じじぃの「謎のシュメール人は極東の日本に渡った?パワースポットはここですね」

【衝撃】日本人の起源は神の民といわれるシュメール人なのか!?多くの共通点が語る日本人とシュメール人の関係!驚愕の内容とは

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日本人とシュメール人の驚きの共通点が!

『パワースポットはここですね』

高橋秀実/著 新潮社 2019年発行

優しいピラミッド――MW より

岐阜県中津川蛭川は日本の三大鉱物山地のひとつといわれている。
蛭川一帯の岩盤は花崗岩だが、形成される際に水蒸気などが中に閉じ込められ、「晶洞」(空洞のこと)ができるタイプが多いらしい。岩が割れると晶洞の壁面に鉱物が露出する。水晶、長石、トパーズ、サファイア、アクアマリン……。それらは川を流れて田んぼにも辿り着く。かつては「石を割ると口がとれた(生活ができた)」といわれ、鉱物マニアの間でも蛭川は「石の聖地」と呼ばれているのだ。
さらに蛭川にはピラミッドがある。明治33年から当地で石材の加工・販売を続ける株式会社博石館が、地元の花崗岩を積み上げて建設したもの。ピラミッド周辺には鉱物展示館も設置され、「宝石探し体験」「石職人体験」なのができる石のテーマパークになっている。以前にはピラミッドパワーの実験も行われたらしく、石のパワーを存分に堪能できるスポットのようなのである。
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博石館のすぐ近くに聳える笠置山、そして裏手にある矢筈山も古代ピラミッドだという説があるらしい。さらに岐阜県には位山、高屋山、鍋山等々にも伝説があり、ピラミッドだらけの様相なのである。
事の発端は酒井勝軍が書いた『太古日本のピラミッド』(國教宣明團 昭和9年)。同書によれば、エジプトのピラミッドは観光客が多くて有名なだけであり、元来のピラミッドは「天地神明モツト的に言へば天照日神を祭祀する神殿である」と断定したのである。なんでも元来のピラミッドは上空から見ると太陽から放射状に光線が出ている文様で、それは日章旗にそっくりだという。さらには「エヂジプトの砂漠には山が無いために己むを得ず石材で建造したが、日本には山が有り餘つて居るので其必要を認めないことを忘れてはならぬ」とのこと。山はそのままでピラミッド。「日本天皇の世界君臨」の証しとまで宣言しているのだ。どうやらピラミッドパワーとはもともと愛国心のパワーだったようで、腫れはこう言い切っていた。
  余の研究は、いつでも信仰的断定が先きになつて、科学的説明が後になる
科学的説明は後回し。彼は岐阜県でも「信仰的」に山々を鑑定したらしい。
高山市在住の上原清二さんの記録によると、昭和9年に上野平などをピラミッドとして認定し、さらには「飛騨が神代の中心であった」「天照皇大神の最後の高天原が飛騨である」(『世界の神都飛騨高山』八幡書店 昭和60年)とも断言したそうである。世界の中心は飛騨高山。その研究は平成の時代にも受け継がれ、地域活性化の一環として地元で「岐阜県超古代文化研究会」が結成されていた。そして近隣の山々でペトログラフ(岩刻文字)やメンヒル(立石)などを次々と発見。ペトログラフは古代シュメール文字に似ているそうで、「シュメール人は、紀元前2000年代にアッカド人に追われて大西洋を越えてアメリカ大陸に逃れたり、アラビア海から北へ逃れて黒潮に乗って極東の日本にも達した」(吉田信啓著『岩刻文字の黙示録』徳間書店 1995年)と解釈されたりしている。私たちはシュメール人の末裔のようで、そこまで言うと問われるのは信じるパワー。ピラミッドパワーとは信じるパワーなのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
シュメール人はどこから来て、どこへ行ってしまったのか?
メソポタミア文明は世界4大文明の1つで世界最古の文明とされ、太陰暦楔形文字・60進数法等を考え出したといわれる。
たぶん、彼らは古代インダス文明を作った人々と共通祖先なのだろう。
旧約聖書の創世記に登場するノアは、シュメール人のことのようだ。
都市国家として発展したシュメール文明は、紀元前2350年頃サルゴン率いるアッカド王国に征服されセム人の支配を受ける。
やがてシュメール人は自らの支配を取り戻し、紀元前2050年頃ウル第3王朝として復活する。
この時代を最後に、シュメールの栄光はメソポタミアの歴史から姿を消してしまう。
彼らはどこに消え去ってしまったのだろうか。
シュメール人は、紀元前2000年代にアッカド人に追われて大西洋を越えてアメリカ大陸に逃れたり、アラビア海から北へ逃れて黒潮に乗って極東の日本にも達した」
私たち日本人はシュメール人の末裔らしい。
これを信じるパワーはピラミッドパワーといわれる。