じじぃの「歴史・思想_251_レイシズム・迫害のメカニズム」

TOP 20 Ruth Benedict Quotes

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Ruth Benedict Quotes - 18 Science Quotes - Dictionary of Science Quotations and Scientist Quotes

No man ever looks at the world with pristine eyes. He sees it edited by a definite set of customs and institutions and ways of thinking.
https://todayinsci.com/B/Benedict_Ruth/BenedictRuth-Quotations.htm

レイシズム講談社学術文庫)著者 ルース・ベネディクト(著),阿部大樹(訳) honto

レイシズムは科学のふりをした迷信である。純粋な人種や民族などは存在しないことを明らかにし、国家、言語、遺伝、さらに文化による人間集団に優劣があると宣伝するレイシストたちの迷妄を糾す。
日本人論の「古典」として読み継がれる『菊と刀』の著者で、アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトが、1940年に発表し、今もロングセラーとなっている RACE AND RACISMの新訳。
ヨーロッパではナチスが台頭し、ファシズムが世界に吹き荒れる中で、「人種とは何か」「レイシズム(人種主義)には根拠はあるのか」と鋭く問いかけ、その迷妄を明らかにしていく。「レイシズム」という語は、本書によって広く知られ、現代まで使われるようになった。
「白人」「黒人」「黄色人種」といった「人種」にとどまらず、国家や言語、宗教など、出生地や遺伝、さらに文化による「人間のまとまり」にも優劣があるかのように宣伝するレイシストたちの言説を、一つ一つ論破してみせる本書は、70年以上を経た現在の私たちへの警鐘にもなっている。
訳者は、今年30歳の精神科医で、自らの診療体験などから本書の価値を再発見し、現代の読者に広く読まれるよう、平易な言葉で新たに訳し下ろした。グローバル化が急速に進み、社会の断絶と不寛容がますます深刻になりつつある現在、あらためて読みなおすべきベネディクトの代表作。
https://honto.jp/netstore/pd-book_30200031.html

どうしたら人種差別はなくなるだろうか? より

1つの民族や人種によって文明が進歩してきたと考えるのは誤りである。ここまでに見てきた通り、あらゆる科学的知見がそれを否定している。もちろん特定の民族を排除することで未来が安全安心になるなどということもありえない。他者を排斥することで社会が良くなるなどということは、歴史学によっても、心理学によっても、生物学によっても、そして人類学によっても正当化されることはない。
レイシズムは科学の滑稽画である。科学の名のもとに、自分の所属するグループ(社会階級のことも国家のこともある)が特別に素晴らしいものだと主張されて、そして特別な権利や約束された栄光があると謳われるのだから。でもそれならどうして、私たちの生きるこの時代にレイシズムがこれほどにも大きな問題となってしまったのだろうか? この問いを避けて通ることはできない。どのような答えを差し出すかによって、解決への道のりが変わってくる。
答えを見つけるために、果てしない自己との対話を繰り返す必要はないだろう。歴史が教えてくれる。それに目を向けるだけでいい。すでに見たように、レイシズムが叫んでいるドグマは近代以降に生まれたものである。でもその背後にあるのは、人類が生まれて以来の恐ろしく古い強迫観念だ。表面だけ新しい雰囲気で飾られているに過ぎない。自分たちだけが特別に優れていて、もしも力が衰えてしまったら、価値あるものがすべて滅びてしまう、太古からの強迫。このために、ほんの少し道を譲るよりも、100万人を殺すことのほうが選ばれる。歯向かうものを皆殺しにすることが聖なる使命と言われてしまう。
戦いの舞台は遷移する。かつて戦場だったところに寛容の旗を立てると、人々は振り返って「昔の人間はなんて頭がおかしかったんだ」と思う。自分たちが過去の人間とは違って、輝かしい進歩を達成したような気分にもなる。しかしそのうちに新しい世代が起きあがって、かつての前衛を古い世代とみて批判するようになる。否寛容をあちらからこちらに移し替えただけじゃないか、と。

