ニコライ・ロバチェフスキー - あのひと検索 SPYSEE
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LOBACHEVSKY - Tom Lehrer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=RNC-aj76zI4
非ユークリッド幾何学とは (ノンユークリドキカガクとは) ニコニコ大百科
ユークリッド幾何学は三角形やら円やらが出てくるいわゆる普通の「幾何学」の事を言う。これは明確にルールが定まっており、長らく数学的厳密さの手本とされてきた。が、全く瑕瑾がなかったわけでもない。唯一の弱点とされていたのが第五公準の妥当性である。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6
ニコライ・ロバチェフスキー ウィキペディア(Wikipedia)より
ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキー(Nikolai Ivanovich Lobachevsky, 1792年12月1日 - 1856年2月24日)はロシアの数学者である。
カザン大学に学び、21歳で同大学教授となり、1827年から1846年には学長も兼ねていた。1826年に幾何学の基礎に関する論文をカザン大学の物理・数学科に提出したが、刊行されずに失われた。1829年に大学学報にその学説を発表しさらに『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』の中で詳しく展開した。ついで Geometrische Untersuchungen zur Theorie der Parallellinien (1840年) をベルリンで刊行した。これらによってロバチェフスキーはヤノーシュ・ボヤイとは独立に非ユークリッド幾何学の創始者となり、この新幾何学の自然的根拠についても深い省察を与えた。卓越した教育者であり、20年以上学長を務めたカザン大学で後進の指導を手がけ、レーニンの父であるイリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤノフはロバチェフスキーの推薦でドヴォリャンスキー学院の物理と数学の上席教師となった。
ユークリッド原論 ウィキペディア(Wikipedia)より
『原論』(Elements)は、紀元前3世紀ごろにエジプトのアレクサンドリアで活躍した数学者エウクレイデス(英語式には Euclid(ユークリッド))によって編纂された数学書である。
論証的学問としての数学の地位を確立した古代ギリシア数学を代表する名著。
英語の数学「Mathematics」の語源といわれているラテン語またはギリシア語の「マテーマタ」は「学ばれるべきことども」という意味であり、このマテーマタを集大成したものが『原論』である。
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『ニュートン別冊 数学の世界』 2013年2月発行
ニコライ・ロバチェフスキー 「非ユークリッド幾何学の基礎をつくりあげた」 (一部抜粋しています)
ロシアの数学者ニコライ・ロバチェフスキーは、現在のゴーリキー近郊に生まれた。7歳のときに父が亡くなり、未亡人となった母が3人の息子を育てた。生活が苦しかったため彼女はカザンへ移り、そこにあるギムナジウムに給費生として入学できるように、息子たちを激励した。
息子たちはよくその機体にこたえた。ニコライは1802年にギムナジウムへの入学が許された。ギムナジウムでは数学の成績がとくにすばらしかった。1807年にカザン大学へ入学したころには、すでにアイザック・ニュートンの『プリンキピア』やその他の数学の専門書や論文を勉強し終えていた。
この大学で彼は、学生、助手、助教授、教授、さらには学長として約40年の日々をすごすことになる。ロバチェフスキーは勤勉で、また実務をこなす才能をもっていた。ロバチェフスキーは。大学校舎の増設と近代化がなされたときにもあたえられた経費を能率的に使って、すばらしい校舎をつくりあげた。
ユークリッドによって書かれた幾何学の教科書『原論』の中の5つの公準には次のようなものである。
1.2点を結ぶ直線を引くことができる。
2.線分は延長することができる。
3.任意の中心と半径をもった円をかくことができる。
4.直角はすべて等しい。
5.1つの直線が他の2つの直線と交わり、その一方の側にできる2つの角の和が2直角より小さいときは、それらの2つの直線をどこまでも延長したときに、それらの2直線は合わせて2直角より小さい角のできる側で交わる。
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ロバチェフスキーはユークリッドの第5公準の証明ができるかどうかを問題にしなかった。それよりも彼は、そもそもこの公準が必要なものかどうか、この公準がなくても、(ユークリッド幾何学とはちがった)幾何学が成立するかどうかを問題にした。
彼はあたえられた直線上にない1点を通って、その直線に平行な直線を「少なくとも2本」引くことができるという公準を仮定し、このようにしても矛盾のない幾何学の体系をつくりあげられることを示した。このロバチェフスキーの「非ユークリッド幾何学」では、三角形の無い角の和は2直角よりも小さくなる。そういう意味でこれは奇妙な幾何学ではあったが、矛盾のないものであった。なお、おなじころにハンガリーの数学者ヤノス・ボヤイも同様な結論に達していた。
1854年には、ドイツの数学者ゲオルグ・リーマンが、もう1つの非ユークリッド幾何学についての論文を発表した。リーマンはユークリッドの第5公準のかわりに、「あたえられた直線上にない1点を通って、その直線に平行な直線を引くことができない」という公準から出発して、矛盾のない幾何学の体系をつくりあげた。このリーマンの非ユークリッド幾何学では、三角形の内角の和は2直角よりも大きくなる。そういう意味でこれもまた奇妙な幾何学ではあったが、矛盾のないものであった。
リーマンが立てた新しい第5公準を少しいい直すと、「あたえられた直線上にない1点を通って、新しい直線を引くと、どの新しい直線ももともとの直線とどこかで交わってしまう」ということになる。平面上で考えると、これは奇妙な公準である。ここで、これらが平面でなく球面上での話であると考えてみよう。
ただしこの場合、これまで「直線」とよんできたものを「測地線」に置き換える。測地線とは、一般に曲面上の2点を結ぶ最短線のことである。平面上での測地線は直線であり、球面上では大円の弧(こ)になる。大円は、級の中心を通る平面と球面とが交わってできる円である。
球面上での話であると考えたときの、リーマンの公準および結果はそれぞれ次のようになる。「球面上の2つの大円は、必ずどこかで交わる。すなわち平行な大円はありえない」および「3つの大円が交わってできる三角形(に似た形)の内角の和は2直角よりも大きくなる」。球面上で考えると、これらはいずれも常識的で正しい結論となる。
同様なことが、ロバチェフスキーの(第5)公準および結果についてもいえる。ただしこの場合の曲面は「擬球」である。擬球上での三角形の内角の和が2直角より小さくなることも証明されている。平面上のこととしとて考えると奇妙なロバチェフスキーの公準および結果も、これを擬球面上のこととして考えると、常識的で正しい結論ということになる。
1905年に「特殊相対性理論」を提案したドイツの物理学者アルバート・アインシュタインは、宇宙の構造がユークリッド的というよりむしろ非ユークリッド的であるとしている。彼はロバチェフスキーを「公理に挑戦した人」とよんでいる。
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ニコライ・ロバチェフスキー Google 検索
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