じじぃの「宇宙には無など存在しない・ギリシャ人がゼロを嫌ったわけ!異端の数ゼロ」

Math Movie Zero 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=t-n1zHX0wXg
Euclid: The Art of Geometry 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3GY5blTTeSA
時空を超えて 「時間の正体は何なのか?」 (追加) 2017年2月3日 NHK Eテレ
【案内人】モーガン・フリーマン
「時間」は宇宙の歴史を考察する上で最も根源的な謎と考えられている。
その起源は、138億年前にビッグバンが起こった38万年後、「宇宙の晴れ上がり」が起こり、光が宇宙を自由に動けるようになった時という説がある。「光の速度は不変」なので、時間を図る尺度になるという考えに基づく。また、時間は連続せずに次々と発生しているという説、「熱」が時間を生じさせるという説もある。
量子物理学によれば空っぽの空間にもエネルギーのゆらぎが起こります。つまり無から有が生じる可能性があるという事です。例えばウランなどの放射性元素を考えて下さい。何も変化しないように見えますが、次の瞬間にも原子核が自ら崩壊し新たに放射線を出すかもしれません。
時空そのものにも同じような性質があるのではないかと考えています。空間に量子ゆらぎが存在する事は既に分かっています。
カリフォルニア大学の物理学者ハートム・ハフナーは「タイムリング」と呼ばれる実験を進めています。もし、タイムリングの実験が成功すれば空間だけでなく時間にも量子ゆらぎが存在する事が証明されるはずです。
http://www4.nhk.or.jp/P3452/x/2017-02-03/31/5026/1988014/
時空を超えて 「“時間”は存在するのか?」 2016年6月10日 NHK Eテレ
【案内人】モーガン・フリーマン
時間とは何なのか?
この宇宙に実在するものなのか? あるいは、人間が作った幻想なのか? 科学最大の謎と言われる「時間」に、世界の研究者たちがさまざまな角度から迫る。
時間とは何なのだろう? どのように定義できるのだろう? 1日を数字で刻むもの。脳で構築しているもの。時間は実在せず、空間から推察されるという説、宇宙の光の速度の変化をはかることで、実在を証明できるという説もある。事故にあった時にスローモーションのように感じるのは、脳の働きによるものだと言われる。
空間が先か時間が先か。これは宇宙の大爆発誕生ビッグバンにまで遡る議論です。
ビッグバンによって宇宙が誕生して以来エントロピーは増大してきました。
http://www4.nhk.or.jp/P3452/5/
異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)  Amazon.co.jp
この数字がすべてを狂わせる――。バビロニアに生まれ、以来、無を拒絶するアリストテレス哲学を転覆させ、神の存在を脅かすが故にキリスト教会を震撼させ、今日なおコンピュータ・システムに潜む時限爆弾として技術者をおののかせるゼロ。この数字がもたらす無と無限は、いかに人類の営みを揺さぶり続け、文明を琢磨したのか? 数学・物理学・天文学から宗教・哲学までを駆け巡る、一気読み必至の極上ポピュラー・サイエンス

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ゼノンのパラドックス ウィキペディアWikipedia)より
ゼノンのパラドックスは、エレア派のゼノンの考えたパラドックスで、パルメニデスの「感覚は全て疑わしいものである」こと、特に「一があるのであって多があるのではない、多があるとすれば運動は不可能である」という学説をピタゴラス学派の多を主張する立場を批判して唱えたものであった。
アキレスと亀
「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである、という議論である。」アリストテレス『自然学』

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『異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 チャールズ・サイフェ/著、林大/訳 早川書房 2003年発行
無からは何も生まれない――西洋はゼロを拒絶する (一部抜粋しています)
ゼロは西洋哲学の中心的教義の一つと衝突した。その教義の源はピタゴラスの数哲学にあり、その重要性はゼノンのパラドックスからきている。ギリシャ人の宇宙全体が、一本の支柱に支えられていた。空虚などないという考えに。
ピタゴラスアリストテレスプトレマイオスが創造したギリシャ人の宇宙は、ギリシャ文明が崩壊した後も長く生き延びた。その宇宙には無などというものはない。ゼロなどない。そのため、西洋は2000年近くゼロを受け入れられなかった。その帰結は悲惨だった。ゼロがなかったために、数学の発展と科学の革新は滞るし、ついでに暦も滅茶苦茶になってしまう。ゼロを受け入れるために、西洋の哲学者はまず自分たちの宇宙を破壊しなければならなかった。
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ゼロの受容を阻んだのはギリシャの数体系ではなかった。知識のなさでもなかった。ギリシャ人は、夜空に取りつかれたせいでゼロについて学んでいた。たいていの古代民族と同じく、ギリシャ人も天体観測を好んだ。バビロニア人は最初の天文学の達人だった。食(しょく)を予測するすべを身につけていた。ギリシャ初の天文学者だったタレスは、バビロニア人から、ことによるとエジプト人を通じてそのすべを学んだ。紀元前585年に日食を予言したと言われていた。
バビロニア天文学とともにバビロニアの数ももたらされた。天文学上の目的でギリシャ人は60進数の数体系を採用し、1時間を60分に、また1分を60秒に分けた。紀元前500年頃、バビロニアの文献に空位を表わすものとしてのゼロが現れはじめた。当然、ゼロはギリシャ天文学界にも広まった。古代天文学の絶頂期にギリシャ天文学図表では煩雑にゼロが使用された。ゼロを表す記号は小文字のオミクロンоだった。偶然だろうが、現代のゼロの記号によく似ている。(オミクロンが使われたのは「何もない」を意味するギリシャ語のオウデンの頭文字からきているのかもしれない)。
ギリシャ人はゼロを好まず、使うのをできるだけ避けた。ギリシャ天文学者たちは、バビロニアの記数法で計算したあと、結果を不便なギリシャ式数字に変換した。ゼロなしで。ゼロが古代西洋の数に入りこむことはついになかった。だから、オミクロンが私たちの0の母であることはありそうもない。ギリシャ人は計算でゼロが便利であることは知っていたが、それでもゼロを拒絶した。
そういうわけで、ギリシャ人がゼロを拒絶したのは無知のせいではなかったし、制約の大きいギリシャの数=形の体系のせいでもなかった。哲学のせいだった。ゼロは西洋世界の根本的な哲学的信念と衝突したのだ。ゼロのうちに、西洋世界の教義にとって有害な概念が二つ潜んでいたからだ。この二つの概念は、やがて、長らく君臨したアリストテレス哲学を崩壊させることになる。その危険な概念とは、無と無限である。
無限と空虚には、ギリシャを恐れさせる力があった。無限は、あらゆる運動を不可能にする恐れがあったし、無は、小さな宇宙を1000個もの破片に砕け散らせる恐れがあった。ギリシャ哲学は、ゼロを斥けることによって、自らの宇宙間に2000年にわたって生きつづける永続性を与えた。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館の中で数学関連コーナーを覗いてみたら、『異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』という本があった。
異端の数ゼロか。ゼロ(0)の物語だ。
「無限と空虚には、ギリシャを恐れさせる力があった」
熱力学の第二法則にエントロピーの法則として、エネルギー保存の法則がある。ゼロからは何も生まれない。
ギリシャ人がゼロを拒絶したというのは、何か理解できるような気がずる。
インドは混沌の世界だ。ゼロとか無限とかいう概念はインド人に向いていたのかもしれない。