じじぃの「歴史・思想_207_人類と病・『沈黙の春』とDDT」

Support of Japan to Cote d'lvoire (日本のコートジボワール支援)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HbC4lTLkzBY

防虫蚊帳 「オリセットネット」

日本の蚊帳(かや)が、アフリカの貧困を救う

2009年07月09日 アカデミーヒルズ
全世界で毎年3億~5億人が感染し、100万人以上が亡くなっている病気、マラリア
日本ではあまり身近に感じない病気ですが、死亡者の9割がアフリカの住民であり、アフリカでは深刻な問題となっています。
このマラリアの脅威からアフリカの人を救う防虫蚊帳「オリセットネット」を開発し、アフリカの健康だけでなく雇用にも貢献しているということで、世界的に注目され、2008年「日本イノベーター大賞」優秀賞を受賞したのが、本セミナーのゲストである住友化学株式会社の伊藤高明氏です。
https://www.academyhills.com/seminar/detail/genkiseminar090709.html

楽天ブックス:人類と病 - 国際政治から見る感染症と健康格差 (中公新書 2590)

詫摩佳代(著)
【目次】
第2章 感染症の「根絶」――天然痘、ポリオ、そしてマラリア 057
4 マラリアとの苦闘 091
  アメリカの勧め
  DDTの副作用
  マラリア根絶プログラム始動
  耐性蚊との闘い
  根絶プログラムへの二つの評価
  資金調達メカニズムの登場
  なぜマラリアへの関心が高まっているのか?
  蚊帳・新薬・ワクチン
  感染症との闘い
https://books.rakuten.co.jp/rb/16258112/

『人類と病』

詫摩佳代/著 中公新書 2020年発行

感染症の「根絶」――天然痘、ポリオ、そしてマラリア より

第二次世界大戦後に設立された世界保健機関(WHO)は、設立当初から国際政治と密接な関わり合ってきた。設立のイニシアティブをとったのは、第二次世界大戦の連合国、なかでもアメリカであったし、現在に至るまでアメリカや日本など大国が多くの資金を分担している。
しかし注意すべきは、WHOの活動が国際政治の流れに受身的ではなかったことだ。たとえば、第二次世界大戦中、国際連盟保健機関の専門家はたちは早々に戦後の国際保健機関構想を作製し、そのアイデアはWHO憲章の土台となった。戦後のWHOは米ソ冷戦など、国際政治の影響に晒されつつも、専門家たちを中心に、各国の関与をうまく活用しながら、地道な実績を積み上げてきた。すなわち戦後の保健協力は、国際政治の影響を受けつつも、そのなかで、いかにその本来の目的――可能な限り最高水準の健康を達成する――を確保していくかの闘いでもあった。
本章では、WHO設立の過程を見た後、WHOの下で展開された3つの感染症対策プログラムの様子を追う。なぜ、天然痘は根絶に成功し、マラリアとポリオはまだ根絶されていないのか? その背景には、ワクチンや治療法の発見といった問題に加え、国際政治上の要因も関係している。天然痘、ポリオ、マラリアという3つの感染症に焦点を当てて、戦後の保健協力の行方を追っていきたい。

耐性蚊との闘い

プログラムを通じて、1960年までに11ヵ国でマラリアの感染をなくし、12ヵ国でマラリア罹患率が急落した。スリランカサルディーニャではマラリア罹患率が減少したことによって、人々の平均寿命が伸び、農産物の生産高も増大したという。他方、プログラムの過程では、様々な障害が現れた。抗マラリア治療薬クロロキンに関して、プログラム開始から間もなく、この薬が効かない症例が確認された。強い薬剤を使用することで、薬に耐性を有する蚊が出現したのだ。

耐性蚊の問題はDDTに関してより深刻であった。アメリカの生物学者で『沈黙の春』の著書であるレイチェル・カーソンによれば、戦中戦後にDDTが散布されたイタリア、エジプトでは、DDTの効力が失われる事態が確認するという。

