じじぃの「歴史・思想_157_ホモ・デウス・人間至上主義」

Incredible Animation Shows How Humans Evolved From Early Life

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2W5hOJaFjxU

Humans Are Made in God’s Image

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来 2018/9/20 ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) Amazon

世界1200万部突破の『サピエンス全史』著者が戦慄の未来を予言する! 『サピエンス全史』は私たちがどこからやってきたのかを示した。『ホモ・デウス』は私たちがどこへ向かうのかを示す。
全世界1200万部突破の『サピエンス全史』の著者が描く、衝撃の未来!
【下巻目次】
第7章 人間至上主義
内面を見よ/黄色いレンガの道をたどる/戦争についての真実/人間至上主義の分裂/ベートーヴェンチャック・ベリーよりも上か?/人間至上主義の宗教戦争/電気と遺伝学とイスラム過激派

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『ホモ・デウス(下) テクノロジーとサピエンスの未来』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著、柴田裕之/訳 河出書房新社 2018年発行

人間至上主義 より

中世の学者たちは、ある古代ギリシャの理論に固執していた。その理論によると、空の星々の動きが天上の音楽を奏で、それが全宇宙に響き渡っているという。人間は、肉体と魂の内なる動きが、星々が生み出す天上の音楽と調和しているときに、心身の健康を享受する。したがって、人間の音楽は宇宙の聖なるメロディを忠実になぞるべきであり、生身の作曲家の考えや気まぐれを反映するべきではないのだ。最も美しい賛美歌や歌や調べはたちてい、人間の芸術家の天分ではなく、神聖な霊感に帰せられた。
そのような見方はもう、はやらない。今日、人間至上主義者たちは、芸術的創造と美的価値の唯一の源泉は人間の感情だと信じている。音楽は私たちの内なる声によって生み出され、評価されるものであり、その内なる声は、星々のリズムにも、女神や天使にも従う必要がない。なぜなら、星々は音など発しておらず、女神や天使は私たちの想像の中にしか存在しないからだ。現代の芸術家は、神と接触しようとせず、自分自身や自分の感情を知ろうとする。それならば、私たちが芸術を評価する段になると、もう客観的な基準を信用しないのもうなずける。そうした基準の代わりに、私たちはまたしても主観的な気持ちを頼る。倫理において、人間至上主義者のモットーは、「もしそれで気持ちが良いのなら、そうすればいい」だ。政治において人間至上主義は、「有権者がいちばんよく知っている」と教える。美学においては、人間至上主義は「美は見る人の目の中ある」と言う。
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たとえばトヨタが完璧な自動車を生産することに決めたといよう。さまざまな分野の専門家から成る委員会を設置し、一流の技術者やデザイナーを雇い、傑出した物理学者や経済学者を集め、社会学者や心理学者たちにさえ相談する。さらに、念には念を入れ、ノーベル賞受賞者1人か2人、アカデミー賞を受賞した女優1人、世界的に有名な芸術家数人にも意見を聞く。5年に及ぶ研究開発の後、完璧な自動車を発表する。何百万台も生産し、世界中の販売店に送り届ける。ところが、誰一人その自動車を買わない。これは、消費者がミスを犯しており、何が自分のためになるかわかっていないということなのか? 違う。自由市場では、顧客はつねに正しい。もし消費者がその自動車を欲しがらないのなら、その自動車が良くないのだ。大学教授や聖職者やイスラム法学者が全員揃って、これは素晴らしい自動車だと、ありとあらゆる教壇や説教壇から声高に言ったとしても、もし消費者が拒絶すれば、それは悪い自動車だ。消費者に向かって、あなたは間違っていると言う権限を持っている人は、一人もいないし、政府が国民に特定の自動車を買うよう無理強いするなどもってのほかだ。

電気と遺伝学とイスラム過激派

そういうわけで、伝統的な宗教は自由主義の真の代替となるものを提供してくれない。聖典には、遺伝子工学やAIについて語るべきことがないし、ほとんどの司祭やラビやムフティーは生物学とコンピューター科学の最新の飛躍的な発展を理解していない。なぜなら、もしそうした発展を理解したければ、あまり選択肢がないからだ。古代の文書を暗記してそれについて議論する代わりに、科学の論文を読んだり、研究室で実験したりするのに「時間をかけざるをえないのだ。
だからといって、自由主義は現在の成功に安んじていられるわけではない。たしかに自由主義は人間至上主義の宗教戦争に勝ち、2016年現在、現実的に見て、それに取って代われるものは存在しない。だが、ほかならぬこの成功が、じつは自由主義の破滅の種を宿しているのかもしれない。勝利を収めた自由主義の理想が、今や人類を駆り立て、不死と至福と神性に手を伸ばさせようとしている。けっして間違うことはないとされる顧客や有権者の願望に煽り立てられて、科学者と技術者はこうした自由主義のプロジェクトにしだいに多くのエネルギーを注いている。ところが、科学者が発見しているものと技術者が開発しているものは、自由主義の世界観に固有の欠点と、消費者と有権者の無知無分別の両方を、図らずも暴き出しかねない。遺伝子工学とAIが潜在能力を余すところなく発揮した日には、自由主義と民主主義と自由市場は、燧石のナイフやカセットテープ、イスラム教、共産主義と同じくらい時代遅れになるかもしれない。
本書は、21世紀には人間は不死と至福と神性を獲得しようとするだろうと予測することから始まった。この予測はとりわけ独創的でもなければ、先見の明があるものでもない。それはただ、自由主義的な人間至上主義の伝統的な理想を反映しているにすぎない。人間至上主義は人間の命と情動と欲望を長らく神聖視してきたので、人間至上主義の文明が人間の寿命と幸福と力を最大化しようとしたところで、驚くまでもない。
とはいえ、本書を締めくくる第3部では、この人間至上主義の夢を実現しようとすれば、新しいポスト人間至上主義のテクノロジーを解き放ち、それによって、ほかならぬその夢の基盤を損なうだろうと主張することになる。