じじぃの「歴史・思想_268_ハラリ・21 Lessons・文明」

Clash of Civilizations map

文明の衝突 上 (集英社文庫) 2017/8 サミュエル・ハンチントン (著) Amazon

世界はどこへと向かうのか?各地で多発する民族紛争と文明間の軋轢の本質とは何か?著者は世界を、西欧・中国・日本・イスラムヒンドゥー・スラブ・ラテンアメリカ・アフリカの8つの文明に分け、冷戦終結後の様々な紛争をこれら異文明間の衝突ととらえた。
各界に大きな衝撃を与え、侃々諤々の大議論を呼んだハンチントン仮説のインパクトは、21世紀の今も全く色褪せることがない。

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『21 Lessons』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行

6 文明――世界にはたった1つの文明しかない より

マーク・ザッカ―バーグがオンラインで人類を統一することを夢見ているのに対して、オフラインの世界で最近起こっている出来事は、「文明の衝突」という見方に新しい命を吹き込んでいるように見える。多くの有識者や政治家や一般市民は、シリアの内戦やイスラミックステート(イスラム国)の台頭、ブレグジット騒動、EUの不安定な状態はみな、「西洋文明」と「イスラム文明」の衝突に起因すると信じている。西洋がイスラム諸国に民主主義と人権を押しつけようとしたため、イスラム教の暴力的な反発を招き、イスラム教徒の移民の波とイスラム教徒によるテロ攻撃が相まって、ヨーロッパの有権者は多文化の夢を捨て、外国人を嫌って地元のアイデンティティを優先する道を選んだというわけだ。
文明の衝突という見方によれば、人類はこれまでずっとさまざまな文明に分かれて暮らしており、異なる文明に属する人は、相容れない世界観を持っているという。これらの相容れない世界観のせいで、文明間の争いは避けられない。自然界では冷酷な自然選択の法則に従ってさまざまな種が生存競争を繰り広げるのとちょうど同じで、文明は歴史を通して衝突を繰り返し、適者のみが生き延びてきたのだ。自由主義の政治家であれ、空想に耽る技術者であれ、この厳然たる事実を見過ごす人は、重大な過ちを犯している。
文明の衝突」という見方には、広範に及ぶ政治的意味合いがある。この見方を支持する人は、以下のように主張する。「西洋」と「イスラム世界」との折り合いをつけようとする試みはすべて失敗に終わる運命にある。
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無数の演説や文書が、古代アテネの民主主義を今日のEUと一直線に結び付け、2500年に及ぶヨーロッパの自由と民主主義うぃ褒め称える。だがそれを聞くと、目の見えない人がゾウの尾を手に取り、ゾウは刷毛のようなものだと結論する有名な話が思い出される。たしかに民主主義的な考え方は、何世紀にもわたってヨーロッパ文化の一部だったが、それがけっしてすべてではない。アテネの民主主義はたっぷり称賛され、大きな影響を与えてきたとはいえ、バルカン半島の一隅でせいぜい200年しか続かなかった及び腰の実験にすぎない。もしヨーロッパ文明が過去25世紀間、民主主義と人権を特徴としてきたのなら、スパルタやユリウス・カエサル、十字軍やスペインの征服者、異端審問や奴隷貿易ルイ14世やナポレオン、ヒトラースターリンはどう考えたらいいのか? 彼らはみな、どこかよその文明からの侵入者だったのか?
実際には、ヨーロッパ文明はヨーロッパ人が思っているものには程遠く、それはキリスト教キリスト教徒が思っているものには程遠く、イスラム教はイスラム教徒が思っているものには程遠く、ユダヤ教ユダヤ教徒が思っているものには程遠いのとちょうど同じだ。
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私たちが最も頻繁に争う相手は、身内の人だ。アイデンティティは合意よりも争いやジレンマを特徴とする。2018年にヨーロッパ人であるとは何を意味するのか? それは、白い肌をもっていること、イエス・キリストを信じていること、自由を支持することではない。むしろ、移民やEU、資本主義の限界について激しい議論を戦わせることを意味する。また、「何が私のアイデンティティを決めるのか?」と、執拗なまでに自問したり、高齢化や消費拡大主義の蔓延や地球温暖化などについて心配したりすることも意味する。争いやジレンマの点で、21世紀のヨーロッパ人は1618年と1940年の先人とは違うが、中国やインドの貿易相手にはしだいに似てきている。
将来どんな変化が私たちを待ち受けているにせよ、それらは異質の文明どうしの衝突というよりはむしろ、単一の文明内の兄弟喧嘩を伴う可能性が高い。21世紀の大きな難題はみな、本質的にグローバルだ。気候変動が生態系の崩壊を引き起こしたらどうなるのか? ますます多くの任務でコンピューターが人間を凌ぎ、しだいに多くの仕事で人間に取って代わっていったらどうなるのか? 人間をアップグレードし、寿命を延ばすことが、バイオテクノロジーのおかげで可能になったら何が起こるのか? こうした問題をめぐって大論争になり、激しい争いが起こることに疑問の余地はない。だが私たちは、そうした議論や争いでばらばらになりそうもない。その正反対だ。私たちは、なおいっそう頼り合うようになるだろう。人類は円満なコミュニティを築き上げるには程遠いが、私たちはみな、単一の混乱したやかましいグローバル文明の成員なのだ。
それならば、世界の大半を呑み込みつつあるナショナリズムの波は、どう説明すればいいのか? 私たちはグローバル化に熱狂するあまり、古き良き国家という者を早まって退けてしまったのか? 伝統的なナショナリズムはへの回帰は、絶望的なグローバル危機の解決策となるのか? もしグローバル化がそれほど多くの問題をもたらすのなら、グローバル化などきっぱりと断念してしまえばいいではないか?