じじぃの「歴史・思想_285_現代ドイツ・ベートーヴェンの第9交響曲」

第9交響曲  ベートーベン

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dsQ9CP_GlTQ

なると第九

鳴門市公式ウェブサイト
https://www.city.naruto.tokushima.jp/contents/daiku/about.html

『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行

ベートーヴェンの「第9交響曲」とシラーの詩――人類の理想を求めて より

「第9」が年末に演奏されるようになった理由は、日本における音楽家のきびしい経済状態が影響している。行政からの財政的な援助を期待できない日本のオーケストラは、団員を通じてチケットを販売するのがつねであるから、通常のオーケストラに合唱団が加われば興業としても成功が約束されたも同然であった。何かともの入りの年末に、ふところ具合の芳しくない音楽家が収入を当てにするのも無理はない。他には「第9」の演奏には1時間以上もかかる大作であるが、合唱部分は最終楽章の20分程度で、少し練習すれば誰にでも歌える比較的簡単な曲なので、アマチュア合唱団にも受け入れられたことが挙げられる。
たしかに「第9」には、人類愛を高らかに歌った祝祭的雰囲気を備えており、1年を締めくくるにはふさわしい曲だと思う。よく知られているように、「第9」の第4楽章の合唱はフリードリヒ・シラーの「歓喜に寄す」の原詩に依拠しているが、冒頭のバリトンで歌われる部分(O Freunde, nicht diese Tone! Sondern lasst uns angenehmere anstimmen, und freudenvollere. おお友よ、このような調べではなく! もっとこころよい歓喜に満ちた調べに、ともに声を合わせようではないか)は、ベートーヴェン自身が書き加えたものである。フランス革命の数年前につくられたこの詩をベートーヴェンは40年近くも温め、これを合唱テキストに用いて作曲した。この曲が宗教心の希薄な日本人のこころをも動かす理由は、キリスト教を超えて生きることの苦しみと歓びを極限まで歌い上げた作品だからだ。
人生の大半を愛なしに生き、感受性があまりにも強すぎることで人間嫌い、変人との扱いを受け、さらには失恋や耳の疾患を抱え、生涯独身を通したベートーヴェンにとって、英術に身を捧げることのみが幸福を味わう唯一の道だったといえる。わたしたち恒星のにんげんは、かれの不幸や人生の試練が芸術の根源となったのであれば、そのことを芸術の神に感謝すべきではないだろうか。
今日、「楽聖」という名を冠せられるベートーヴェンは、「音楽の革命家」とも呼ばれており、音楽と言うジャンルに思想・哲学を持ち込んだ最初の人物だが、人生の大きな逆境に音楽芸術によって打ち勝った人間だ。モーツァルトの音楽は万人にただちに理解され受け入れれるが、ベートーヴェンの作品を理解するのは優れた頭脳と感受性、さらには、人生の経験、年輪が必要とされる。聴き手が未熟であればベートーヴェンの音楽はこころを素通りしてしまう。
「第9」の名前については、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)がバイロイトの祝祭劇場の開幕に際しておこなったライブ録音を挙げたいと思う。この名盤との出会いは筆者の高校生の時分であるが、フルトヴェングラーの演奏は1951年、バイロイト音楽祭が戦後、再開されたときの記念すべき記録である。戦前から戦後にかけて、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務めたフルトヴェングラーの白熱の歴史的名演で、今日の音楽商業主義とは一線を画する演奏とはっきりいえる。頑固なまでにドイツの伝統を守る姿勢は、音楽の本質とは何か、という問いをわたしたちに投げかけている。
もっとも、フルトヴェングラーの演奏解釈に対しては、あまりにも主観的かつ恣意的であり、原典としての楽譜から逸脱しているとの指摘が一部にあることはまぎれもない事実だが、音符をただ音に変えるだけの何の深みもない演奏とは比べるべくもない感銘を聴く者に与えるのだ。フルトヴェングラーな何人にもまねることのできない伝説的な名指揮者であった、といえるのではないだろうか。かれの手により、ベートーヴェンの芸術が再創造されることの歓びが、半世紀以上をへた今日でも、新鮮な感動をもって伝わってくる。