The Brotherhood of Man - Post-WWII Animated Cartoon Against Prejudice and Racism (1946)
レイシズム (講談社学術文庫)著者 ルース・ベネディクト(著),阿部大樹(訳) honto
レイシズムは科学のふりをした迷信である。純粋な人種や民族などは存在しないことを明らかにし、国家、言語、遺伝、さらに文化による人間集団に優劣があると宣伝するレイシストたちの迷妄を糾す。
日本人論の「古典」として読み継がれる『菊と刀』の著者で、アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトが、1940年に発表し、今もロングセラーとなっている RACE AND RACISMの新訳。
ヨーロッパではナチスが台頭し、ファシズムが世界に吹き荒れる中で、「人種とは何か」「レイシズム(人種差別主義)には根拠はあるのか」と鋭く問いかけ、その迷妄を明らかにしていく。「レイシズム」という語は、本書によって広く知られ、現代まで使われるようになった。
「白人」「黒人」「黄色人種」といった「人種」にとどまらず、国家や言語、宗教など、出生地や遺伝、さらに文化による「人間のまとまり」にも優劣があるかのように宣伝するレイシストたちの言説を、一つ一つ論破してみせる本書は、70年以上を経た現在の私たちへの警鐘にもなっている。
訳者は、今年30歳の精神科医で、自らの診療体験などから本書の価値を再発見し、現代の読者に広く読まれるよう、平易な言葉で新たに訳し下ろした。グローバル化が急速に進み、社会の断絶と不寛容がますます深刻になりつつある現在、あらためて読みなおすべきベネディクトの代表作。
https://honto.jp/netstore/pd-book_30200031.html
『レイシズム』
ルース・ベネディクト/著、阿部大樹/訳 講談社学術文庫 2020年発行
まえがき より
現代では、人種をめぐる個々の課題への発言と、レイシズムの粗雑な言説が区別されないで一緒くたにされている。そのような現状を変えるために、わたしはこの本を書いた。右に挙げた2つを、まったく異質なものとしてはっきりと区別するために。人種についての科学的知見とレイシズムの罵詈雑言はまったくの別物である。異なる歴史があって、それを行う人々も、参照しているデータも違っている。
本書の第1部には、人種(race)に関して科学がこれまで明らかにしたことを記した。第2部ではレイシズム(racism)の歴史を概説した。そして最後の第8章は、レイシズムという社会問題に対する私なりの回答である。すなわち「レイシズムがどうして現代には蔓延しているのか?」そして「この伝染病に終止符を打つにはどうしたらいいのか?」という2つの問いに対して、一人の人類学者として答えらしいものを提示しようと思う。
私がこの本を書いた動機は、いわば重ね折りになっていた。アメリカ革命の末裔として、レイシズムの喧伝するものに反対していると明らかにしたかったし、そして同時に、文化人類学者の一員として、レイシズムの掲げている似非(えせ)人類学に反論する必要があったのだ。
人種とは何ではないか より
歴史学の発展によって、ヨーロッパ文明の起源はもっと古くまで遡れることが明らかになっている。ギリシャ文明は地中海の東方文化を引き継いだものであったし、この東方文化にしてもエジプト文明の大きな影響を受けたものであった。
現代の私たちがヨーロッパ文明のものと考えている発明物の多くも、その起源を辿ればずっと遠い民族のものである。製鉄はインドないしトルキスタンに始まった技術であるし、火薬は中国に由来する。あるいは印刷機の発明にしても、やはり元を辿れば製紙・活版印刷が共に中国から輸入されている。経済の点かた見れば、大規模な人口集約によって現代の私たちの生活が築かれているとしても、それを可能にした穀物の耕作や畜産は新石器時代のアジアに起源がある。
タバコやトウモロコシを栽培化したのは中央アメリカの先住民族が初めてだった。現代の工業生産に必須の計算術についても、もとは中東で発明されたシステムであって、それをムーア人(北西アフリカのイスラム教教徒の人々)がヨーロッパに持ち込んでいる。代数学も同じように輸入された知識である。ローマ時代に入るまで西欧にはごく簡単な算術よりも高度なものは知られていなかったことになる。
あらゆる領域について、わたしたちの西欧文明は数々の人種が共に作り上げてきたものである。これは観測事実であって、推論ではない。文明を作りだす数ある要素のうちの1つとして人種があるだけだ。白人はかつて、いまの日本がそうであるように、文化を借り入れる側であった。白人が何百年もかけてやったことを日本はわずか数十年でやってみせたわけだが、これをありのままに解釈すれば日本人のほうが人種としてずっと優れているという議論され成り立つ。
原始部族の世界認識
原始部族の世界認識はテリトリーのほんの少し外までしか広がっていないものだし、民間説話がすなわち歴史であって、知識が足りていないために話は誇大的になる。この視野狭窄は、万が一ご立派な学識経験者のお墨付きがあろうとも、やはり幼稚な勘違いであることに変わりがない。
視野狭窄のあまり歴史を書き換えようとしたり、自分自身が属する集団ばかりにスポットライトを当てたりするかもしれない。すべて偽史である。真実の歴史が私たちに教えてくれるのは、たとえ文化的な優位性というようなものがあるとしても、それはある民族からある民族へと、ある地域からまた別の地域へと次々に受け渡されながら今日に至っていることである。
ある時代のある地域に住んでいたエスニック・グループのさらに小さな一部分が、歴史的な経緯からたまたま何らかの役割を演じるようになった、とする方が正しい。そのチャンスに恵まれた人々は生活の水準も上がったし、偉人として名を残す個人も出た。メソポタミア、中国、インド、エジプト、ギリシャ、ローマ、イングランドといった地域がその舞台になった。高度な文明を一手に支配した単一の人種など存在しない。
ここからの章では歴史、生物学、身体計測学についてそれぞれ見ていこう。人種の概念によって人類の偉大な達成をすべて説明しようなどと決して考えないこと。人種は形態的な測定結果に過ぎず、人類の歴史はもっとずっと複雑であるし、文化は遺伝子のように器械的に伝達されるものでもない。