じじぃの「人の死にざま_1061_A・ブルックナー」

アントン・ブルックナー - あのひと検索 SPYSEE
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Locus iste - Anton Bruckner 動画 デイリーモーション
http://www.dailymotion.com/video/xg3lul_locus-iste-anton-bruckner_music
アントン・ブルックナー 交響曲 第8番 から 「終楽章」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=5NLt-mjjEuM
アントン・ブルックナー ウィキペディアWikipedia)より
ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日) は、オーストリアの作曲家。
【人物・経歴】
1880年頃になるとウィーンでのブルックナーの地位も安定してくる。多くの教授職、さまざまな協会の名誉会員の仕事により年間2000グルデン(当時の平均的な4人家族の収入が700グルデン)の収入を得るようになる。この頃の代表作は交響曲第6番イ長調1881年)、交響曲第7番ホ長調(1883年)、テ・デウム(1881年)、弦楽五重奏曲ヘ長調(1879年)がある。なかでも交響曲第7番とテ・デウムはブルックナーに莫大な成功と名声を与え一気にブルックナーの名を知らしめることになった。
晩年のブルックナーは多くの尊敬を得ていたが、死の病に冒されていた。この時期には交響曲第9番ニ短調(未完成)やヘルゴラント(1893年)、詩篇150篇(1892年)が作曲されている。ブルックナーは1896年10月11日、ウィーンで72年の生涯を閉じた。生涯を通じて非常に信心深いローマ・カトリック教徒であった。また、晩年に至るまで多くの若い女性に求婚したが、結婚することはなかった。
1950年に発行された1000オーストリア・シリング紙幣と1962年に発行された25オーストリア・シリング硬貨に肖像が使用されていた。

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『クラシックがしみる!』  許光俊/著 青弓社 2012年発行
新しいブルックナーへの扉 (一部抜粋しています)
アントン・ブルックナーは、日本のクラシック愛好家にもっとも好まれている作曲家のひとりだ。1990年代以後に日本で特に神格化された指揮者たち、つまり、朝比奈隆、ギュンター・ヴァント、セルジュ・チェリビダッケが皆ブルックナーをレパートリーの中心にした音楽家だったことは、改めて驚くに足る事実である。また、エリアフ・インバルが広く人気を博すようになったのもブルックナーマーラーの録音のおかげだったし、ここ数年はやはり高齢のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキブルックナーの名演奏家としての特別の関心を寄せられているようだ。
つまり、クラシック音楽のある重要な側面、ありていに言えば、精神的な深遠を体現しているのがブルックナーだという共通了解が、1980年代あたりから日本の愛楽家のあいだにはっきりと成立したということになる。
もっともブルックナーがこんなにも愛され敬われるようになったのは、戦後のことである。1曲が約1時間かそれ以上かかる彼の交響曲は、SPレコードの手に負えるものではなかったし、LPにとっても少しばかり長過ぎた。ドイツ、オーストリアは別として、それ以外の地域ではCD時代になってブルックナーマーラーの大曲がぐんと身近になったことは間違いない。
愛読者を多く持つ音楽評論家の宇野功芳が別格の作曲家として賞賛したことも、ブルックナーが有名になった大きな理由のひとつだ。彼は、ブルックナーモーツァルトと同じくらいに偉大な作曲家だと断じた。しかもその本質は、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・シューリヒトなどごく一部の、ブルックナーの本質を理解している指揮者の演奏によらねば伝わらないと強調した。異論も多かろうが、こうしたインパクトが強い主張が啓蒙的な役割を果たしたことは間違いない。
ただ、もうブルックナーが十分認知されている現代においては、そろそろこのようないわば原理主義的な受容の仕方に一区切りつけてもいいのではないのかと私には思われる。つまり、特定の演奏家に拘泥せず、モーツァルトベートーヴェンのようにさまざまな演奏を受け入れればよいではないかということだ。
ブルックナーの音楽はいくつもの相反する面から成り立っている。ひとつは、柔らかな杼情性。心のこもった旋律が滔々と流れる音楽を彼は繰り返し書いた。その旋律はすがすがしい清潔感がするもので、同時代のワーグナーブラームスが書いた旋律のように、情念の薄気味悪い力を感じさせるようなものではなかった。かといって、氷のような冷たい美しさというわけでもなく、人肌のぬくもりややさしさを持っている。スケルツォ楽章では、素朴な踊りの音楽が鳴り出すこともある。チャイコフスキーがロシア的、ドヴォルザークチェコ的なのと同じ意味で、ブルックナーオーストリア的な作曲家だという評は的はずれではない。
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ブルックナーの作品は、楽譜の上ではそう複雑ではないがゆえに、指揮者の音楽観がそのまま表れてしまうような音楽である。クナッパーツブッシュにせよ、ヴィァントにせよ、チェリビダッケにせよ、演奏がうまくいけばいくほど、結局は作曲家ではなく指揮者の音楽を聴いているという気がしてくる。サロネンフィルハーモニア管弦楽団の『第六番』を生で聴いた時には、ところどころがバルトークのように聞こえておもしろかったが、これも指揮者の流儀でしかないように思えた。

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