じじぃの「歴史・思想_205_人類と病・米ソの協力で天然痘の根絶に成功」

人類は天然痘ウイルスをどのようにして克服したか -シモーナ・ゾンピ

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yqUFy-t4MlQ

Typical Case of Smallpox Infection in a Child Day 3 Day 5 Day 7

大下容子ワイド!スクランブル

2020年3月23日 テレビ朝日
【司会】佐々木亮太、大下容子 【コメンテーター】川村晃司テレビ朝日コメンテーター)、マライ・メントライン(ドイツ放送プロデューサー)、古田大輔(メディアコラボ 代表) 【解説】池上彰(ジャーナリスト)、増田ユリヤ(ジャーナリスト)

池上彰増田ユリヤ・徹底生解説 3つの言葉・共通点は

感染症を歴史から見てみる。
奈良の大仏、デマ、万有引力
感染症の流行をきっかけに生まれたもの。
実は人類というのは感染症との長い闘いの歴史があった。
●歴史書 第1章:Encounter(未知との遭遇
15世紀、コロンブスが米国大陸に到達したときに物の行き来がヨーロッパと米国であり、梅毒(性感染症)という病気がヨーロッパにまん延。
互いにほかの国のせいにすることも発生。英国やドイツがフランス、フランスはスペインのせいだなど。
いつの時代も感染源のなすりつけ合いが行われた。
アメリカ大陸に上陸したスペイン人は、天然痘や麻疹、チフスなど多くの病気を現地に持ち込んだ。
インカ帝国天然痘によって滅びた。
その理由を神の怒りと当時は考えていた。
●歴史書 第3章:疫病に立ち向かうということで医者も防護
ドイツの医師コッホは、感染力のある病原体としての細菌である炭疽菌を光学顕微鏡を用いて初めて発見した。
さらには天然痘と闘っていくために冷戦下あった米国とソ連が協力して天然痘に打ち勝った。
人類は感染症と闘い続け、かなり負けてきたこともあるが、ここに来て科学の力によってこれに打ち勝とうとしている。
https://www.tv-asahi.co.jp/scramble/

楽天ブックス:人類と病 - 国際政治から見る感染症と健康格差 (中公新書 2590)

詫摩佳代(著)
【目次】
第2章 感染症の「根絶」――天然痘、ポリオ、そしてマラリア 057
2 天然痘根絶事業 068
  恐れられた疫病
  天然痘子防接種の登場
  フリーズドライ・ワクチンの普及
  ソ連のイニシアティブ
  全人口の八割接種を目指して
  米ソの協力
  根絶に向けた努力
  サンブルを破棄するか否か
https://books.rakuten.co.jp/rb/16258112/

『人類と病』

詫摩佳代/著 中公新書 2020年発行

感染症の「根絶」――天然痘、ポリオ、そしてマラリア より

第二次世界大戦後に設立された世界保健機関(WHO)は、設立当初から国際政治と密接な関わり合ってきた。設立のイニシアティブをとったのは、第二次世界大戦の連合国、なかでもアメリカであったし、現在に至るまでアメリカや日本など大国が多くの資金を分担している。
しかし注意すべきは、WHOの活動が国際政治の流れに受身的ではなかったことだ。たとえば、第二次世界大戦中、国際連盟保健機関の専門家はたちは早々に戦後の国際保健機関構想を作製し、そのアイデアはWHO憲章の土台となった。戦後のWHOは米ソ冷戦など、国際政治の影響に晒されつつも、専門家たちを中心に、各国の関与をうまく活用しながら、地道な実績を積み上げてきた。すなわち戦後の保健協力は、国際政治の影響を受けつつも、そのなかで、いかにその本来の目的――可能な限り最高水準の健康を達成する――を確保していくかの闘いでもあった。
本章では、WHO設立の過程を見た後、WHOの下で展開された3つの感染症対策プログラムの様子を追う。なぜ、天然痘は根絶に成功し、マラリアとポリオはまだ根絶されていないのか? その背景には、ワクチンや治療法の発見といった問題に加え、国際政治上の要因も関係している。天然痘、ポリオ、マラリアという3つの感染症に焦点を当てて、戦後の保健協力の行方を追っていきたい。

