じじぃの「歴史・思想_161_ホモ・デウス・データ至上主義」

Quantum Supremacy & AI, with Stephen Fry.

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=92Ntk4niqPo

AI Data supremacy

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来 2018/9/20 ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) Amazon

世界1200万部突破の『サピエンス全史』著者が戦慄の未来を予言する! 『サピエンス全史』は私たちがどこからやってきたのかを示した。『ホモ・デウス』は私たちがどこへ向かうのかを示す。
全世界1200万部突破の『サピエンス全史』の著者が描く、衝撃の未来!
【下巻目次】
第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
第11章 データ教
権力はみな、どこへ行ったのか?/歴史を要約すれば/情報は自由になりたがっている/記録し、アップロードし、シェアしよう! /汝自身を知れ/データフローの中の小波

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『ホモ・デウス(下) テクノロジーとサピエンスの未来』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著、柴田裕之/訳 河出書房新社 2018年発行

データ教 より

データ至上主義では、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとされている。これは突飛で傍流の考え方だという印象を受けるかもしれないが、じつは科学界の主流をすでに席巻している。データ至上主義は科学における2つの大きな流れがぶつかり合って誕生した。チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を出版して以来の150年間に、生命科学では生き物を生化学的アルゴリズムと考えるようになった。それとともに、アラン・チューリングチューリングマシンの発想を形にしてからの80年間に、コンピューター科学者はしだいに高性能の電子工学的アルゴリズムを設計できるようになった。データ至上主義はこれら2つをまとめ、まったく同じ数学的法則が生化学的アルゴリズムにも電子工学的アルゴリズムにも当てはまることを指摘する。データ至上主義はこうして、動物と機械を隔てる壁を取り払う。そして、ゆくゆくは電子工学的なアルゴリズムが生化学的アルゴリズムを解読し、それを超える働きをすることを見込んでいる。
データ至上主義は、政治家や実業家や一般消費者に革新的なテクノロジーと計り知れない新しい力を提供する。学者や知識人にも、何世紀にもわたって私たちを寄せつけなかった科学の聖杯を与えることを約束する。その聖杯とは、音楽学から経済学、果ては生物学に至るまで、科学のあらゆる学問領域を統一する、単一の包括的な理論だ。データ至上主義によると、ベートーヴェン交響曲第5番と株価バブルとインフルエンザウイルスは3つとも、同じ基本概念とツールを使って分析できるデータフローのパターンにすぎないという。この考え方はきわめて魅力的だ。すべての科学者に共通の言語を与え、学問上の亀裂に橋を架け、学問領域の境界を越えて見識を円滑に伝え広める。音楽学者と経済学者と細胞生物学者が、ようやく理解し合えるのだ。

記録し、アップロードし、シェアしよう!

だが、ことによるとわざわざあなたを説得するまでもないかもしれない。あなたが20歳前後ならなおさらだ。人々はひたすらデータフローの一部になりたがっている。それがプライバシーや自律性や個性の放棄を意味するとしても、だ。人間至上主義の芸術は、個人の才能を神聖視する。だから、ピカソがナプキンに描いたいたずら書きが、サザビーズのオークションでとんでもない高値で売れる。人間至上主義の科学は個人の研究者を賛美し、どんな学者も自分の名前が「サイエンス」誌や「ネイチャー」誌に掲載される論文の執筆陣の先頭を飾ることを夢見る。だが最近は、みんなの不断の協力によって生み出される、芸術的創造物や科学的創造物が増え続けている。ウィキペディアを書いているのは誰か? 私たちみんなだ。
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人間至上主義によれば、経験は私たちの中で起こっていて、私たちは起こる事すべての意味を自分の中に見つけなければならず、それによって森羅万象に意味を持たせなければならないことになる。一方、データ至上主義者は、経験は共有されなければ無価値で、私たちは自分の中に意味を見出す必要はない、いや、じつは見出せないと信じている。私たちはただ、自らの経験を記録し、大量のデータフローにつなげさえすればいい。そうすればアルゴリズムがその意味を見出して、私たちにどうするべきかを教えてくれる。20年前、日本人旅行者は万人の笑い種(ぐさ)になっていた。いつもカメラを携えて目にしたものをすべて写真に撮っていたからだ。だが、今では誰もが同じことをしている。インドに行ってゾウを目にしたら、ゾウを眺めて、「私は何を感じているか?」と自問したりしない。スマートフォンを出してゾウの写真を撮り、フェイスブックに投稿し、その後は自分のアカウントを2分おきにチェックして「いいね!」をどれだけ獲得したかを見るのに忙しいからだ。自分しか読まない日記を書くのはこれまでの世代の人間至上主義者にとっては普通のことだったが、多くの現代の若者にはまるで意味がないことのように思える。他の人が誰も読めないようなものを書いて、何になるというのか? 新しいスローガンはこう訴える。「何かを経験したら、記録しよう。何かを記録したら、アップロードしよう。何かをアップロードしたら、シェアしよう」

