じじぃの「女か虎か・謎小説をご存じだろうか?極悪鳥になる夢を見る」

The Lady or the Tiger?

『極悪鳥になる夢を見る』

貴志祐介/著 文春文庫 2017年発行

女が? 虎が? より

謎小説(リドル・ストーリー)をご存じだろうか。結末が謎のまま読者の前に投げ出され、終りのない思索に誘うため、寝苦しい夏の夜には、ぴったりのミステリーなのだ。
ストックトンの『女か虎か』は、その代名詞的な作品である。以下、あらすじに触れるので、未読の方はご注意いただきたい。
ある半野蛮な国で、王女と恋仲になった若者がいた。身分を超えた恋はご法度(はっと)なので、若者は恐ろしい審判にかけられる。
闘技場には2つの扉があり、若者は、一方を選ばねばならない。片方の扉の後ろには美女がいる。こちらを選べば、いっさいの罪を許され、彼女と結婚という仕儀となる。だが、もう片方の扉の背後には、飢えた虎が待ちかまえているのだ。
若者は、観客席の王女の方を見る。王女は答えを知っているが、相反する感情の板鋏みになっていた。愛する若者を、虎の餌食にはしたくない。だが、彼が別の女と結ばれるのは、考えるのも耐えがたいのだ。
王女は思案したあげく、扉の先でそっと一方の扉を指し示した。
さて、その結末やいかに。これが、ストックトンのかけた謎である。
過去、多くの人々が解答を試みてみた。大半は、王女は若者への愛から正しい答えを教えたか、嫉妬から嘘を教えたかのどちらかである。
だが、ジャック・モフィットという作家は、『女と虎と』という作品で思考の迷宮から巧妙に脱出するのに成功した。彼の解は以下の通り。
2つの扉は、1メートルほどの間隔で、右の扉は左側に、左の扉は右側に開くようになっていた。若者は両方の扉を開け放つと、2枚の扉が合わさった三角形の隙間に隠れて、見事、美女を虎の餌食にしたのである。
美しい解決と思われるだろうか。
だが、ストックトンのかけた謎は、易々(やすやす)とは消滅しない。私見では、恐怖の二択は、まだ続くのである。
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これから、自分はどうなるのか。奸計(かんけい)を用いて美女を生贄にした自分を、国王や観客は許すだろうか。
その前に、ここから出られるのか。虎は、満腹であっても、殺せるだけの獲物を殺すと聞いたことがある。
犠牲にした美女に対する、強烈な罪の意識がよぎる。さぞかし、自分を恨んで死んだことだろう。
いや、待て。若者は凍りついた。彼女が殺される瞬間は、目撃していないのだ。もしかすると……!
ありえないとは思う。しかし、今まさに虎が女を食っているのなら、闘技場を覆う静寂は、どう考えても変ではないか。
あの音。骨を噛み砕くような嫌な響きは、はたして本当に、虎が女を食っている音なのだろうか。
もしかすると、女の方が虎を貪(むさぼ)り食っているのではないのか。
咀嚼(そしゃく)の音がやむと、ゆっくりと、こちらに気配が近づいてきた。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「謎小説(リドル・ストーリー)をご存じだろうか。結末が謎のまま読者の前に投げ出され、終りのない思索に誘うため、寝苦しい夏の夜には、ぴったりのミステリーなのだ」
そういえば、「世田谷一家殺害事件」からもう20年が経つ。
犯行現場には、犯人のものと思われる黒い手袋と黒いハンカチが残されていたという。
何か、殺害現場である種の宗教儀式が行なわれたようなイメージだ。
昨日、コンビニに寄ったら本棚の本帯に「東野圭吾作品は、ハズレがない」とか書かれていた。
少し、読んでみるか。