じじぃの「歴史・思想_232_中国の行動原理・トゥキディデスの罠」

China's trillion dollar plan to dominate global trade

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EvXROXiIpvQ

アメリカの国際政治の底流に流れる「トゥキディデスの罠」とは何か

2018.02.12 ザ・リバティweb
トゥキディデスとは、古代ギリシアで、ペロポネソス戦争を描いた『戦史』(『ペロポネソス戦争史』)を遺した有名な歴史家。覇権国家スパルタに挑戦した新興国アテネの「脅威」が、スパルタをペロポネソス戦争に踏み切らせたことにアリソン教授は着目した。そして、覇権を争う国家どうしは戦争を免れることが難しいとして、それをアリソン教授は「トゥキディデスの罠」と名付けた。

アメリカと中国とはトゥキディデスの罠を免れることができるか」──それがアリソン教授の主たる関心事だ。

https://the-liberty.com/article.php?item_id=14115

『中国の行動原理-国内潮流が決める国際関係』

益尾知佐子/著 中公新書 2019年発行

現代中国の世界観――強調され続ける脅威 より

朝貢冊封体制の構造

世界の中心には、徳の高い天子、つまり中国の皇帝がいる。皇帝を取り囲むのは、皇帝が強力な官僚制度によって直接治めている中華王朝の領域だ。その外側には、皇帝に忠誠を誓う近隣国がある。そのさらに外側には、藩属国ほど王朝との結びつきは強くないが、朝貢使節を送って皇帝に例を示す朝貢国や五市(ごし)を通して交易が許された国がある。そのさらに外側には、野蛮な化外(けがい)の国々があった。
この同心円は、外側に行くに従ってグラデーション状に文明の力が薄くなっていく。

現実主義的世界観

中国の世界観の第2の特徴として、強烈なリアリズムがある。中国の対外政策を研究する専門家の間では、特にこの点が強調される。
序章で述べたように、国際関係論では、国家間の力関係によって世界を捉える見方をリアリズムと呼び、通商や文化の影響、国際精度などを重視するリベラリズムなどと区別する。中国と初めて接する人は、中国人の話し手があまりにも「誰が強いか」に力点を置いて世界を語ることに驚く場合が多い。
中華帝国は皇帝の文化力を前提に成り立っていた。これと同様に、中国人が外交で「徳の高さ」といったポジティブな精神的要素を認めるのは、自国についてだけである。ゆえに、日本の「平和外交」など一顧だにしない(逆にネガティブな要素については、たとえば日本人は武士道精神が根付いているから軍国主義だ、などの言い方がなされる)。諸外国の精神性を重視しない中国人は、基本的には大国間の力の分布に依拠して各国の戦略を考察する。
こうした傾向性は米中和解の原動力にもなった。長年にわたる中国との敵対後、1970年代初めにようやく交流を再開したニクソン米大統領キッシンジャー大統領補佐官は、いずれも中国の指導者の戦略的思考を高く評価した。彼らは、中国の指導者はソ連の指導者と比べ、世界戦略について議論しやすく、共通利益を採りやすいという印象を抱いた。だからこそ、米中両国は政治体制を超えてうまくやっていけると国内外に主張した。

性悪説に基づく徹底的な警戒心

ただし、より詳細に見ていけば、中国のリアリズムは西側のそれとも少し異なる。国際関係論が理論的な普遍性を追求してきたのに対し、中国のリアリズムははるかに人間的な要素が強く、権謀術数の渦巻く場所として世界を描く傾向にある。
西側国際関係論でリアリズムの祖とされるのは、17世紀にイギリスで活躍したホッブズだ。
彼は人間の自然状態を「万人の万人にたいする闘争」と捉え、個々の人間の行動には、サバイバルできるかという恐怖が最も重要な役割を果たすと指摘した。人間の自然状態は無秩序状態なので、それを回避するため、人は国家と契約を結び、一国のなかで秩序を達成し、個人の自由をある程度犠牲にして生存の恐怖から脱した、とホッブズは指摘する。
だが、序章でも述べたように、今日の国際関係には国家を超えた世界政府がまだ存在していない。ホッブズは、各国は自分のサバイバルのために国力の増強を図り、自国の力が足りないとなれば他の国との同盟などを考慮すると考える。
彼は紀元前5~4世紀に書かれたトゥキディデスの大著、『戦史』の英訳者でもあった。そのため彼は、自分が生きた17世紀のイギリスや、また紀元前のギリシャ都市国家間の国際関係を参照体系としていた。トゥキディデスは、繁栄していたアテネが戦争によって自壊した理由を追求し、アテネの台頭がスパルタに与えた恐怖こそが戦争を招いた真の原因ふだった。これに基づき、ホッブズは「サバイバル」こそがすべての主体の共通目的と考えた。
人間社会の普遍性を問うこうした西側のリアリズムと比較すると、中国のそれはより人間くさく個人的で、しばしば善悪の価値判断を伴う。

中国人にとっての参照体系は、三国志に代表されるような、巨大国家の統一に向けた英雄的物語である。中国では歴史は通常、勝者によって書かれるものであり、自分は善、敵は悪という前提が強調される傾向が強い。

中国人にとって、すべての人間によってのサバイバルの重要性は当たり前すぎる。むしろ天下統一を実現しようとする戦略家は、その次の高みに立って物事を考えるべくだ。すなわち、自国を奇策によって陥れよう。呑み込もうという強大な敵の陰謀を巧みに察知しながら、時代の大きな潮流を読み、敵の裏をかいて、自国の勢力を拡大していかねばならない。
そのため中国の戦略家は、次のように考える。理想の国家を打ち立てようとする自分に必要なのは、性悪説に基づく徹底的な警戒心である。なにしろ敵は、わが勢力を吸収し天下を狙おうと常日頃から陰謀を企てている勢力である。戦いに負ければ、自分たちだけでなく一族すべてが根絶やしにされる。それを防ぐために、自らは聡明な判断で敵の罠を読み解き、あらゆる可能性と油断なく戦っていかねばならない。