じじぃの「歴史・思想_273_ハラリ・21 Lessons・戦争」

US rejects China's claims in South China Sea drawing Beijing ire

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7wksRx0puDs

South China Sea.

Why the Next Missile Crisis… Could Be in the South China Sea

February 19, 2016 Voice of Djibouti
For several years, now, we’ve warned of the looming military showdown in the South China Sea.
http://voiceofdjibouti.com/why-the-next-missile-crisis-could-be-in-the-south-china-sea/

『21 Lessons』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行

11 戦争――人間の愚かさをけっして過小評価してはならない より

過去数十年間は、人間の歴史上最も平和な時代だった。暴力行為は、初期の農耕社会では、人間の死因の最大15パーセント、20世紀には5パーセントを占めていたのに対して、今日では1パーセントにすぎない。とはいえ、2008年のグローバルな金融危機以降、国際情勢は急速に悪化しており、戦争挑発が再び流行し、軍事支出が急増している。1914年にオーストリア皇太子の暗殺がきっかけで第一次世界大戦が勃発したのとちょうど同じように、2018年にはシリアの砂漠で何か事件が起こったり、朝鮮半島で誰かが無分別な行動を取ったりしてグローバルな争いが引き起こされはしないかと、素人も専門家も恐れている。
世界の緊張の高まりと、ワシントンや平壌ピョンヤン)、その他数ヵ所の指導者の指導者の性格を考えると、心配の種は間違いなくある。とはいえ、2018年と1914年の間には、重要な違いがいくつかある。具体的には、1914年にも世界中のエリート層は戦争に大きな魅力を感じていた。なぜなら、戦争で勝利を収めれば経済が繁栄し、政治権力を伸びることを示す具体例に事欠かなかったからだ。それに対して2018年には、戦争による成功は絶滅危惧種のように珍しいものに見える。
アッシリアや秦の時代から、大帝国はたいてい力ずくの征服によって築かれた。1914年にも、主要国はみな、戦争での勝利によってその地位を得ていた。たとえば大日本帝国は中国とロシアに対する勝利でアジアの大国になり、ドイツはオーストリアハンガリーとフランスに勝ってヨーロッパの最強国の座に就き、イギリスは各地で次々に小さな戦争を見事に勝ち抜いて世界で最も大きく裕福な帝国を築いた。
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悲しいかな、21世紀には戦争が損な企てであり続けたとしても、平和の絶対的な保証にはならない。人間の愚かさは、けっして過小評価するべきではない。人間は個人のレベルでも集団のレベルでも、自滅的なことはやりがちだから。
1939年、枢軸国にとって戦争はおそらく、望ましい結果をもたらす手段ではなかっただろうが、それでも世界はその戦争を免れられなかった。第二次世界大戦に関して驚嘆するべき点の1つは、戦後、敗戦国がかつてないほど繁栄したことだ。ドイツとイタリアと日本は、軍隊が完全に壊滅し、帝国もすっかり崩壊してから20年後、前例のないレベルの豊かさを享受していた。それならなぜ、彼らはそもそも戦争を起こしたのか? なぜ厖大な数の人々に不要な死と破壊をもたらかしたのか? すべては馬鹿げた計算違いにすぎなかった。1930年代に日本の将軍や提督、経済学者、ジャーナリストたちは、朝鮮半島満州と中国沿岸部の支配権を失えば、日本は経済が停滞する運命にあるということで意見が一致した。だが、彼ら全員が間違っていた。じつは、名高い日本経済の奇跡は、大陸に持っていた領土をすべて失った後に、ようやく始まったのだ。
人間の愚かさは、歴史を動かすきわめて重要な要因なのだが、過小評価なのだが、過小評価されがちだ。政治家や将軍や学者たちは世界を、入念で合理的な計算に基づいてそれぞれの手が指される巨大なチェスの勝負のように扱う。これはある程度まで正しい。駒をでたらめに動かすような、狭い意味で頭のおかしい指導者は、歴史上稀だ。東条英機サダム・フセイン金正日は、合理的な理由に基づいてそれぞれの手を指した。問題は、世界がチェス盤よりもはるかに複雑で、人間の合理性では本当に理解できない点にある。したがって、合理的な指導者でさえ、はなはだ愚かなことを頻繁にしでかしてしまうのだ。
では、世界大戦をどれだけ恐れるべきなのか? 両極端の考え方は避けるのが最善だ。一方で、戦争は断じて不可避ではない。冷戦が平和な形で終ったことからわかるように、人間が正しい決定を下したときには、超大国の争いさえ、平和に解決できる。そのうえ、新たな世界大戦が避けられないと決めてかかるのは、とりわけ危険だ。それは自己成就予言となってしまう。各国は、戦争は避けられないと思い込めば、軍を増強し、果てしない軍拡競争に乗り出し、どんな争いにおいても譲歩を拒み、善意の意思表示は罠にすぎないのではないかと疑う。そうなれば、戦争の勃発は確実になる。
その一方で、戦争は不可能だと決めつけるのは考えが甘い。たとえ戦争はどの国にとっても壊滅的な結果をもたらすとしても、人間の愚かさから私たちを守ってくれる神もいなければ、自然の法則もない。

人間の愚かさの治療薬となりうるものの1つが謙虚さだろう。

国家や宗教や文化の間の緊張は、誇大な感情によって悪化する。すなわち、私の国、私の宗教、私の文化は世界で最も重要だ。だから私の権益は他の誰の権益よりも、人類全体の権益よりも優先される優先されるべきである、という思いだ。世界に占める真の位置について、国家や宗教や文化にもう少し現実的で控えめになってもらうのは、どうしたらいいだろう?