南北アメリカの黒人問題

現代では人種問題ということにされているヨーロッパの反ユダヤ主義の歴史について、それを詳しく見れば見るほど、人種の問題ではないことがはっきりしてくる。むしろ市民権の不平等という、大昔からの課題である。ヨーロッパには古くからユダヤ教徒への憎悪という奇妙な因襲があった。ユダヤ教徒は禁制品の備蓄をしていることがあったから、その点も窮乏した政府や大衆から目を付けられる原因となった。労働者であれ、宗教の一派であれ、あるいは人種集団でもいいが、何らかのグループが法的平等権、生命権、選択権、勤労権において差別されているとき、体制側はその状態を資本化して利潤に転換することができる。だから強い抗議があったとしても、真に責任のある部門ではなく、体制側に危険の及ばない別の方向に批判を向けかえようとする。
ロジカルに考えれば、反ユダヤ主義を解消するためには全ての人間に全面的な市民権と機会を保障すればいいことになる。これはあらゆるマイノリティ問題に通じる方策でもある。ユダヤ人であれば証拠がなくとも有罪になるだろうという目算がなければそもそもドレフュス事件は起きなかっただろうし、国家が通常通りの処罰をすると思われていれば1938年にドイツ全土でポグロムが巻き起こることもなかった。全員にフル・スペックの人権を保障することは、マイノリティのためだけの策ではない。少数派は生贄にされているだけであって、野蛮返りしているのは迫害に加担している多数者の側である。もしも私たちが平等のための対価を払わないのであれば、私たちが、つまり迫害する側に個人が、いつ罠に嵌められて、そして反逆者として指さされることになってもおかしくない。
アメリ南北戦争以降の黒人問題も、同じ教訓を与えてくれる。カラー・ラインを乗り越えるためにただ1つの意味がある政策は、黒人に対する法的・教育的・経済的・社会的差別を一切廃止することである。南部諸州でこのような差別撤廃が反対されるのは、1つにはかつての奴隷主根性が残っているからであるし、もう1つにはアメリカ黒人の多数が劣悪な環境によって自尊心が挫かれているためである。しかしたとえ黒人の大部分が全面的な市民権への準備ができていないのだとしても、貧困や無教育を固定化している社会状況をまずは変えなくてはならない。そうでなければ、より良い環境における市民としての選択の機会はいつまでも奪われたままである。取り除くことのできない性質について悪罵されることがなく、日々尊厳ある生活を送り、その生活を周りからも尊重されること、これが人権である。そして人権の保障されることは、ただ一人だけの問題ではなく、社会のより深いところに響くものを残すはずである。

マイノリティの安全保障

つまり人種差別を矮小化するのは、差別につながる社会状況を最小化しなければならないのだ。人種そのものが対立の火種になることはない。対立が生じるのは、何らかのグループが、でっち上げによって全体から切り離されるときである(人種差別ではその「何らかのグループ」が人種であるだけで、それが信仰する宗教だとか、社会経済的な階級によって切り分けられることもある)。ある集団がマイノリティとなると、法による保護の枠外に置かれて、生活するための権利や、社会参加の機会を奪われてしまう。差別の口実が人種であろうと、それ以外の要因であろうと、このことは変わらない。いずれの場合にも、社会としてあらゆるマイノリティ差別の撤退に向かっていくことこそ健全と言うべきではないだろうか。
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失業対策、最低生活水準の引き上げ、市民権の保障をすれば、どんな国家であれ人種差別を無くす方向に一歩進むことになる。逆に他国民についての恐怖を煽ったり、特定の個人を辱めたり、社会参画を阻害したりすれば、対立は激しくなる。人類は未だに、家畜小屋から出ることはできていない。雄鶏につつかれれば雌鶏もつつくだろう。自分より強いその雄鶏ではなく、自分より弱い別の雌鶏を。そして弱い雌鶏がもっと弱い雌鶏をつつく。それが続いて、最後には1番弱い雌鶏がつつかれて死んでしまう。人間にもやはり「つつく序列」があって、たとえ「優等人種」に属していようと、つつかれた人間はまた誰か別の人をつつかずにはいられないものだ。

<機能する民主主義>へ

人種間の葛藤をなくすことは、社会改良(ソーシャルエンジニアリング)である。教育はこれに無関係だろうか? 学校こそ人種差別を終わらせる鍵であるとされてきたし、特別な教育法をとることによってこれを達成しようとする試みもこれまでに多くあった。これも大切なことには違いないけれども、その限界についてもはっきりと見ておかなくてはならない。そうでなければ後になって、裏切られたと泣くことになる。子供だろうと成人だろうと、教育は大事である。偏見のない明るい精神を作ることができる。しかし学校で培われた良心を生かすためには、まずは社会の側に差別をなくし、機会への障壁をなくすことが必要になる。地獄への道は善意で舗装されている――善意とはすなわち、手段に過ぎないものを、考えもしないで最終目標の座に据えてしまうことである。教育が大事だと決まり文句のように叫ばれるが、教育を通じて具体的に何を達成しようとするのかを明らかにしなくてはならない。
レイシズムに立ち向かうためには教育という強力な手段を利用するなら、そこには2つの目標がある。そしてこの2つは明確に区別しておかなくてはならない。1つには、日々の社会科を通じて人種についてのファクトと、1つの文明の中にも多くの人種が入り混じっていることを教えることである。

中国人の文明は偉大だったとか、ユダヤ人が科学を前に進めたとか、そんな教育のやり方では子供が偏見なく育つことなどありえない。

もう1つは、<機能する民主主義>とはどういう状態であるか教えることである。機能する民主主義について教えることは、それぞれに異なるグループも互いに関係しあっていると示すことである。