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ノーベル賞物理学者 益川さん、マキノ中で講演 動画 YouTube
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書評 「科学を語るとはどういうことか」 shorebird
本書は物理学者須藤靖と科学哲学者伊勢田哲治による科学哲学を巡る対談集である.実際には対談時のやりとりをベースにして,双方が調整しつつ加筆修正を加えており,メリハリの利いたきびきびとした対談に仕上がっている.帯を含めた装丁も大胆で,思わず手に取りたくなるうまい作りだ.
http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130623
哲学 ウィキペディア(Wikipedia)より
哲学(philosophy、philosophia)は、語義的には「愛智」を意味する学問的活動である。日本語辞典の広辞苑では、次のように説明している。
●『広辞苑』第五版、岩波書店、1998年、「哲学」
古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立によって、新カント派・論理実証主義・現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学問、生の哲学、実存主義など世界・人生の根本原理を追及する学問となる。認識論・倫理学・存在論などを部門として含む。
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『科学を語るとはどういうことか ---科学者、哲学者にモノ申す』 須藤靖、伊勢田哲治/著 河出書房新社 2013年発行
現在の科学哲学――科学の諸分野に分け入っていく哲学 (一部抜粋しています)
伊勢田 現在の科学哲学は、このベイズ主義などが流行した、実証主義のリバイバルの時代も一段落して、「個別科学の哲学の発展の時代」とでも呼べる時期にきていると思います。現在、科学哲学の研究領域は非常に多様です。強いて全体の共通項を挙げるなら、「科学で用いられる研究方法の分析」とか「科学者にとってあたり前の前提を問いただす」といった特徴づけはできると思いますが、それより細かいところになってくると問題意識も研究対象もばらばらです、そのばらばらなものの大きな分類として「一般科学哲学」と「個別科学の哲学」と呼ばれるふたつに大きく分けることができます。
一般科学哲学というのは、科学全体について哲学的に考えることで、論理実証主義やクーンやポパーは、みな科学全体の話をしているつもりだった(実際の事例は物理学に偏っていましたが)という意味では一般科学哲学をやっていたと言えると思います。
これに対して、個別科学の哲学というのは、ここまでの話にもいくつか出てきましたが、量子力学の哲学や、生物学の哲学といったように、自然科学の諸分野について考える分野です。一般科学哲学の応用として問題設定されることもあれば、その分野に特有の概念の分析や基礎的な理論の定型化を行うこともあります。
1990年代くらいから、科学哲学の研究の重心は個別科学の方に目に見えてシフトしてきました。それぞれの分野に固有の問題に取り組む方向で哲学が多様化しているのが今の科学哲学だと言ってもいいと思います。
たとえば、量子力学の解釈問題。これはもう何十年間も研究されているテーマですが、ここ20年くらいの間に様相解釈と呼ばれる一群の考え方が出てきて、多くの哲学者が興味を持つようになってきました。時間とは何か、時間と熱力学第二法則の関係はどうなっているか。割とマニアックなテーマだと思いますが、何人もの哲学者が取り組んでいます。あと、空間の実在性ですね。関係説と呼ばれる、空間は関係としてしか存在しないというライプニッツ(1646 - 1716)以来の説があって、これがどのぐらい良い説なのか、といった議論もされていますね。それから、不変性の概念、ゲージ対称性みたいなものはそれまで物理学の進歩において重要な役割を果たしてきたタイプの不変性と同じものなのか、違うものを単位対称性だというだけの理由で重視しているのかといった議論。彼は熱力学統計力学の関係を問うとか……これはもう、哲学者だけではないことになりますけども。
須藤 量子力学の観測問題とその解釈(ミクロな世界は確率的に振る舞うのか、決定論的に振る舞うのか)、時間の物理学的意味(時間の向きはなぜ決まっているのか)、空間の次元と実在性(たとえば空間は本当に三次元か)、物理学理論の対称性の起源(現在しられている4つの相互作用はすべてゲージ対称性という不変性から導かれるがそれはなぜか)……これらはいずれも超一級の根源的問題です。しかしながら、物理学者抜きに単なる思弁的な議論を繰り広げるだけでは何の解釈にもならないでしょうから、物理学者をどう巻き込んでいくかが鍵ですよね。
伊勢田 実際、この議論を哲学者だけでやっている例はまず無いです。だいたいは、哲学者と物理学者がコラボレーションするような感じで議論していると思います。アメリカなどでは、哲学者と物理学者が協力するための研究会が開催されている、私の古巣のメリーランド大学では、年1回「物理学の基礎の新しい方向性」という会合をやっていて、哲学者と物理学者の両者が研究発表をしています。
生物学の哲学というのもあって、進化論の理論的な問題や、機能という概念が使われるが、これはいったいなんなのかといった問い。あと、遺伝学と分子生物学の関係ですね。いろんな分野間の還元関係とか、まあそういうのが割と科学哲学の中で論じられている。
須藤 遺伝学は結局のところ分子生物学に帰着するか、という問いですか?
