じじぃの「歴史・思想_52_アインシュタインの旅行日記・京都御所を訪問」

Albert Einstein with his wife Elsa in 1923.

The Kyoto Imperial Palace

Einstein's Trip to the Far East and Palestine

1922年~1923年
“I have an unimaginable longing for solitude, and that's why I'm traveling to Japan (in October), because that entails 12 weeks of rest at sea”
https://artsandculture.google.com/exhibit/QQpRfXM-

アインシュタインの旅行日記 - 日本・パレスチナ・スペイン - アルバート・アインシュタイン

アルバート・アインシュタイン/著、Z・ローゼンクランツ/編、畔上司 /訳 草思社 2019年発行

旅日記 日本、パレスチナ、スペイン 1922年10月6日~1923年3月12日 より

十六日と十七日。

緑の小島が無数に浮かぶ日本の海峡を通過。絶えず変化するフィヨルド風のすばらしい景観。十七日午後、神戸着。長岡、石原、桑木。長岡氏は、華奢で上品な夫人を同伴。それにドイツ領事とドイツ人協会、シオニストたちが歓迎。大騒ぎ。船上に多数のジャーナリスト。サロンで30分間のインタビュー。大勢の人々といっしょに上陸。波止場近辺のホテルで息抜き。
晩に、教授たちと2時間の列車の旅。軽快な車両。乗客たちは窓沿いに長く2列に座っている。京都では、通りや、小さくて感じのいい家々が魔法のような光に照らされている。少し高いところにあるホテルまで車で行く。下の町はまるでまるで光の海。強烈な印象。愛くるしくて小柄な人たちが、通りを早足にカタカタ歩いている。ホテルは大きな木造建築。みんなで食事。狭い個室に、華奢で上品なウェイトレスたち。日本人は簡素で上品。とても好ましい。
晩、科学について会話。いろいろあってとても疲れた。
     ・

七日。

ドタンバタンと、喧嘩もどきの大騒ぎをしてスーツケースを閉じる。ベーアヴァルトもそこにいた。駅に向かう。東京もこれで最後。石原、稲垣、山本夫妻といっしょに名古屋へ。私は日本の印象記を大急ぎで書くのに忙しい。到着。学生や生徒たちが集団で歓迎。カエデに飾られたレストランで、改造社の社員4人も加わりみんなでくつろぎながら夕食。稲垣の部屋に集まる。ホテル内でミヒャエリスと会った。

九日。

朝、名古屋の中央通りを駅まで散歩。パイプタバコを買おうとしたが買えなかった。山本、稲垣、石原といっしょに神社を訪問。広大な聖域の森。そのなかにある寺院群と中庭。優雅で流暢な木造建築。簡素。魂のための、内部が空虚な家々。南方から伝来したに相違ない。屋根の延長部分が特徴的。
自然宗教を国家が利用している。多神教。祖先と天皇を崇拝。神社建築の主役は樹木。駅で学生や教授たちの盛大な見送りを受けて京都に向かう。京都で大学教授たちや学生たちの友好的な歓迎。

一〇日。

10時半~12時と1時から3時、京都で講演。ホールはすばらしかったが、とても寒かった。それから、皇室の庭園と御所を訪問。御所は私が今まで見たなかで最も美しい建築だった。まわり中が建物で囲まれている。席見の間(ま)と戴冠の間は、砂が敷かれた中庭に面して開かれている。天皇は神の位置にある。本人にとってはとても厄介なことだ。中庭からは、戴冠の間にある耐寒用の椅子が見える。40年ほどの――中国の――政治家の肖像があったが、これは日本が中国から文化的影響を受けたことを評価していればこそ。外国の師への尊敬の念は、今は日本人には見られる。ドイツで学んだ多くの日本人はドイツ人の師を敬服している。ことによると細菌学者コッホを記念して殿堂が建てられるかもしれない。皮肉や疑念とはまったく無縁な純然たる尊敬の心は日本人の特徴だ。純粋な心は、他のどこの人々にも見られない。みんながこの国を愛して尊敬すべきだ。

一二日。

午前中、一休み、午後2時、すばらしい風景が(金地に描かれた雪、木、鳥、滑稽なトラ)のある徳川の古城へ行く。絵が梁(はり)によってわけられれいるため壁がないように見え、空間が内部から、信じられないくらい多彩な戸外へと続いている。石原といっしょに、計量可能な等方性物質における電磁場のエネルギー・テンソルを計算。これは日本学士院の紀要への共同論文のため。

一三日。

神戸に行く。山本および有能な若い社会政策家と神戸近郊の漁村(行楽地)で昼食。5時間~8時、石原の通訳で講演。領事トラウトマン家で夕食。それからドイツ人協会で歓迎会。妻と2人だけで鈍行に乗る(京都到着は午前1時)。

一四日。

大学教授たちとお祝いの昼食会。大勢の学生が習合。学長と学生代表が、申し分のないドイツ語で挨拶(とても心がこもっていた)。それから、(リクエストを受けて)私が相対性理論の誕生話を講演。物理学教室を訪問(とても興味深かった。特にスペクトル線の分布に関する木村の研究)、晩に東京から長岡がやってきて、東京大学からの見事なプレゼントで一杯のスーツケースを持参。

一五日。

長岡との別れ。見事な寺を訪れる。死者の追悼ミサを行なう場所。僧侶たちが親切な出迎え。大鐘を観光。金の外側を横に打つ方式。寺の前には開花している桜。
大学の物理学研究所で、写真撮影と小規模な歓迎会。討論集会。黄昏時に、山腹に建つ神社の高い支柱を何本か見る。それから、華麗な照明を浴びた高級店が並ぶ大賑わいの通りを訪れる。筆舌に尽くしがたい陽気な光景で、まるでオクトーバー・フェストみたい。提灯と小旗だらけ。路面はきわめて汚いが、ほかはすべてぴかぴかに輝いていて絢爛豪華。

一六日。

早朝、ホテル近くの丘の麓にある西本願寺へ。風景のなかに人間が調和していて、イタリア・ルネサンスを思い出す。肖像画や集団を描いた絵は皆無。午後、絶好の位置にある琵琶湖と、建築がほぼ完ぺきな非常に古い岩の寺。晩、手紙を何通か書いた。

一七日。

絹の店に妻と行く。見事な景色と動物の刺繍。午後、日の入りを見に一人で丘に登る。日本の森(カエデ)と光の効果に比類ない。晩、奈良に行く。ガキ(稲垣)と一緒に歩いてホテルへ。とても趣味がよく、なかば和風で秀逸。