じじぃの「歴史・思想_196_世界史の新常識・なぜイギリス料理はまずいのか」

Is British Food Really That Bad?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mSXDLlguVTg

ヴィクトリア時代の身体的幸福 ―食と音楽―

小野塚 知二
・補論 衰退以前の食の一例と外的環境
イングランドには、中世以来、実に豊かな食の伝統があった。特に、18世紀のイギリス料理は多様、多彩で、中世以来の伝統を受け継ぎながら、在地と外来のさまざまな食材と種々の調理方法を駆使する高みに到達していた。
表1はその一例である。川カマスのガレンタイン・ソース添えは 15世紀中葉のレシピで、内陸部でも夏場には容易に入手できる中型の淡水魚である川カマスを主食材に用いている。淡水魚は、当時の人々にとって重要な動物性タンパク質であると同時に、祭りの食卓に変化を与える重要な食材でもあった。
http://www.onozukat.e.u-tokyo.ac.jp/foodandmusic.pdf

『世界史の新常識』

文藝春秋/編 文春新書 2019年発行

近現代

産業革命がイギリス料理をまずくした 【執筆者】小野塚知二 より

イギリスの料理はまずいとしばしば言われる。まずい理由として、美食を欲しない国民性である、ピューリタンの影響で食の楽しみが罪悪視された、あるいは、気候が冷涼で食が単調になるなどの俗説はあるが、いずれも反証が容易で、学問的には支持しがたい怪しげな説である。
うまい/まずいは直接的には個人の好みであって、食の属性ではない。うまい/まずいといった主観的な印象評価を離れて、食を客観的に分析するために、筆者は、食材の多様性、食材の在地性・季節性、調理方法の多様性という3つの指標を設定した(小野塚知二「イギリス食文化衰退の社会経済史的研究(Poor Taste and Rich Economy: historical explanations on the lost tradition of British food)」アサヒビール学術振興財団『食生活科学・文化及び地球環境科学に関する研究助成 研究紀要』第17巻、2001年。小野塚知二「イギリス料理はなぜまずいか?」井野瀬久美惠編『イギリス文化史』昭和堂、2010年)。
むろんこの3つの指標だけで食を論じ尽くせるわけではない。食文化史の本来的関心からは、実際に食べられた料理や食べる場・状況が重要なのだが、料理や宴席は史料として残りにくいため考察の対象とするのが難しい。それに比べると食材や調理方法は、残されたレシピを用いてかなり正確に再現できるので、客観的な検証にたえる。
中世末から現代(ほぼ20世紀)までのイギリス料理にいかなる食材が用いられてきたかを調べてみよう。中世末から近代までの間にもイギリスの食のあり方は変化しているが、食材という点では、近世(ほぼ16~18世紀)に急増する熱帯産香辛料とジャガイモを除けば、19世紀初頭までその種類は安定している。表1と表2はそうした食材を示す。
19世紀中葉以降は表3の食材が新たに登場する。ここから明らかなように、19世紀前半の数十年間に食材の多様性が著しく低下し、在地食材が(それゆえ食材の季節性も)ほぼ消滅した。19世紀中葉以降のイギリスの食は大量生産可能な農業牧畜産品、トロール漁業産品と、工業製品で示されるようになる。食糧輸入は増加した時期だが、香辛料の役割はむしろ決定的に低下した。こうして、香りと味の華やかさを欠いた。近現代のイギリスの食が登場することになる。
ただし、トロール漁業で水揚げされたタラ・オヒョウと大量生産されたジャガイモで作られたフィッシュ・アンド・チップスや、同様に大量生産食材を用いたベーコン・アンド・エッグズは、19世紀後半以降の下層階級の栄養状態を改善するのに貢献した。産業化したイギリスは熱量の点では豊かさをもたらした。
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以上のように19世紀前半にイギリスの食は3つの指標の点で多様性を失った。それをここでは「食文化の衰退」と表現することにしよう。これは経済的な貧困化と別の現象である。食文化衰退以前のイングランドには、中世以来、実に豊かな食の伝統があった。特に、18世紀のイギリス料理は多種多様で、中世以来の伝統を受け継ぎながら、在地とが外来のさまざまな食材と種々の調理方法を駆使する高みに達していた。

なぜ「まずく」なったのか?

イギリスも他の先進社会と同様に農業革命を経験している。農業革命とは、産業革命に先立って(あるいは同時進行して)、農業生産性を向上させた変革である。イギリスでは、第1にクローバー栽培や有畜輪作など農法上の変化、第2に借地大規模農場経営や三分割制など農業経営形態の変化、第3に議会囲い込みや共有地(commons)の私有化など土地制度の変化である。農業革命がなければ、増える商工業人口を養えないので、産業革命には必ず農業革命がともなわざるをえないのだが、そのあり方は国によって異なる。ここで問題なのは、18世紀後半~19世紀前半の農業革命がイギリス農村に与えた、緩慢だが不可逆的な変化である。
議会囲い込み以前のイギリス農村では農民は共有地に入って果実、野生鳥獣、魚、キノコ等を採集する入会(いりあい)権を有していた。共有地は表1に見られる多彩な在地食材の宝庫だったのだが、囲い込みによって共有地が私有化されると、入会権が消滅し(無断で立ち入れば不法侵入、そこで何かを採集すれば窃盗に当たる)、下層農民にとって在地食材の利用可能性は大幅に低下した。さらに、囲い込みによって中小規模の自営農が衰退し、彼らの土地は大地主に集約された。その土地を借りて大規模農場経営を行う農業資本家が発生し、その農場では農繁期に農業労働者が雇用され、農閑期には解雇された。こうして、年間を通じた生活の場としての農村は消滅し、小農の菜園・庭畑地(これもまた在地食材の宝庫)は荒廃した。自分の菜園で注意深く栽培したものならいざ知らず、どこの誰が作ったかわからず、それゆえ家畜・家禽の糞尿がかかっているかもしれない生野菜は生食可能なものではなくなった。サラダの消滅は「村」の消滅の端的な結果である。
変化は食材にとどまらない。かつて村では、年間を通じた居住のなかで、農事暦・教会暦の節目にさまざまな祭礼や結婚式などの祝宴が催された。こうした「祭り」は、貧しい人々が普段は接しえない珍しく高価な食材を使って、その土地の個性と季節性を活かした料理を作り、食べ、飲み、歌い、踊る重要な場で、領主・地主・有力者からのふるまいも宴を豪華にした。贅沢な食の需要者は富裕層に限定されていなかったのだ。

ところが農業革命により、資本主義的農場経営が導入されると、村も祭りも消滅し、下層階級が豊かな食と音楽・舞踏を経験し、その能力を涵養(かんよう)する機会も失われた。

食の能力は学校や教科書では伝授しにくい。豊かな食を大人たちとともに作り、食べる現場を、幼い頃から祭礼のたびに何度も経験して、はじめて食の能力は涵養される。それゆえ、産業化の過程で村と祭りを破壊したイギリスは、培ってきた食の能力を維持できず、味付けや調理の基準も衰退して、料理人の責任放棄が蔓延(まんえん)することとなった。他国の農業革命はイギリスほど徹底的に村と祭りを破壊しなかったので、民衆の食と音楽の能力は維持されたのである。