伊勢田 そうですね。たとえばメンデルの法則は、完全には分子生物学の言葉に置き換わらないんですよ。
須藤 それは物理でいうと、あらゆる現象は要素還元の終着点として素粒子論に帰着する、あるいは逆に、個々の素粒子の性質がわかっても無限に近い自由度が複雑に相互作用することが生まれるこの世の中の多様な現象は何も説明できないというふたつの極端な立場の間の価値観の差と同じ意味においてでしょうか。
伊勢田 大筋はそうなのですが、「完全に還元できる」の方が真実に近いと考える人と、そうでない人の間に、けっこうな温度差がある。あと、法則とは何かという話のバリエーションで、生物学に普遍法則はあり得るのかという問いもあります。法則が無いとしたら、生物学はそもそも科学なのかということにもなります。それに、実は生物学は山ほどモデルを作るんですよ、普遍性は無いけれども、だからそういう意味で、法則性というものを科学理論の本質的な要素にすると、生物学は科学でなさそうだけれども、モデルというのが本質だとすると割と科学に入れてもいいというような、そんな議論とか。
須藤 生物学であろうとなんだろうと、およそ科学的現象の背後に法則が無いと考えることは不可能でしょう。むしろ、それがどれだけ簡単に記述できるものなのか、あるいは数学で記述し尽くせるのか、という議論であれば十分理解できますが。
伊勢田 もちろん、そうです。ただ、生物学的な法則と呼べるものがあるかどうかについては否定的な立場の人が多いと思います。
そう考える一つの理由として、生命の発生も、その後の進化の歴史も、1回きりの、非常にユニークな出来事なわけです。そして、次にどこかで生物が発生したときに、地球上の生物と同じメカニズムを使って栄養摂取したり生殖したりする保証はない。そういう、過去に1回だけ起きた、同じことが起きる保証のない実際の歴史の流れについて考えることが、科学であり得るのかどうかということが問題になります。
須藤 そう言われると天文学はまさにそうなってしまいますが。
伊勢田 ですから歴史科学には天文学も入っています。特殊なタイプの科学として、ひとつのカテゴリーとしてその方法論を考えるべきなのかどうかみたいなことが、ひとつの研究対象になっている。歴史的説明というのが他の説明と違うタイプの説明なのかとか。
須藤 常識的には、科学の定義をどこまでひろげるかというだけの問題ですよね。確かに宇宙も地球も1回しか誕生しないという限りにおいて、再現性はないし検証可能性も無い。だから宇宙論や天文学は科学ではない。そう言い切ってしまうのは自由ですが、そう言ったところで別に何も新たな知見が得られるわけではない。単に、そのような科学の定義になじまない分野もありますね、というだけの気がします。
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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館で新刊書コーナーを覗いてみたら、須藤靖、伊勢田哲治/著 『科学を語るとはどういうことか ---科学者、哲学者にモノ申す』があった。
物理学者と哲学者の討論の本だ。ぱらぱら、本をめくったら、哲学者の言うことに、生物学は科学ではないようなことが書かれている。
「生命の発生も、その後の進化の歴史も、1回きりの、非常にユニークな出来事なわけです。そして、次にどこかで生物が発生したときに、地球上の生物と同じメカニズムを使って栄養摂取したり生殖したりする保証はない。そういう、過去に1回だけ起きた、同じことが起きる保証のない実際の歴史の流れについて考えることが、科学であり得るのかどうかということが問題になります」
地球に似た星など、まだ見つかっていないだけで、宇宙にたくさんあるような気がする。
生物学や天文学は科学ではない?
ふう〜ん。こんな考え方もあるんだ。