じじぃの「生まれるのが100年早かった男?オスカー・ワイルドの生涯」

オスカー・ワイルド

O narcisimo de Dorian Gray

文藝春秋』 特集 「戦前生まれ115人から日本への遺言」 2016年9月号
「いつまでも紙の本を」 【執筆者】ピーコ(ファッション評論家 1945年生) より
本の虜になったのは、小学校3年生の時。うちはあんまりお金はなかったけれど、父が誕生日に『芥川龍之介全集』を買ってくれてむさぶるように読みました。中学時代には三島由紀夫松本清張を手に取り、高校時代は毎日のように学校の図書室へ。いまでも時間があれば書店に足を運び、まずは表紙をめくってみます。決め手は最初の1行に惹かれるかどうか。読みたい本が多すぎて、今は部屋中、本の山です。
人生は限りがあるけれど、本を読むことで世界を広げていくことができる。こんなすごいことってないと思うんです。「なんでこんなことを考えつくのかしら」と作家の才能に驚愕したり、海外の文化に触れたり……。それから、行間を読んであれこれ想像を巡らすのも本ならでは。実際に人と話すときには、読書で養った想像力がとっても役に立ちます。
小さい時からずいぶんと本を読んできたなかで、一番のお気に入りはオスカー・ワイルドの『幸福の王子』。建石修志さんの美しい挿絵に惹かれたのが最初ですが、大人になってからも読んでいたくていつも手元に置いています。ちょっと切なくって、素敵なお話です。

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オスカー・ワイルドの生涯―愛と美の殉教者』 山田勝/著 日本放送出版協会 1999年発行
プロローグ より
この男の若い頃、つまり、希望と野心に満ちていた頃、すでに「芸術生活とは、長い自殺行為なのだ」と手紙に記している。
そして彼の全盛期にも「存在することと生きることとは全く別のことだ」と述べている。このような人生哲学を持ち続けたこの男にとっては、絶望と敗北と恥辱と貧困に襲われ、ただ「存在」しているだけでは、生きているとは思えなかったのだろう。ある仕事の依頼を受けた時、彼は「私にはすでに創作のためのイマジネーションはなくなっている」とそれを拒んでいる。
この男は一時、高い名声と栄光を手にし、「時代の寵児」ともなった。しかし彼は社会に、そして友人に裏切られ、没落していった。彼は誰をも恨まなかった。すべては「自分の責任」とし、自ら死神を呼んだのである。世間から何と言われようが、自分の生きざまを貫きとおし、裏切られながらも人を愛し、最後まで自己責任をとった人物である。この男こそ、イギリスのみならず、フランスの芸術家たちにも多大な影響を与えた「19世紀最大の芸術家」オスカー・ワイルドである。
後世、歴史に名を残した人々、例えばアンドレ・ジッド、マルセル・プルースト、W・B・イェイツ、バーナード・ショーなどもワイルドの存在なしに語れない。それにも関わらずイングランドはワイルドを社会から追放した。そして追放の姿勢を、ワイルドの死後も崩すことはなかった。
しかし近年になって、過去のノーベル賞作家たちも忘れ去られていく中で、ワイルドの評価は高まり、ついにイングランドもワイルドの偉大性を認めざるを得なくなった。後で触れることになるが、ワイルドが投獄されてから百年後の1995年、ワイルドの名が、ウェストミンスター大寺院の「ポエツ・コーナー」に刻まれることになった。
ワイルドは生まれるのが早すぎた。彼の思想や言動が、あまりにも現代的なのだ。百年以上前のイギリス、ヴィクトリア時代のイギリスは、ワイルドを理解する能力がなかった。現代はワイルドを理解する。そして現代人こそがワイルドに教えてもらう意義を持つ。自分の生き方に悩む多くの人々は、ワイルドからその示唆を期待していいだろう。ワイルドこそ、現代人にとっては「偉大なる神」となる人物である。

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どうでもいい、じじぃの日記。
2016年9月号 『文藝春秋』特集 「戦前生まれ115人から日本への遺言」を読んでいたら、評論家ピーコさんの「いつまでも紙の本を」というのがあった。
「小さい時からずいぶんと本を読んできたなかで、一番のお気に入りはオスカー・ワイルドの『幸福の王子』。建石修志さんの美しい挿絵に惹かれたのが最初ですが」
オスカー・ワイルドの代表作品といえば、『ドリアン・グレイの肖像』だろうか。
肖像画が自分を映し出す鏡のように、生と死の内面を描いているような作品だった。
そのワイルドは同性愛者であった。そしてそのために裁判にかけられ投獄されたこともあった。
この『文藝春秋』の「戦前生まれ115人から日本への遺言」には、女優吉村和子さんが「人間が変わる」で小林多喜二のことをを書いていた。
しかしなぜ、多喜二は『蟹工船』という小説を書いただけで殺されなければならなかったのだろうか。
オスカー・ワイルド小林多喜二は、生まれるのが早すぎたのだろうか。