じじぃの「歴史・思想_20_世界史大図鑑・ガンディー」

Story of Indian Independence

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SXmoiznfakk

India, Gandhi

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

世界が眠っていて、時計が午前零時を告げるとき、インドは生と自由に目覚める インドの独立と分割(1947年)

100年以上にわたって、インドはイギリス帝国の最重要地だったが、1947年8月14日から15日へと日付が変わった瞬間に独立国家となった。しかしこの独立は、いまだ癒えていない社会的、地理的な古傷を開くことになった。
新たなインド国家は、ふたつの独立国家に分裂した。イスラム教徒が多数を占めるパキスタンと、ヒンドゥー教徒が多数派のインドである。北西地域と北東地域でイスラム教徒が多数を占めていたので、パキスタン自体もまたふたつに分裂した。

マハトマ・ガンディー より

インド国民の指導者で、「偉大なる魂」を意味するマハトマという名で知られるマハトマ・ガンディー(1869年~1948年)は、インドをイギリスからの独立へ導いた。ヒンドゥー教徒の家に生まれ、イギリスで法律を学んだあと、南アフリカで20年間を過ごし、現地のインド人の権利擁護のための活動をおこなった。
インドの政治には1919年からかかわり、すぐにだれもが認める独立運動の指導者となった。ガンディーはサティヤーグラハ(魂の力あるいは消極的抵抗)の原則を説き、それをイギリスに対して用いて大きな効果を得た。小さな共同体のよさを信じて質素な生活をし、インドの工業化に反対を唱えた。
ガンディーの生涯の仕事は、1947年にインドがようやく独立を勝ちとることで全うされたが、イスラム教徒へ譲歩したことから、翌年、ガンディーのせいでインドが分裂したと非難するヒンドゥー教の信者に暗殺された。ただし、ガンディー自身はインド亜大陸の分割には強く反対していた。

自由を得る植民地

第2次世界大戦後、ヨーロッパの宗主国、おもにイギリス、フランス、オランダ、ポルトガルが、変化は不可避だと認識するようになった。ビルマやセイロン(1948年)のように平和的手段で独立を勝ちとった植民地もあったが、列強が植民地を手放そうとしないことも多かった。
第2次世界大戦中、自身もおもな帝国主義国家だった日本が、ヨーロッパ列強をアジアから駆逐した。1845年の日本降伏後のアジア各国では、ヨーロッパ諸国の植民地に逆もどりをするのではなく、独立を求める民族主義の機運が高まった。
インドネシアでは、ナショナリズム運動の指導者スカルノが1945年にインドネシア共和国の独立を宣言した。オランダが支配を回復しようと兵を送り、それにつづく2度の軍事行動によって、推定15万人のインドネシア人と5,000人のオランダ兵が死亡した。国際社会からの圧力に屈して、1949年にようやくオランダはインドネシアの独立を認める。
第2次世界大戦中に日本人が占領していたマラヤでは、人々が一体となって、ナショナリズム感情が大いに高まった。1948年にイギリスがこの動きを弾圧すると、マラヤ共産党が先鋭化して激しく抵抗した。これを受けてイギリスは非常事態を宣言し、中国系住民の「共産主義テロリスト」に対してきびしい軍事行動を展開した。マラヤの独立がようやく認められたのは1957年のことだった。