じじぃの「歴史・思想_249_レイシズム・人種間で優劣はあるのか」

Interview with Ruth Benedict for "The Great Depression" Pilot Episode

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GtVcHxapNC8

ルース・ベネディクト:Ruth Fulton Benedict, 1887-1948

1887.06.05 ニューヨーク州シナンゴ・ヴァレーで生まれる。はしかにより片耳(どち ら?)の聴力を失う。
1940 『人種:科学と政治』Race : science and politics / by Ruth Benedict. -- Rev. ed., with The races of mankind, by Ruth Benedict and Gene Weltfish. -- Viking Press, 1945[1940](→「人種」)
1948 7月コロンビア大学教授に昇進。9月17日に冠状動脈血栓症で死去(61歳)。
1948 12月 社会思想研究会出版部より上下巻で長谷川松治訳『菊と刀』が出版される(諸訳あわせて1996年までに累計230万部販売された――角田「解説」による)。
https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030807benedict.html

まえがき より

現代では、人種をめぐる個々の課題への発言と、レイシズムの粗雑な言説が区別されないで一緒くたにされている。そのような現状を変えるために、わたしはこの本を書いた。右に挙げた2つを、まったく異質なものとしてはっきりと区別するために。人種についての科学的知見とレイシズムの罵詈雑言はまったくの別物である。異なる歴史があって、それを行う人々も、参照しているデータも違っている。
本書の第1部には、人種(race)に関して科学がこれまで明らかにしたことを記した。第2部ではレイシズム(racism)の歴史を概説した。そして最後の第8章は、レイシズムという社会問題に対する私なりの回答である。すなわち「レイシズムがどうして現代には蔓延しているのか?」そして「この伝染病に終止符を打つにはどうしたらいいのか?」という2つの問いに対して、一人の人類学者として答えらしいものを提示しようと思う。
私がこの本を書いた動機は、いわば重ね折りになっていた。アメリカ革命の末裔として、レイシズムの喧伝するものに反対していると明らかにしたかったし、そして同時に、文化人類学者の一員として、レイシズムの掲げている似非(えせ)人類学に反論する必要があったのだ。

どの人種が最も優れているのだろうか より

人種についての科学的研究は私たちに多くを教えてくれる。記憶も記録もないほどの大昔に起きた大規模な移民について、異民族の混交について、そして国家について。
人類学はその創成期からずっと、世界各地の先住民から、あるいはその遺跡や埋葬された骨から資料をとって研究してきた。そのうちのどれ1つとして、人種間の優劣を裏付けるものではなかった。先駆者であったテオドール・ヴァイツは1859年にこの問いを取り上げている。あるいは最近ではフランツ・ポアズも。どの研究も「優劣は無い」というエビデンスを差し出している。
それでもなお、自分が優れているか劣っているかの問いは、ひとの心から離れることがない。自分の気がかりにしていることだけでは飽き足らなくて、「優劣」という言葉のうちにこの世界のすべてを押し込んでしまう。新しく入手されたのがどんな情報であろうとも、自分の信じるところを支持してはくれないだろうかと、ためつすがめつ眺めてしまうのだ。人種だけではない。宗教、階級、性別、国籍……いずれもが宣告を下すための素材になる。19世紀中ごろ以降、世界中の民族についての知識が多く手に入るようになると、様々な論者が生来的な優劣を決定しようと頭を捻ってきた。主戦場となったのは生理学、心理学、そして歴史学である。

