じじぃの「歴史・思想_173_地球に住めなくなる日・気候カースト」

Climate Change, Migration and Security in South Asia

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=va-NMkNKqdo

砂漠化と干ばつとの闘い

砂漠化と干ばつとの闘い

2019年09月11日 BDD News
森林火災、干ばつ、その他の土地劣化は、世界経済に毎年15兆ドルもの損害を与え、気候変動の危機を深刻化させている、と国連環境担当官は金曜日(9月6日)述べた。
http://bddnews.com/post/20190911_98009/

『地球に住めなくなる日』

デイビッド・ウォレス・ウェルズ/著、藤井留美/訳 NHK出版 2020年発行

第1部 気候崩壊の連鎖が起きている

グローバルな気候崩壊の連鎖 より

気候変動が牙(きば)をむいたら、攻撃は単発では終わらない。猛威が連鎖し、破壊が滝のように連続し、地球は何度も痛めつけられる。暴力はしだいに強さを増して、私たちはなすすべを失い、長いあいだ当たり前だと思っていた風景が一変する。住宅や道路を建設し、子どもたちを育てて社会に送りだす─安全と信じて暮らしを営んできた基盤がくつがえるのだ。自然に手を加えてつくりあげてきた世界が、自然から私たちを守るのではなく、自然と共謀して私たちを陥れようとする。
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気候崩壊の連鎖反応は地球レベルで起こるだろう。その規模はあまりに大きく、手品のように目にもとまらぬ速さで進む。地球が温暖化すると北極の氷が融ける。氷が減ると太陽光線が反射されずにそのまま吸収されるため、温暖化が加速する。海水温が上がれば、海水の二酸化炭素吸収量が減って、温暖化はさらに進む。気温が上がって北極圏の永久凍土が融けると、内部に閉じこめられていた1兆8000億トンもの二酸化炭素が放出される。いま大気中に存在する二酸化炭素の2倍以上だ。一部はメタンとして蒸発する可能性もある。メタンの温室効果二酸化炭素の34倍。これは100年の長期で比較した数字で、20年間では実に86倍になる。
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気候崩壊の連鎖は、地域のコミュニティにも打撃を与える。たとえば雪崩(なだれ)。2004年から2016年のあいだに5万人が犠牲になっている。スイスでは、雪が積もったところに大雨が降る「レイン・オン・スノー」現象によって、かつてない種類の雪崩が発生している。カリフォルニア州のオーロビル・ダムで発生した越水や、2013年に起きた50億ドル近い被害を出したカナダ、アルバータ州の洪水もレイン・オン・スノーによるものだ。
気候崩壊の連鎖はこれだけではない。水不足や凶作が生みだす気候難民が周辺に押しよせると、資源の奪いあいになる。海水面の上昇で塩水につかった農地は黒ずんだ湿地と化し、もう耕作はできない。発電所が浸水すれば、地域に不可欠な電力が断たれる。化学工場や原子力発電所が機能停止すれば、有害物質が漏れだすかもしれない。カリフォルニアで起きた山火事「キャンプ・ファイヤー」では、避難民のテント村が大雨で水びたしになった。サンタバーバラ郡の場合は、日照りでからからに乾ききったところに、モンスーンのような豪雨で樹木が成長した。しかし火災で森林は焼失、山腹は丸裸になって、植物が保持していた土壌も流出した。切りたった沿岸部に雲が集まり、雨を降らせるようになった。
泥流でなぜこれほど犠牲者が出るのか、疑問に思われるかもしれない。その答えはハリケーンや竜巻と同じだ。人間のせいかどうかはともかく、環境が凶器と化したのである。暴風災害にしても、風それ自体が生命を奪うわけではない。強風で根こそぎ倒れた樹木が棍棒となり、風にあおられる電線がムチや首吊り綱になる。崩壊する住宅は人間を押しつぶし、自動車は巨大な石のように転がる。食料や医療品が不足し、道路が途絶して緊急車両も通れず、電話線も携帯電話の中継局も使えない。病人や高齢者は支援もないまま、黙って耐えるしかない。

だが、けたはずれに裕福で、スパニッシュ・ミッション様式の邸宅が並ぶサンタバーバラは世界のなかでは少数派だ。気候変動の鉄槌(てつつい)は、対策もとれなければ復興もおぼつかない町にも振りおろされるだろう。それが「環境正義」という問題だ。身も蓋もない言いかたをすれば、「気候カースト」である。

どんなに豊かな国でも、貧しい人たちが暮らすのは湿地や沼地、氾濫原などで、社会基盤の整備も進んでいない場所だ。まさに環境アパルトヘイトである。たとえばテキサス州では、50万人の貧しいラテン系住民が「コロニアス」と呼ばれる地区に住んでいる。そこは下水道がないため、浸水になるとお手あげだ。
世界に目を転じると、この格差はさらに広がる。この先、熱くなるいっぽうの地球で被害をこうむるのは貧しい国々だし、地球を熱くするのもそうした低GDP国だ(オーストラリアは例外だが)。ただしいままでさんざん大気を汚してきたのは、地球の北側である。これは気候変動の歴史的皮肉のひとつだが、苦難をこうむる側からすれば暴虐と呼んでもいいくらいだ。ただ、持たざる側に過剰に負担が行くとはいえ、気候崩壊の影響を発展途上諸国にだけ隔離することはできない。北半球はひそかにそれを望むだろうが、気候崩壊は北も南も差別しないのである。
国際的な機関や人為的な手段で気候を管理したり、制御できるという考えもあるが、おめでたいにもほどがある。地球は世界政府的なものがないところで何千年も続いてきたし、人類が登場したあともほとんどの時代はそれでがんばってきた。部族、封土、王国、国家をつくっては競争に明け暮れていた人類は、悲惨な世界大戦を経て、国際連盟国際連合欧州連合といった平和的な協力体制をようやく整えはじめ、世界市場の整備にまで乗りだした。欠点はいろいろあるにせよ、全員が利益を得られるようにしようというネオリベラルな理想を掲げたのだ。国境を越えた協力体制にとって最大の脅威は、地球全体を圧倒的な威力で揺さぶる気候変動だろう。にもかかわらず、私たちはそうした体制を解体する方向に動いている。ナショナリズムの殻に閉じこもり、共同責任から離脱しようとしているのだ。いまの世界は、信頼の崩壊も連鎖している。