じじぃの「歴史・思想_123_数学の天才・先駆者・ウィリアム・サーストン 」

William Thurston

『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

裏返しにする ウィリアム・サーストン より

●ウィリアム・ポール・サーストン(1946~2012年)
1971年12月、カリフォルニア大学バークレー校で、力学系に関するセミナーが開かれた。
部屋の後ろにほうに、あごひげを蓄えて髪を伸ばしたヒッピー風の内気な若い大学院生が座っていた。するとその学生は立ち上がって、かなり遠慮がちに、その証明は間違っていると思うと言った。そして黒板の前へ進み、2枚の平面の図を描いてそれに点を7個打ち、講演者が説明した方法を使って一つの配置の点を二つめの配置の位置に動かしはじめた。それぞれの点が移動する経路を線で描いていくと、線どうしが互いに邪魔になりはじめた。障害物を避けるには次の経路はもっと長くしなければならず、それがますます長い障害物になってしまう。やがて線がギリシャ神話に登場するヒドラの頭のようにはびこって、学生の言うとおりだということがあらわになっていった。
その場にいたデニス・サリヴァンは次のように記している。「あれほど包括的で独創的な反例があれほど素早く示された場面など、それまで一度も目にしたことがなかった。さらに輪をかけて。そこから現われた幾何構造のとんでもない複雑さには畏れを抱いた」
その学生の名はウィリアム・サーストン、友人や仲間からは「ビル」と呼ばれていた。サーストン にまつわるこのようなエピソードは何十とある。サーストン は生まれつきの幾何学的直観力を備えていて、とくにきわめて複雑な事柄にかけては抜きん出ていた。そして、新たに発展しつつあった4次元、5次元、6次元など多次元の幾何学を舞台にその驚異の能力を発揮して、数々の専門的な問題を見抜いて、その根底にある単純な原理を暴き出す術をわきまえていたのだ。
サーストンは当時を代表するトポロジー学者の一人となり、数々の重要な問題を解決するとともに、その桁外れの才能をもってしても歯が立たないいくつかの重要な予想を立てた。現代純粋数学の真の偉人であるビル・サーストンは、数学者という人種の代表としてまさにふさわしい人物である。

数学的概念を視覚化する能力

サーストンは3次元の双曲幾何を改めて取り上げたことで、幾何学の最先端研究にコンピュータを活用する先駆けとなった。1980年代後半にアメリカ国立科学財団は、学会の開催や一般向けの活動をおこなう新設のミネソタ大学幾何学センターに資金を提供した。このセンターはコンピュータ・グラフィックスの利用も押し進め、作成した動画のうち2本はかなりの人気を博した。センター自体はすでに閉鎖されているが、動画はいまでもウェブ上で見る事ができる。
1本目の”Not Knot”は、サーストンが発見したさまざまな3次元双曲多様体をあちこち飛び回るというもの。その複雑で魅力的なグラフィックスはあまりにサイケデリックで、その一部がロックバンド、グレートフル・デッドのコンサートにも使われた。もう1本の動画”Outside In”は、スメールが大学院時代の1957年に発見した驚きの定理をアニメーションで表現している。その定理とは、球面を裏返しにできるというものである。
外側を金色に、内側を紫色に塗った球面をイメージしてほしい。もちろん、穴を開ければその穴を通してひっくり返すことができるが、それではトポロジー的な変形にならない。風船のような実際の球面をトポロジー的にひっくり返すのは明らかに不可能だが(ただしその証明は完全に自明とはいえない)、数学的な球面なら、自分自身をすり抜けさせるという、風船にはできない技を使って変形させることができる。
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サーストンはそのほかにもいろいろな方法で、数学に対する人々の見方を大きく変えた。数学者であるとは実際どういうもので、研究上の問題に対してどのように思考をめぐらせていくかを文章に綴ることで、外部の人が内幕を覗けるようにしたのだ。また、ファッション・デザイナーの藤原大は、8種類の幾何のことを聞きつけてサーストンに声をかけ、その交流から女性用のさまざまなファッションを生み出した。
サーストンは、トポロジーから力学系に至るまで幾何学の多くの分野に幅広く貢献した。その研究の特徴は、複雑な数学的概念を視覚化する驚きの能力にあった。証明を求められると図を描くのが常で、その図の多くは、それまで誰も気づかなかった隠されたつながりを暴き出した。もう一つの特徴は、証明に対するサーストンの姿勢にあった。自明だからとして詳細を省くことが多かったのだ。誰かに「わからないから説明してくれ」と頼まれると、その場で別の証明を考え出して、「こlっちのほうが気に入るだろう」と言うのだった。
サーストンにとって数学はすべて一体につながったものであってふつうの人が自分の家の裏庭のことを知っているように、数学のなかを歩き回る術を知っていたのだ。
サーストンは2012年、黒色腫の手術で右目を失ったのちに世を去った。治療中も研究を続け、複素平面の有理写像の離散力学における新たな基本的結論をいくつか証明した。数学の学会にも顔を出し、自分の愛する分野に若者が興味を持ってくれるよう取り組んだ。どんな障害があろうがけっしてあきらめなかったのだ。