じじぃの「歴史・思想_239_中国古代史・横山光輝の『三国志』」

三人の皇帝が現れた「異様」な時代

2020年4月4日  Yahoo!ニュース
あえて本当に、ひとことで言い表すとすれば、今から1800年ぐらい前の紀元200年代、中国大陸が三つの国に分かれて争っていたというものだ。
それが魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)という三国のことで、それらの国々について、まとめた歴史書のことが『三国志』である。
その三国を創業したトップの人間が、魏の曹操(そうそう)、蜀の劉備(りゅうび)、呉の孫権(そんけん)である。
彼らがそれぞれに「皇帝」を名乗って「三国」が並び立った状態が、だいたい40年(西暦220年~263年)続いた。
また「正史」でも呂布(りょふ)という名将が、遠くに突き立てた矛の先に矢を射当てるエピソードがあるなど、驚かされる描写は少なくない。このように多くの人物がそれぞれに個性を発揮し、物語を形づくるのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f1fe9ad00968fe7d6f879b8981fe8eeb2625e5b

三国志 - 研究家の知られざる狂熱』

渡邉義浩/著 ワニブックスPLUS新書 2020年発行

はじめに

本論に入る前に、予備知識として、「三国志」には大きく分けると、次の2種類があることを知っておいてください。
1つは、西晋(せいしん)の史官であり陳寿(ちんじゅ)が、3世紀後半に著し、のちに正史と位置づけられた『三国志』です。もう1つは、元末から明初の小説家とされる羅貫中(らかんちゅう)が、14世紀後半にまとめた『三国志演義』という歴史小説です。
この2つの「三国志」のうち、日本のみならず中国においても、一般的な知識の源になっているのは『三国志演義』、およびその影響下に成立した物語りとしての「三国志」です。わたしが最初に触れたのも、もちろん後者でした。
物語りとしての「三国志」には多くの種類があります。
李卓吾(りたくご)先生批評三国志」(以下、李卓吾本『三国志演義』)を種本として改変を行い、中国での完成版となる『毛宗崗批評三国志演義』(以下、毛宗崗本『三国志演義』)。李卓吾本『三国志演義』を湖南文山(こなんぶんざん)が超訳した『通俗三国志』。『通俗三国志』を標本とした吉川英治の『三国志』。

日本でもっとも読まれている横山光輝の『三国志』は吉川英治の『三国志』を種本とします。

けっこう複雑ですよね。
それでは、まずは第1章で、わたしが出会った順にさまざまな「三国志」を取り上げ、それぞれの特徴を確認することから始めましょう。

1.横山光輝三国志

わたしと「三国志」の最初の出会いは、横山光輝による漫画『三国志』でした。中学入学前後、児童向け雑誌『希望の友』の連載が単行本になり、初版で読みました。次の巻が出るのが待ちどおしかったことを覚えています。
長い時間がかかりましたが、59巻まで読み終えたとき、諸葛亮の悲運に涙しました。五丈原諸葛亮が星を見ている場面は、今でも脳裏に焼きついています。
横山『三国志』は洛陽船(らくようせん)の到着を待ちつつ黄河を見る劉備の描写から始まります。
後漢(25~220年)の都であった洛陽は、日本で京都のことを「洛」と呼ぶように、「古典中国」の王城の地でした。劉備は、当時貴重品であったお茶を母に買い求めるために、黄河を眺めながら洛陽船を待っていたのです。
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横山光輝は、学校の図書館で吉川英治の『三国志』を読んだことが「三国志」への関心のルーツであったと述べています。「武将たちの戦争絵巻」を目指したという横山『三国志』は、吉川『三国志』と同じく、諸葛亮の死後、急速に物語を終わらせます。横山『三国志』は、諸葛亮曹操を中心に描く吉川『三国志』の影響を色濃く受けて構築されているので、劉備の母も登場しています。
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三国志」のなかで、個人として最強の男は呂布(りょふ)です。史書や『三国志演義』系の物語でも同じです。
  当時の人々は(軍中)語をつくり、「人中に呂布あり、馬中に赤兎(せきと)あり」と称した。
               『三国志』巻七 呂布伝注引く『曹瞞伝』
軍中語とは、軍隊のなかで行われた人物評価です。この言葉は、呂布袁紹(えんしょう)を助けて、黒山(こくざん)の張燕(ちょうえん)と対戦したときの勇姿を愛馬の赤兎馬と共に称えたものです。
一方、『三国志演義』では、張飛関羽劉備の3人を敵に回して戦う虎牢関(ころうかん)の戦いから、呂布の強さを窺いしることができます。
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そして、ついには三国一の武勇を誇ったはずの猛者は、曹操の捕虜となります。ここには、未練がましい男は滅ぶという戦時中の日本の男性観が反映されています。女々しい呂布の末路は、愛欲に溺れた人間がたどう破滅への道だったのです。
「武将たちの戦争絵巻」としての『三国志』を目指した横山光輝は、吉川『三国志』の偽の貂蝉に溺れる呂布像を継承していません。三国一の武勇を誇る呂布が女々しければ、「武将たちの戦争絵巻」は精彩を欠くからです。
横山『三国志』は、自刃する貂蝉の凛々しさと、呂布の武勇とを完全に描きました。日本で、三国一の美女貂蝉、三国一の猛者呂布の人気が高い理由はここにあります。