じじぃの「本が好きだった・ドリアン・グレイの肖像その後?短編小説『未知の鳥類』」

スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」

動画 ted.com
https://www.ted.com/talks/susan_cain_the_power_of_introverts?language=ja#t-5023

内向的な性格の人?

『未知の鳥類がやってくるまで』

西崎憲/著 筑摩書房 2020年発行

一生に二度 より

よく転ぶ以外にみすずの特徴はもうひとつあって、空想癖がそれだった。
みすずはなにもしていないときにしばしば空想する。
みすずの空想は多岐にわたり、さらに年齢とともに手のこんだものになっていった。
たとえば、休暇がとれず旅行にいけない日々がつづくと、みすずはよく空想でそれを実行した。
どこかに旅をすると空想するわけではない。自分が現在いる場所を旅行で訪れたように空想するのだ。見慣れた土地をはじめて訪れたように想像するのである。
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大学2年のときだった。
大学は中央線の先にあった。
何人かで集まっていてオスカー・ワイルドの小説の話になった。
つづきを知っているとその人は言った。その先を知っていると。
その人はほかの大学の学生で、みんなでワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」の話をしていた。その場にいた者は英文学専攻が多かった。
有名な話だ。ドッペルゲンガーのヴィァエイションのひとつだろう。ドリアンの肖像はドリアンが悪行を重ねるにつれて醜くなる。そしてドリアンは最後に死ぬ。
誰かが――誰だったとうか、いまでは覚えていない――その省三はドリアンが死んだあと、どうなったんだろうと言った。
たぶん深い考えがあったわけではなかった。
誰かが発したその言葉を聞いてみすずは内心で微笑んだ。懐かしく思ったのだ。そういうことをみすずは子供の頃から考えてきたのだった。
多くのおとぎ話は結婚によって終る。なぜ結婚によって終るのか、それはみすずにとって疑問だった。人は結婚して幸福になるとはかぎらない。死だったらまだわかる。死は誰もが考える終りの形だ。その先にはたぶんなにもない。けれど結婚はどうだろう。結婚はただの過程ではないか。
いや、死だってそんなことを言えばただの過程だ。おとぎ話の世界自体が登場人物の死によって終ってしまうのはおかしい。主人公が死んでもその世界は主人公がいないままつづいていく。おとぎ話の世界の丘や城や道や家来や道化や乞食はそのまま生きつづける。
だから肖像がドリアン・グレイの死後にどうなるかというのは、ある意味ではみすずにとっておなじみの疑問だった。
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記憶は夢に似ているとみすずは思った。記憶の周囲は暗い。記憶は夜に似ている。
みすずはずっと本が好きだった。本は扉であり道だった。けれどあらゆる場所あらゆる時間には入ったことのないドアが無数にあり、入ったことのない小道が無数にあったのではないか。
そしてそこに誰かがひとりずつ立っていて自分を待っていたのではないか。
みすずは自分のところにやってきた者のことを考える。そして自分が会いに行った人間たちのことを考える。いまは待つことが重要なのかもしれないった。何かを待つのだ。たぶん夜を形にした者がくるまで。

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どうでもいい、じじぃの日記。
新型コロナウイルスによる感染症の対策が始まってから、「ソーシャル・ディスタンス」という言葉をよく耳にするようになった 。
もともと、私の場合は「3密」に縁のない生活をしてきた。
「みすずはずっと本が好きだった。本は扉であり道だった。けれどあらゆる場所あらゆる時間には入ったことのないドアが無数にあり、入ったことのない小道が無数にあったのではないか」
オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』。
青年ドリアン・グレイの願いは本当になり、ドリアンのさまざまな生の苦痛を、肖像画が引き受けるようになる。やがて肖像画は、だれにも修復不可能なほど醜くなっていく。
まだまだ、読みたい本はたくさんある。
寂しい人生? (^^;;