汝自身を知れ

データ至上主義者の革命には1、2世紀とまでは言わないまでも、おそらく2、30年かかるだろう。だが、人間至上主義の革命も一夜にして起こったわけではない。最初は、人間は神を信じ続け、人間は神によって何かしらの聖なる目的のために創造されたので神聖だと主張していた。かなり後になってようやく、人間はそれ自体が本質的に神聖だ、神はどこにも存在しない、と思い切って言う人が出てきた。同様に、今日ほとんどのデータ至上主義者は、「すべてのモノのインターネット」は人間が人間の要求に応えるために創出しているから神聖だと主張する。だがいずれ、「すべてのモノのインターネット」はそれ自体が本質的に神聖になるのかもしれない。
人間中心からデータ中心へという世界観の変化は、たんなる哲学的な革命でなく、実際的な革命になるだろう。真に重要な革命は皆実際的だ。「人間が神を考え出した」という人間至上主義者の発想が重要だったのは、広範囲に及ぶ実際的な意味合いを持っていたからだ。同様に、「生き物はアルゴリズムだ」というデータ至上主義者の発想が重要なのは、それが日常生活に与える実際的な影響のためだ。発想が世界を変えるのは、その発想が私たちの行動を変えるときに限られる。
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科学者は、人間の感情を神聖視しただけでなく、その裏付けとして、進化上の素晴らしい理由を見つけた。ダーウィン以後、生物学者は、感情は進化によって磨きをかけられる複雑なアルゴリズムで、動物が正しい決定を下すのを助けるという説明をし始めた。私たちの愛情や恐れや情熱は、詩を創作することだけに役立つ不明瞭な霊的現象ではない。何百万年分もの実際的な知恵を内包しているのだ。あなたが聖書を読む場合は、古代エルサレムに暮らしていた数人の聖職者やラビからの助言を得ることになる。それに対して、自分の感情に耳を傾ける場合は、進化が何百万年にわたって発達させ、この上なく厳しい自然選択の品質管理検査にも耐えたアルゴリズムに従う。あなたの感情は、無数の先祖の声だ。その先祖のそれぞれが、容赦のない環境でなんとか生き延び、子供を残した。あなたの感情はもちろん完全無欠ではないが、他の手引きの源泉のほとんどよりは優れている。何百万年にわたって、感情は世界で最高のアルゴリズムだった。だから孔子ムハンマドスターリンの時代には、人々は儒教イスラム教や共産主義の教えよりも、自分たちの感情に耳を傾けるべきだった。
ところが21世紀の今、もはや感情は世界で最高のアルゴリズムではない。私たちはかつてない演算能力と巨大なデータベースを利用する優れたアルゴリズムを開発している。グーグルとフェイスブックアルゴリズムは、あなたがどのように感じているかを正確に知っているだけでなく、あなたに関して、あなたには思いもよらない他の無数の事柄も知っている。したがって、あなたは自分の感情に耳を傾けるのをやめて、代わりにこうした外部のアルゴリズムに耳を傾け始めるべきだ。一人ひとりが誰に投票するかだけでなく、ある人が民主党の候補者に投票し、別の人が共和党の候補者に投票するときに、その根底にある神経的な理由もアルゴリズムが知っているのなら、民主的な選挙をすることにどんな意味があるのだろうか?

人間至上主義が「汝の感情に耳を傾けよ!」と命じたのに対して、データ至上主義者は今や「アルゴリズムに耳を傾けよ!」と命令する。