾンダーコマンドの囚人は他の囚人よりも比較的長く生き延びることができたが、戦後まで生き残ることができた者はあまり多くなかった。

サウルの息子

ウィキペディアWikipedia) より
サウルの息子』(英語: Son of Saul) は、2015年のハンガリー映画第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンドの囚人であるハンガリー人の男サウルに起きる一日半の出来事を描く。ネメシュ・ラースローが監督を務め、ネメシュとクララ・ロワイエ(フランス語版)が脚本を務めた。
本作は2015年、第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で初上映され、グランプリを受賞した。

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NHKスペシャル 「アウシュビッツ 死者たちの告白」

2020年8月16日
【語り】磯野祐子
第二次世界大戦中、ユダヤ人の大量虐殺が行われたアウシュビッツ強制収容所ガス室跡の地中から“謎のメモ”が見つかった。
最新技術で解読したところ、書いたのは同胞をガス室へ誘導する役割や死体処理などを担ったユダヤ人特殊部隊「ゾンダーコマンド」のメンバーだったことがわかった。人類史上類を見ない大量虐殺の陰で“裏切り者”と呼ばれた男たち。密室の中で何が行われていたのか。75年の時を超え、よみがえる真実に迫る。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=200&date=2020-08-16&ch=21&eid=05610&f=46

2020年8月16日放送 NHKスペシャルアウシュビッツ 死者たちの告白」 より

1961年4月、大量虐殺の罪を問う裁判が始まったとき、ユダヤ人虐殺計画を指揮したアドルフ・アイヒマンはこう証言した。

「自らの手では誰一人として殺してい ない」

専門家たちによるメモの分析からはナチスがゾンダーコマンドを巧妙に支配していた実態が見えてきた。
専門家、「3人のメモからはゾンダーコマンドたちが互いに不信感を抱いていたことがわかります。例えば、出身地の異なるメンバーのことを彼らは頭で考えることができないと批判しています」
メモには彼らを信用していなかった記述がある。
専門家、「ユダヤ人と一言で言ってもヨーロッパの南から来たユダヤ人と東から来たユダヤ人とでは歴史も伝統も異なっていました。互いに”真のユダヤ人”だとは認めていなかったのです」
2020年1月、メモを残した人物の娘がギリシャに暮らしていることが分かった。
父親・マルセルナジャリはアウシュビッツ解放直前、別の収容所へ移送される集団に紛れ込み、奇跡的に脱出を果たしていた。
戦後程なくして結婚し2人の子どもをもうけたナジャリは、ガス室での体験を生涯口にすることはなかった。
娘はメモを通じて初めて父親の壮絶な体験を知った。
ナジャリは1971年、54歳で亡くなった。
父がつづっていた「復讐のために生きたい」という言葉が強く印象に残っている。
人類の負の遺産となったアウシュビッツで裏切り者の烙印を押されたゾンダーコマンドたちのメモの最後は、
「ここには全てが記されているわけではない。真実はもっと悲劇的で計り知れないほど恐ろしい。メモはいくつも埋められている。探し続けてほしい。まだまだ見つかるはずだ」
と、締めくくられていた。