じじぃの「人の死にざま_1485_羅貫中(三国志)」

知ってるつもり 三国志 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QC0Ef97XfIQ
知ってるつもり 三国志 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A-LaO-EAM0M
羅貫中 ウィキペディアWikipedia)より
羅貫中(らかんちゅう、生没年不明)は、中国の元末・明初の作家。『三国志演義』、『三遂平妖伝』、『残唐五代史演義』、『隋唐両朝志話』など数種の通俗白話小説の編者とされる。山西太原の人とされるが(『録鬼簿続編』)、山東東原の人とも言い(『三国志演義』蒋大器序など)、また浙江杭州の人とも言う(『七修類稿』)。施耐庵の弟子だというが、施耐庵関係の史料の信憑性が著しく低いことから疑問視されている。
賈仲明の『録鬼簿続編』では「戯曲を数十曲書いたが、人付き合いの悪い性格で、最後には行方不明になってしまった」と書かれている。

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『世界史映画教室』 家長知史/著 岩波書店 1997年発行
三国志 大いなる飛翔 1990年 中国 (一部抜粋しています)
三国志(正確には「三国志通俗演義」、略して「三国志演義」)はわが国では小説やアニメ、ファミコンゲームなどを通じてたいへん親しまれている、さまざまな英雄、豪傑が大活躍する中国の歴史物語です。この物語はどんな時代を背景にしているのでしょうか。
2世紀末、中国では漢王朝後漢)が衰退の一途をたどり、各地に私兵をたくわえた豪族たちが登場します。彼らは競い合って天下を握ろうと激しく戦いますが、やがて220年に漢王朝が滅ぶと、中国は三国時代(220〜280年)を迎えます。三国時代というのはどういう時代でしょうか。漢王朝が滅びたあと、中国はすぐには1つの国としてまとまらず、魏、蜀、呉という3つの国が天下を三分し、鼎立(ていりつ、三者がならび立ってにらみ合うこと)しつつ、それぞれに天下統一をめざすことになりました。「三国志」の物語は、こうした後漢の滅亡と三国の興亡を時代背景として描かれているのです。
ところで「三国志」は、もともと陳寿(233〜297年)という三国時代に生まれ育った人が三国について著した歴史書のことで、「魏志」「蜀志」「呉志」の3つからなります。このうち、「魏志倭人伝には3世紀の日本についての記述(邪馬台国卑弥呼)があることで知られています。この同時代の歴史書としての「三国志」が民間芸能(語り物)の世界をくぐり抜け、1000年以上の時をへて、羅貫中(生没年不明。14世紀後半の人)という劇作家によって明の時代に物語文学として集大成されたものが「三国志演義」なのです。
この壮大な物語のうち、後漢の衰退期、しだいに頭角を現し、実験を握るとともに天下統一」を進める曹操(魏)に対し、劉備(蜀)と孫権(呉)が連合して激しくぶつかり合う赤壁の戦い(208年)までを、映画(三国志 大いなる飛翔)は描いています。
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厖大な登場人物とその複雑な人間関係、およびその変化、くり広げられる権謀術数と知的対決、そして壮絶な武力対決が盛り込まれたこの物語を2時間あまりで描こうとすることは、もともと無理な話です。したがってこの映画は、赤壁の戦いまでの「三国志」の物語のハイライトシーンを楽しみながら、主な登場人物の顔ぶれを知るくらいのつもりでいた方がいいでしょう。対立し合う、あるいは信頼し合う者同士の心理をじっくりと描き、また見る者がそれを味わうには、あまりにもあわただしく物語が展開していきます。しかしその分、1本の映画で、後漢の衰退と黄巾の乱の勃発、そして英雄たちが並び立つなか、時代が三国時代に向かっていくのをドラマ仕立てで大づかみするのはいいでしょう。
ところで、「三国志」の物語(「三国志演義」)は歴史書の「三国志」をベースにしていますが、どこまでが歴史事実でどこまでが文学なのでしょうか。渡辺精一さんは『三国志英雄伝』(小学館)の解説の中で、中国の章学誠という学者の「史実七分に虚構が三分」という批評を紹介し、次のように述べています。「ふつう、歴史は『事実』にもとづいて人間の『真実』をえがこうとし、文学は『虚構』にもとづいて人間の『真実』をえがこうとするが、『三国志演義』は、この両方を同時にかねそなえていることになる」