Einstein's Theory Of General Relativity Explained In Telugu | Theory Of Relativity | Dark Telugu
Einstein Visited Japan
『アインシュタインの旅行日記 - 日本・パレスチナ・スペイン - アルバート・アインシュタイン』
アルバート・アインシュタイン/著、Z・ローゼンクランツ/編、畔上司 /訳 草思社 2019年発行
日本と日本人についてのアインシュタインの見解 より
ここで、アインシュタインが旅行以前に日本についてどう思っていたかを見てみよう。すでに述べたように、日本からの招聘を了承した一因は、東方に対するアインシュタインの憧れだった。西洋在住の日本受容史専門家が指摘することだが、「東方という罠」は西洋人が日本に向かうときに常に重要な要因だった。1900年のパリ万国博覧会以後、この傾向は強まった。この博覧会は西洋における日本様式流行に大きなインパクトを与えた。日本の芸術と習慣に対する熱狂は「ジャポニスム」として知られている。
だがアインシュタインの日本への関心は、どうやら異国情緒への(そして空想的な)刺激のほうが強かったようだ。旅の途中で受けたインタビューで彼は、ギリシャ系アイルランド人の作家でジャーナリストのラフカディオ・ハーン(1896年に日本に帰化した)の作品が旅行前の自分の日本観に影響していたと述べている。訪日前のアインシュタインは、日本のことを「おとぎ話のような小さな家と小人(こびと)たちの国」だと思っていたと語っている。日本到着から3週間後に書き上げた日本印象記のなかでも彼は、日本に対して感じている全般的な神秘感情を指摘している。「わが国にいる多くの日本人は孤独な生活をし、熱心に学び、親しげに微笑んでいます。自分を守っているようなその微笑みの背後に流れている感情を解明できる人は一人もいません」。同文のなかでアインシュタインはこう認めている。「私は自分が日本について抱いていることすべてを明確な像にすることは今までできませんでした」
旅日記 日本、パレスチナ、スペイン 1922年10月6日~1923年3月12日 より
十六日と十七日。
緑の小島が無数に浮かぶ日本の海峡を通過。絶えず変化するフィヨルド風のすばらしい景観。十七日午後、神戸着。長岡、石原、桑木。長岡氏は、華奢で上品な夫人を同伴。それにドイツ領事とドイツ人協会、シオニストたちが歓迎。大騒ぎ。船上に多数のジャーナリスト。サロンで30分間のインタビュー。大勢の人々といっしょに上陸。波止場近辺のホテルで息抜き。
晩に、教授たちと2時間の列車の旅。軽快な車両。乗客たちは窓沿いに長く2列に座っている。京都では、通りや、小さくて感じのいい家々が魔法のような光に照らされている。少し高いところにあるホテルまで車で行く。下の町はまるでまるで光の海。強烈な印象。愛くるしくて小柄な人たちが、通りを早足にカタカタ歩いている。ホテルは大きな木造建築。みんなで食事。狭い個室に、華奢で上品なウェイトレスたち。日本人は簡素で上品。とても好ましい。
晩、科学について会話。いろいろあってとても疲れた。
十八日。
朝。京都を車で回る。寺。大きな庭園、壁と堀で囲まれた古風な宮殿、すばらしい由緒ある日本建築(中国建築の変種だが、あれより簡素だしバロック調ではない)。通りにはとてもかわいらしい生徒たち。午前9時から午後7時は、雲ひとつない空のもと、展望車で東京へ。湖と入り江に沿っての旅。峠の上に富士山、雪に覆われて遠くまで陸地を幸福に輝かせている。富士山近くで無類の日没。森と丘の壮大なシルエット。村々は好ましいし清潔。きれいな学校。土地は念入りに耕作されている。日没後、ジャーナリストたちが列車内に。いつもどおりばかげた質問。
東京到着! 人だかり、写真撮影のフラッシュ。マグネシウムの無数のフラッシュですっかり目がくらむ。ステーション・ホテルの食堂に一時避難。学士院、ドイツ人、協会代表者たちが歓迎。疲労困憊でホテル[帝国ホテル]に到着するが、巨大な花輪と花束に囲まれる。その後もベアリーナー夫妻の訪問。生きたまま埋葬。
十九日。
1時半~4時、および5時~7時は、大学の講堂で、内容を小分けにしながら講演。通訳は石原。石原のいでたちは絵のような着物姿だったので、贖罪者にして僧侶のような感じ。
二〇日。
長岡が、植物園での学士院の昼食会にと私たちを迎えに来てくれた。学士院の面々は真心がこもっていた。長岡は私たちの送迎をしてくれた。祝賀のメッセージが読み上げられたあと、その書面が私に手渡されたので、私は短く謝意を述べた。
山本および改造社の社員たちとホテルで夕食。それから、歌と踊りのついた日本の芝居。女役を男が演じる。観客は家族みんなで、床に区切られた狭い囲いに座り、生き生きと参加している。1階席を通って舞台に行く通路が複数あるが、その通路も舞台の一部。役柄は明確に定型化。男性3名の合唱が絶え間なく続くのは、身さの聖職者に似ている。オーケストラは舞台後方にいて一種の籠(かご)のなか。舞台装置はまるで絵画のよう。音楽はリズムと感情を表現する鳥のさえずりのようだが、管弦楽のような論理性とまとまりには欠ける。俳優たちは感情過多に演じていて、見た目の効果に専念。
その後、稲垣および山本夫妻と、屋台のあるショッピング通りをぶらぶら歩いたが、そこには子供向け、大人向けのあらゆる小物が売られていた。どこもかしこも明かりに照らされていたが、かなり寒かったので人出は少なめ。大きな商店街と車道は10時頃には閑散。私たちは魅力的な小レストランに入っておしゃべり。それから、果物と葉巻を持ってホテルに戻るが、これらは山本からいただいたありがたい贈り物。