恐れられた疫病

天然痘は紀元前より、伝染力が非常に強く死に至る疫病として人々から恐れられてきた。今から3000~3500年前に亡くなったエジプトのラムセス5世も、そのミイラから天然痘に感染していたことがわかっている。10世紀頃までに地中海沿岸部を中心として、ヨーロッパで感染が拡大し、ヨーロッパ諸国がアメリカ大陸やアジア、アフリカに進出するにともない、世界各地に感染が拡大していった。
天然痘のウイルスはヴァリオラと呼ばれ、媒介物が存在せず、人間にしか感染しないという特徴がある。感染は一般的に、ウイルスを含んだ患者の唾液を介して、対面の接触によって起こる。潜伏期間は約1週間で、発症すると高熱と寒気、頭痛など風邪とよく似た症状が見られる。2、3日たつと熱は引くが、口の中や顔と身体に赤い発疹が現われる。発疹は次第に嚢胞(のうほう)となり、咽喉(いんこう)の嚢胞は患者が飲食することを困難にする。顔や身体にできる嚢胞は皮膚の奥深くに入り込み、煮だるような痛みを引き起こす。その後、嚢胞はカサブタとなり、カサブタがとれると治癒したことになるが、皮膚の深くまで達した傷は生涯残る。また、生き延びた者のなかには失明する者が少なくない。WHOの天然痘根絶チームのリーダーを務めたドナルド・ヘンダーソンによれば、20世紀初頭まで、天然痘は多くの地で、失明の主要な原因であったという。
ジェンナーが18世紀末にワクチンを開発するまで、患者の隔離、感染の疑いがある人の検疫を行う以外、有効な対処法は存在せず、薬草を用いるなど、伝統療法もはびこっていた。天然痘特有なものとしては、赤色を用いるものがあった。ドナルド・ヘンダーソンによれば、ヨーロッパでは、赤色が天然痘患者を治癒させるという迷信があり、中世の頃には、患者を赤色の服でくるんだり、部屋を赤色の紙で覆ったりすることが試みられたという。日本でも天然痘の患者の衣類を赤色ずくめにする。患者の部屋に赤い衣類をつるすという風習が広まった。福島県会津地方の郷土玩具である赤べこや偶件飛騨地方のさるぼぼなど、子供向けの郷土玩具に赤いものが多いのはそのためである。

ソ連のイニシアティブ

WHO設立後、一度も世界保健総会に代表を派遣してこなかったソ連が、初めて1958年の世界保健総会に代表を派遣した。その席でソ連の代表がワクチンの接種による天然痘根絶計画を提案した。当時のソ連では近隣のアジア諸国から天然痘が持ち込まれ、それまで流行していなかった中央アジア天然痘の流行が始まっていた。ソ連では1930年代にワクチンの接種によって国内の感染を抑えた経験があり、フリーズドライ・ワクチンが登場したことを受けて、世界で根絶を目指そうと提案したのである。

米ソの協力

当時は米ソ冷戦の真っ只中(ただなか)であったが、プログラムの遂行にあたっては米ソの協調が見られた。1967年に強化プログラムが承認された後、WHOには根絶に向けた対策本部が設置された。ソ連はプログラムの提唱者であり、ソ連人がディレクターに就任することを期待していたが、指名されたのはアメリカ人のドナルド・ヘンダーソンであった。ソ連はこの人事を快く思わず、WHOに抗議した。就任後のヘンダーソンは、ソ連代表と連絡をとり、ソ連と関係が悪化しないように心を砕いたという。その甲斐あってか、プログラム開始後もソ連は協力的で、WHOにワクチンを寄付した。そのワクチンがWHOの品質テストに合格せず、ヘンダーソンがモスクワを訪問して事情の説明にあたり、理解を求める一幕もあった。またWHOのチームにソ連の専門家を雇用したり、米ソの研究所の共同研究も展開されたという。そのような協力が米ソの政治的デタント(緊張緩和)につながることはなかったが、米ソの関与をうまく活用する形で、天然痘との闘いは進められたのであった。