じじぃの「歴史・思想_244_シルクロードの古代都市・フロルの遺宝」

Hidden treasures revealed in Afghanistan

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aHx3k9NhIEM

アムダリヤ遺跡 フロルの遺宝

Afghanistan: Hidden Treasures From The National Museum

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第二章―アジア源流「〝幻の河オクサスから世界は始まった〟という物語」 その9

 LAIT
●BMACはプロトゾロアスター教:「アーリア人の故地」か?
そして今、ここで世界の考古学者、歴史学者言語学者らを巻き込んで、紀元前二千年前に遡り、世界史の始まりに関わると注目されている遺跡の発掘が行なわれている。
バクトリア・マルギアナ考古学複合」(BMAC)と呼ばれている。インドでバラモン教(のちのヒンズー教)社会を構成したインド・アーリア人及び東イラン(今のアフガニスタントルクメニスタンウズベキスタン)でゾロアスター教を形成したイラン・アーリア人がまだ一緒に生活していた時代「インド・イラン共通時代」、「アーリア人の故地」に関わる遺跡群ではないかとして注目されている。
ラピスラズリ「錫」の道
今、ヒンズークシュ北部、アムダリア川流域で二つの遺跡が注目されている。
シルクロードの古代都市」に紹介されているが、一つ目がアムダリア川の上流、コクチャ川とピャンジ川の合流する辺りで発見されたショルトウガイ遺跡と、二つ目がアムダリア川に注ぐクンドゥス川のバグラン付近で発見されたフロル遺跡である。ショルトウガイ遺跡は、ハラッパ―遺跡と関わり深いインダス文明の最北の都市遺跡。

フロル遺跡は、大量の金、銀を出土したバクトリアの富裕層の墓で、器面図柄からシュメール人のウル第三王朝末期に関わる遺物とされ、また同じバクトリアでは流出文化遺産として、典型的なシュメール文明の風俗画が描かれた金器も発見されていたことが紹介されている。

https://www.lait.jp/serial/serial_asiaseye415.html

シルクロードの古代都市――アムダリヤ遺跡の旅』

加藤九祚/著 岩波新書 2013年発行

砂漠の風に消えた古代遺跡群――青銅時代のアムダリヤ流域

4 ハラッパ―文明とメソポタミア文明 より

[フロル]

アムダリヤ(アラル海に注ぐ中央アジア最大の川)の岸辺から少し離れるが、アムダリヤ本流からそう遠くない地域でメソポタミア文明の遺物が発見された。1966年7月5日、アフガニスタン北部、バグランの南に位置するフロル村の郊外2キロメートル、ソヒ-アゾル渓流の流れる山中で現地農民たちによって金銀の容器が発見された。これは「フロルの遺宝」とよばれる。農民たちはこれを等分に分配するために、一部の容器を手斧で打割した。しかしこの噂は瞬時にして広まり、一部の理解者によって行政当局に報告され、バグランを通じてカーブル博物館に伝えられた。博物館からただちに専門員がフロル村へ派遣され、フロコシュータバという丘の上で、黄金遺物が出たとされる14x8メートルの墓を調査した。人骨は頭を北にして屈葬されていた。他の細かい遺物も見つかった。その結果、黄金違宝はバクトリア貴人の墓の埋葬品であったと考えられている。
専門員がここで入手したのは金器5個と銀器7個であり、重さにして金器が940グラム、銀器が約2キログラムであった。容器の表面は十字形などの幾何学的文様と雄牛、イノシシ、樹木、鳥、ヘビの図文が彫刻、叩き出しなどの技法でレリーフされていた。雄牛の一部は人間の顔をして、長いひげを生やしていた。
この発見は専門家たちの間で大きな論議を呼んだ。2007年にアフガニスタン政府の協力のもとにフランスのギメ博物館が主催した「隠されたアフガニスタン」(Hidden Afghanistan)と題する展覧会のカタログに寄せたジャリジ(Jean-Fransios Jarrige)の論文には大要つぎのように書かれている。5個の黄金のボウル(椀)のうち3つが再発見され、今回その全部が展示された。銀製ボウルの現在の所在は不明である。アフガニスタン国立博物館によれば、その1個は文化・情報省にあり、他はロンドンのアート・マーケットに出された。
パネルにある十字形の幾何学文様はバルチスタンのクエッタ、パキシタン、トルクメニスタンナマズガ3号、とりわけアフガニスタン西部ムンディガク遺跡出土の前2700ー前2600年の土器の図文に見られるという。クエッタ様式に似た一部の幾何学文様はテペーフロル発見の他の円筒形の小さなボウルに見られる。一部の研究者は、このような類似によって、テペーフロルのボウルの一部が前2500年よりもわずかに前であることを示すという。
しかし今ではこれらが前2200ー前1800年の年代枠に入ることが明らかになった。これは主なイラン人の移住の次の時期である。研究の結果、今ではこれらの文化的接触がウル三期やイシンーラルサ朝(前2010年頃)におけるメソポタミアの経済的繁栄と関係のあることがわかった。

アムダリヤ流域やインドとイランの国境地域における富裕グループの出現は商業的、文化的交換のネットワークの結果であると解すべきとされる。