日本の近代化

ここまで述べたことはヨーロッパ以外の国々にもよく当てはまる。例えば日本は、人種構成という点ではヨーロッパよりもさらに安定的だった。東洋世界のうちに何百年にもわたって存在していた国が、19世紀のたった数十年間のうちに西洋世界に「回れ右」で仲間入りした。この過程には熱烈な努力があったのは確かだけれども、人種構成の大枠が替わったわけではない。
1903年に宣教師シドニー・L・ギューリックが『日本人の進化』で書き表しているのは、社会情勢の変遷に伴う日本人のメンタリティの変化である。ギューリックのこの指摘は現代にもそのまま通用する。かってル・ボンは日本人の生物学的性質を以下のように書き表しているが、あまりに早計で浅薄であるというほかない。
「黒奴を学士となし弁護士となすに難からざれども、然しながらこは単に表面上の上塗りに過ぎずして、その心的組織には何等の改変をも与へたるものにあらざるなり。泰西人士の思考の形式、論理法、就中(なかんずく)その性格は、独り遺伝によりてのみ之を造ることを得るが故に、如何なる教育も之を授かくること能(あた)はざるものとす」
しかし現在ではどうだろうか、むしろ日本人は西欧社会の精力をすっかり吸い尽くしてしまったかのように言われている。ル・ボン流に言えば「心的組織が解剖的特徴と同じように不変一定」などではないと示しているではないか。この矛盾をやり過ごすため、何十年か前には移り気で優柔不断であることが日本人の「心的組織」であるとされてきた。日本の近代化への歩みがはっきりしてからはそのような記述もほとんど見かけなくなった。そもそも1500年もの長きにわたって軍隊的社会機構を保ってきた国民に、移り気という描写が当てはまるかは疑問である。日本のかっての社会機構は、その固定性と安定性の点でヨーロッパの封建制と同等であった。日本人が生まれつきに移り気で優柔不断であると観察したのは、19世紀末にドラスティックに展開しつつあった社会になんとか適応しようとする人々の一瞬の姿を見たからであろう。

東洋精神と日本

日本人について言われたことのもう1つは、儀式や祭礼ばかりやっていて合理的な西洋人とは正反対である、ということだろう。19世紀中葉の詩人エドウィン・アーノルドは当時の日本人を「人間というよりも蝶や鳥に近い」と評している。しかし今では、日本人はむしろヨーロッパ人よりがつがつしていて貪欲ということになっている。近代日本の追求するものが西欧世界のそれと重なるようになったからこその認識だろう。
日本文化はかつて、祭礼と一体になった悠然とした生活、美しいものの尊重、そして封建制と軍隊的なカースト制があった。それが近代以降には、騒がしい貿易や帝国主義的戦争へと「回れ右」した。この転向はまったく人為的なものに違いない。排外的な政策によって西洋世界をいつまでも遠ざけておくことはできないと気づくと、日本は新たな道を取ることを決意した。学び取れるものはすべて学び取って、そうして平等な地位を得ようとしたのだ。

どうして文化はそれぞれに異なっているのか

それでもなおフランス人とドイツ人、中国人とヨーロッパ人は明らかに別物のように思えるのはどうしてだろうか? 人々の集団をそれぞれ異なったものにしているプロセスについてはっきりと理解しないでいるうちには、いつまた「人種」で何もかもを説明してしまうことの谷底に落ちでしまうかわからない。
ヒトは他の動物と比べて、ずっと広い可能性を秘めている。鳥が泥で巣を作るか、あるいは小枝で作るかは確かに遺伝によって決定されることだろう。しかし人間が何を考えてどんな行動をとるかは、遺伝よりも環境によって決められている。遺伝によって生活のすべてが枠付けされることはなくて、その点で人間の行為はすべて人工的であると言ってもいい。
「本能」を観察することは、ひとが幼年期を経て大人になった姿、そしてその大人がとる一つひとつの具体的な行為を通してのみ可能である。遺伝によって受け継がれた傾向性ももちろんあるだろうけれども、しかし鳥とか蟻とかのように生まれてから死ぬまでのすべてを運命づけられていることはない。人類がこれまで成し遂げてきたことはすべてこの事実を基礎にしている。一人ひとりが学習を重ねながら変化していくことは、ライオンの強靭さよりも、そして象の大きさよりも確かな武器となって人類全体を守るものとなった。そしてこのことが知性の発展にまさに必要なものであった。
変わりうるということこそ、人間が第1に誇りに思うべきことではないか。
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遺伝は親から子に伝わっていくにしても、子供たちが実際にどう成長していくかは、その子供が置かれた環境によって決まっていく。
しかし環境が個人に与える影響は、実際には寿命の制約を受ける。旧約聖書に謳われた「人生70年」は短い。世代ごとに伝わるような特別な影響力を文明が持つまでにときに数百年かかることを考え合わせれば、なおのこと短い。