じじぃの「人の生きざま_742_マリーヌ・ルペン(フランス国民戦線の党首)」

近づく仏大統領選 極右FNルペン候補支持者の声 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JAlMcot1gw4
Marine Le Pen

フランス大統領選、“極右政党”マリーヌ・ルペンの勢いが止まらない 2017年03月11日 文春オンライン
渦中にあるマリーヌ・ルペンとは何者か。
父のジャン=マリー・ルペンは、ナチスユダヤ人虐殺を「第2次大戦の些末事」と放言した悪名高い人物。
1968年、マリーヌは3人娘の末っ子として生まれた。8歳の時、自宅を爆破され、アルジェリア独立に反対して国民戦線を結党した父への憎悪を思い知る。16歳の時、最愛の母が父の伝記作家と駆け落ち。それを境に父の国民戦線にのめり込み、18歳で入党。パリ大学で法律を学び、公選弁護士として活動、国民戦線の法律顧問も務める。2011年に党首となってからは「脱・悪魔化」を掲げて、党のイメージチェンジを図り、父を追放している。
http://blogos.com/article/213581/
ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か』 水島治郎/著 中公新書 2016年発行
グローバル化するポピュリズム (一部抜粋しています)
ヨーロッパでは、21世紀初頭まで統合と拡大を進めてきた超国家組織・EUが、今やポピュリズムの最大の標的となり、その活動の舞台となっている。もはやポピュリズムは国内政治の枠にとどまるものではなくなったのである。
もともと1990年代以降、EUでは「民主主義の赤字」がしばしば指摘されてきた。欧州委員会欧州理事会、各国政府、欧州議会などさまざまな機関が絡み合い、複雑な調整を経て政策が決定されていくEUにおいては、加盟国の国民が政策形成に与える影響は間接的なものにとどまり、直接参加の方法はほとんど存在しなかった。各国レベルにおける民主主義の発展を比べると、EUは民主主義が欠如し、、「赤字」状態にあると見なされたのである。
そもそも政策過程が複雑で、官僚と政治家による調整型の政治が優位に立つEUは、まさに「実務型」の政治の典型であった。その意味では、次なるポピュリズムのターゲットとしてふさわしい対象だったともいえる。特に2014年の欧州議会選挙は、各国でEU批判を掲げるポピュリズム政党が大幅な躍進を遂げ、一気にポピュリズムをヨーロッパレベルの政治舞台に引き上げる機会となった。
      ・
このヨーロッパレベルのポピュリズムの広がりを考えるうえで重要なことは、ヨーロッパ統合を原加盟国として推進してきた中核国、特にフランスとドイツの両大国において、ポピュリズム政党をめぐり新たな展開が生じていることである。
まずフランスから見て見てみよう。
2002年の大統領選挙で決戦投票に進出を果たし、地方選挙などでも一定の成果を挙げるに至った国民戦線であるが、それでも越えられない「壁」があった。創設以来党首を務めてきたジャン=マリー・ルペンは、その右翼活動家としての経歴、反ユダヤ主義的な姿勢もあり、「極右」政治家のイメージを払拭することはできなかった。彼が指導者にとどまる限り、国民戦線が幅広く集権者に受け入れられ、10%強にとどまる得票率を引き上げることは難しかったのである。
その国民戦線に新たな道を開いたのが、2011年に新党首に選ばれた、ジャン=マリー・ルペンの三女のマリーヌ・ルペンである。
マリーヌ・ルペンが目指したのは、国民戦線の「現代化」である。フランス政治研究者の畑山敏夫が指摘するように、彼女は国民戦線のなかに残る極右的な遺産を払拭し、党のイメージを改善することで、ほかのヨーロッパのポピュリズム政党のような幅広い支持を集め、政権獲得への道を開こうとした。彼女はグローバル化批判やEU批判を前面に出すとともに、ユーロクラット(EU官僚)によって置き去りにされたフランスの民衆に配慮すべきことを訴える。
特に彼女が重点を置いたのが、イスラム批判である。彼女はフランス共和主義の掲げてきたライシテ原則(世俗主義)に立ち、イスラム移民による「フランスのイスラム化」を問題視するとともに、「政教分離を認めない」イスラムを批判するという論法をとる。かつての国民戦線は、カトリック伝統主義の流れを汲み、フランス共和主義やライシテ原則にも否定的な立場をとっていたが、彼女はその立場を逆転させ、フランス国民に広く受け入れられている共和制の原理を受け入れたうえで、イスラムを批判する。また彼女は、同性愛者やマイノリティの権利擁護も訴えつつ、同性愛やマイノリティの存在を認めないとしてイスラムを批判する。
マリーヌ・ルペン自身、離婚経験があり、働きながら子育てをし、現在は事実婚生活を送るなど、「現代的」なライフスタイルをとる女性である。女性をはじめ、幅広い有権者に一定の親しみを覚えさせることも不可能ではない。こうして彼女ものとで国民戦線は、その極右イメージを薄れさせることに成功した。欧州議会選挙での躍進は国際的な注目を浴びたが、2015年の地方議会選挙でも各地で進出を果たしている。
今や国民戦線は、一歩一歩ハードルを越えて極右の狭い世界を脱し、フランス政治における「3大政党」の一角を占めるに至ったのである。