じじぃの「人の生きざま_221_佐村河内・守」

交響曲第1番」より 第3楽章① 佐村河内 守作曲 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=0TQPgVMQ600
佐村河内守

佐村河内守と、オウム真理教麻原彰晃って、胡散臭さが似てませんか? 2014/2/9 Yahoo!知恵袋
回答
障害者をよそおいながら、他人を支配しようというところがそっくりです。
どちらも「反社会的人格障害」だと思われます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10120747985
新垣隆さんが告白「私が佐村河内守さんのゴーストライター 2014年02月05日 ハフィントンポスト
「現代のベートーベン」として知られる耳が不自由な作曲家の佐村河内守(さむらごうち・まもる)さんが「十数年前から別の人物に作曲を頼むようになった」と代理人を通じて発表した問題で、大学講師の新垣隆(にいがき・たかし)さんが「私がゴーストライター」と告白した。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/05/niigaki-takashi_n_4728709.html
NHKスペシャル 「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」 2013年3月31日
“現代のベートーベン”と呼ばれる日本人がいる。佐村河内守、49歳。14年前に原因不明の病で両耳の聴力を失いながら、クラシック作品の中で最も困難とされる交響曲を書き上げた。現存作曲家の交響曲が演奏される事がほとんどない中、彼の「交響曲第一番“HIROSHIMA”」は、広島、東京、京都、大阪など5回も演奏されただけでなく、一昨年発売されたCDは、音楽チャートでTOP10入りを果たしJ-POPと上位を競うなど、“偉業”とも言える空前のヒットを記録した。
そんな彼が、今取り組んでいるのは、東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム」。彼の曲に勇気づけられたと、多くの被災者から声が届いたことを受け、“鎮魂”の思いを強く願うようになったのだ。しかし、震災を体験した訳でもない自分に、納得できる鎮魂曲が作れるのか…。被災地を訪ね、被災した人たちとの交流を深めるなど、佐村河内の格闘の日々が続いている。
番組では、音のない世界の住人、佐村河内がいかにしてレクイエムを完成させるのか。3月上旬に予定されている宮城での演奏会に向けた制作現場に密着。さらに、彼の交響曲に救いを見いだした被災者たちの取材も加え、“命を削り、音を紡ぐ”作曲家・佐村河内守の実像に迫る。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0331/
佐村河内守 ウィキペディアWikipedia)より
佐村河内 守(さむらごうち まもる、1963年9月21日 - )は、広島県出身の作曲家。
【経歴】
被爆者を両親として広島県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)に生まれる。
2008年9月1日、広島市の広島厚生年金会館ホールで行なわれた「G8議長サミット記念コンサート〜ヒロシマのメッセージを世界に〜」にて『交響曲第1番』の第1楽章と第3楽章が広島交響楽団により世界初演される。同年、広島市民表彰(市民賞)を受ける。2009年、『交響曲第1番』は芥川作曲賞の選考過程で審査員である三枝成彰が推すも最終候補とならなかった。精神科に通院し、1日に15種類の薬を服用しつつ作曲活動を行っている。2010年4月4日、大友直人指揮の東京交響楽団により、『交響曲第1番』(広島初演版による改訂版)の第1楽章と第3楽章が東京芸術劇場で演奏された。同年8月14日、秋山和慶指揮の京都市交響楽団により、『交響曲第1番"HIROSHIMA"』全曲版が京都コンサートホールで演奏された。
2013年3月31日、佐村河内守を特集したNHKスペシャル「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」が放送される。番組では、『交響曲第1番』の成功、聴力を失った苦悩、東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム」作曲に至る経緯などが紹介された。

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2013年3月31日 NHKスペシャル 「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」より
東京芸術劇場で演奏を終えた後、拍手が鳴り響く映像が出てきた。
スタンディングオベーションのなか、迎えられたのは作曲家 佐村河内守さん。しかし、その称賛の声は彼には届かない。両耳の聴力が全く無いのだ。
米タイム誌の表紙が映像に出てきた。タイトルには「MUSIC GOES GLOBAL」と書かれている。
佐村河内守の名前は音楽で世界の有力誌でも高く評価され、現代のベートーヴェンと讃えられている。
最近の人気投票でも、ショパンブラームスなど偉大な作曲家と並び、彼の作品が選ばれた。現代に生きる作曲家としては唯一、1人である。
しかし、音のない世界の作曲は壮絶をきわめる。たえまなく襲う激しい耳鳴り。スピーカーのわずかな振動から音を感じとる。
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『それでも生きる。』というタイトルの本が出てきた。
佐村河内がこの冬、新たな曲を作り始めていた。東日本大震災(3.11)の被災地をのための「レクイエム(鎮魂曲)」。自らの交響曲が被災した人々を励ましている事実を知り、作曲を決意した。
さらに、背中を押したのが親を亡くした1人の少女との出会いだった。
佐村河内さん、「大切なお母さんを津波で亡くされて、非常な大きな闇を抱えている。でも凄く強く生きている子です。自分に出来ることは彼女の、そして彼女のママの魂を救うこと。僕は・・・。1人しか救えませんよ」
雪が降り積もっている宮城・石巻に向かっている自動車の映像が出てきた。
佐村河内は少女の住む宮城県石巻市に向かった。
メールのやりとりを重ねてきたが、実際に会うのはこの日が初めてだ。
佐村河内さん、「こんにちは。やっと会えたね」
梶原真奈美ちゃん。小学4年生。祖母の精子さんと暮らしている。
部屋の一角には亡くなった母親の写真が飾られている。母親の希久美さんは職場の水産加工会社で働いていたところ、津波で亡くなった。
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自宅に帰った後、机に東日本大震災で亡くなった方々が記載された名簿を見ている佐村河内さん。
手にしたのは震災で亡くなった人の氏名が印された名簿。一人一人の名前を指でなぞり、その無念さや痛みを感じとろうとする。
佐村河内さん、「読めば読むほど涙が出るし、その分、絶対に無責任なことは出来ない。だからすごく苦しい。怖い」
夜8時。佐村河内さん、「完成しました」
レクイエムが完成した。佐村河内はこの作業を出産に例え、とても神聖なものに考える。
出来上がったのはおよそ14分のピアノ曲。譜面には佐村河内が闇の中から掴みとった旋律が書きこまれていた。
石巻市立湊小学校の映像が出てきた。
そして、レクイエムが披露される日。場所は真奈美ちゃんが通っていた小学校の体育館だ。
体育館には地元の人々が大勢、待っていた。
ピアニスト田部京子さんが弾いたピアノ曲「レクイエム」が体育館に流れた。