またDDYは次第に、他の世態系に清国な影響を与えることもわかった。DDTマラリアを媒介する羽斑蚊だけでなく、ニワトリやゴキブリ、そのゴキブリを食べた猫も殺した。ジャワ西部でWHOがプログラムを遂行中、おびただしい数の猫が亡くなり、猫がいなくなった東南アジアの村ではネズミが暴れまわり、穀物を食い荒らしたり、新たな病気を流行させたりした。
DDTは市民の日常の食卓も汚染していった。DDTが振りかかった穀物を食べた雌牛は脂肪組織にDDTを蓄積して、その成分が牛乳の中に分泌されるようになった。DDT使用開始からわずか数年後にアメリカ国内の牛乳やマメなどの農産物がDDTに汚染されていることを農務省が確認していたという。このような状況に対し、1960年初頭には新たな殺虫剤が開発されたが、それらは人体や環境によって、なおいっそう有毒であった。1962年にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を出版し、そのなかでDDTの継続使用が多くの鳥類を絶滅に追いやり、鳥の鳴き声が聞こえない春がやってきたと警告した。多くの科学的な研究が同様の危険性を指摘したこともあり、当時のケネディ米大統領DDTや同系統の化合物の使用を、段階的に廃止していく方針を定めた。
1958年に始まったアメリカの5ヵ年支援計画は1963年で終了した。このため、WHOではプログラムを遂行していくための資金が得られなくなり、1969年の世界保健総会でマラリア根絶プログラムの中止が宣言された。以降、WHOはマラリアの根絶を目指すのではなく、マラリアの共生をその目標としてきた。

蚊帳・新薬・ワクチン

それでも事態は改善されているとはいい難い。2016年においては91ヵ国で約2億件以上のマラリアの感染が確認され、前年に比べると500万件の増加であった。WHOによれば、地域別でいうとWHOアフリカ地域局に感染件数および死者数の9割以上が集中していりという。
なぜマラリア天然痘やポリオと異なり、根絶が難しいのだろうか? 後で見ていく通り、まだ脇トンが開発されておらず、適切に予防できないことも大きな原因である。このほか、マラリアの媒体蚊の多様性や変異、それぞれの国の衛生環境も大きく関係しているなど、多様な要因が流行の背景には存在していることが、対策を難しくしている。
マラリア対策において、もはや根絶は目指すところではなく、新たな感染者の数を減らしていくことに目標は切り替わってきている。WHOは2030年までにマラリアによる乳幼児の死亡率を90%以上減少させるという具体的な数値目標を掲げている。
今後のマラリア対策には3つの鍵がある。第1の鍵は殺虫剤処理を施した蚊帳の活用である。殺虫剤処理を施した蚊帳は簡単かつ有効な解決手段で、購入して配布するのに足るだけの資金があれば、すぐにも実行できる。これはもともと、日本の住友化学がポリエチレンにピレスロイドという防虫剤を練りこんで作った防虫剤処理蚊帳「オリセットネット」が2001年にWHOからマラリア対策用の蚊帳として認められたことに始まる。オリセットはユニセフなどの国際機関を通じて、80以上の国々に供給されている。最近では、殺虫剤用協力剤のピペロニルブトキシドを施した蚊帳が子供の間でマラリアの感染を削減するのに有効であることが研究によって明らかとなり、WHOはこの使用を推奨している。
マラリア対策における第2の鍵はアーテミシニン併用療法(ACT)である。1970年代となって、キニーネやクロロキンに比べてより速やかに少ない毒性でマラリア原虫を殺すことができるアーテミシニンという抗マラリア薬が登場した。
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今後のマラリア対策における第3の鍵となるのが、マラリアワクチンの活用である。マラリアワクチンの開発は1980年代から進められてきたが、たびたび失敗を繰り返してきた。
それでも今世紀に入って、ようやくワクチンの実用化に向けた道筋が整ってきた。2017年4月24日のCNNニュースによると、23日、WHOはアフリカの3ヵ国で年間36万人の子どもを対象に、世界で初めて使用が承認されたマラリアワクチンの接種を始めると発表した。モスキリックスと呼ばれるこの新たなワクチンは、イギリスの製薬大手グラクソ・スミスクライン社(GSK)が1987年に製造したもので、臨床試験の結果、子供のマラリア感染に対して、部分免疫による防護を提供することが確認された。史上初めてかつ現在唯一のマラリアワクチンであり、今後、広範囲な地域で使用され、感染の予防に大きな役割を果たすことが期待される。