The Poincare Conjecture
Henri Poincare
ポアンカレ予想
ウィキペディア(Wikipedia) より
(3次元)ポアンカレ予想(Poincare conjecture)とは、数学の位相幾何学(トポロジー)における定理の一つである。3次元球面の特徴づけを与えるものであり、定理の主張は
単連結な3次元閉多様体は3次元球面 S3 に同相である
というものである。2019年11月現在、7つのミレニアム懸賞問題のうち唯一解決されている問題である。
【幾何化予想とペレルマン】
2002年から2003年にかけて当時ステクロフ数学研究所に勤務していたロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはポアンカレ予想を証明したと主張し、2002年11月11日に論文をプレプリント投稿サイトとして有名なarXivにて公表した。
そのなかで彼はリチャード・ストレイト・ハミルトンが創始したリッチフローの理論に「手術」と呼ぶ新たな手法を付け加えて拡張し、サーストンの幾何化予想を解決して、それに付随してポアンカレ予想を解決したと宣言した。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』
イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行
数学のモンスター
アンリ・ポアンカレはフランスのナンシーで生まれた。父親のレオンはナンシー大学の医学教授、母親の名はウジェニー(旧姓ローノア)。いとこのレイモン・ポアンカレは首相となり、第1次世界大戦中にはフランス共和国の大統領を務めた。
アンリは幼いときにジフテリアにかかり、回復するまでは母親から自宅で特別な教育を受けた。その後、ナンシーのリセ(中等学校)で11年過ごした。あらゆる教科でトップの成績を収め、とくに数学においては誰も太刀打ちできなかった。教師からは「数学のモンスター」と呼ばれ、全国賞もいくつか獲得した。記憶力も優れていて、3次元の複雑を形を頭のなかに思い描くことができた。目が悪くて、黒板の文字どころか黒板自体もよく見えなかったが、それをこの能力で補ったのだった。
ポアンカレ予想
トポロジーとは「ゴムシートの幾何学」のことであった。ユークリッド幾何学は、長さや角度や面積など、剛体運動で保存される性質に基づいて構築されている。トポロジーではそれらをすべて忘れて、曲げたり伸ばしたり、縮めたりねじったりといった、連続変形で保存される性質に注目する。そのような性質としては、連結しているかどうか(一つの部分からなるか、あるいは二つの部分からなるか)、結び目があるかどうか、そして穴が開いているかどうかなどがある。曖昧な分野に聞こえるかもしれないが、連続性はおそらく対称性よりもさらに基本的な概念だ。20世紀トポロジーは代数学と解析学に並んで、純粋数学の3本の柱の一つとなる。
その発展は、ポアンカレがゴムシートからいわばゴム空間へとトポロジーを拡張したことによるところが大きい。シートのたとえは2次元的な概念である。ガウスのように周囲の空間を無視すると、シート(正式には曲面という)上の1点を指定するには2つの数があればいい。ガウスが学んだヨハン・リスティングなど、正統的なトポロジー学者は、曲面のトポロジー的性質をかなり詳細に解明した。とくに、考えられる形をすべて列挙することで曲面を分類した。そのさいには、平らな多角形(およびその内部)を使って曲面を作る巧妙な手法が使われた。
曲面のなかでも単純でしかも重要な例が、トーラスである。3次元空間のなかに埋め込むと、中央に穴が1つ開いたアメリカンドーナツのような形をしている。数学で言うトーラスは、ドーナツの表面として定義される。中身も空気も使わずに定義することができる。まず正方形を1つ考え、さらにルールとして、その対辺上のそれぞれの対応する点どうしを同じものとみなせばいい。もしこの正方形を丸めて、対辺どうしをつなぎ合わせれば、確かにトーラスの形ができる。しかしいまのルールを覚えてさえいれば、平らな正方形ですべて事足りる。
偉大な数学的遺産
ポアンカレは理想主義的な学者の典型であるかのように見えるかもしれないが、実際には生涯を通して鉱業と関わりつづけ、1881年から85年までは公共事業省の技師として北部の鉄道の開発も指揮した。1893年には鉱業団の主任技師となり、1910年には監督長に昇進した。パリ大学では、力学、数理物理学、確率論、天文学と、いくつもの分野の教授を務めた。オスカル王の賞を獲得する2年前の1887年には、わずか32年で科学アカデミーの会員に選出され、1906年には会長となった。1893年には経度委員会に加わり、世界統一の時間体系の構築を目指して、世界中をいくつもの時間帯に分割することを提案した。
ポアンカレは、特殊相対論をめぐってアインシュタインをあと一歩で出し抜くところまで肉薄した。1905年に、マクスウェルの電磁気方程式がいまで言うところのローレンツ群のもとで不変であり、ゆえに運動している座標系で光の速さが一定でなければならないことを示したのだ。ポアンカレは、実際の物理がそのとおりになっているという重要な点を見落としたようだが、アインシュタインはそれを正しく把握した。そして、特殊相対論における平坦な時空のなかを光速で伝わる重力波の概念を提唱した。その重力波は2016年にLIGO実験によって検出されるが、それ以降に、舞台は一般相対論の湾曲した時空へと移っていた。
1912年、ポアンカレは癌の手術を受けたのちに塞栓症で亡くなり、モンパルナスの墓地にある一族の地下納骨所に安置された。ポアンカレが提唱した数々のアイデアをほかの人たちが発展させるにつれ、その数学の名声はどんどんと膨らんでいった。今日ではポアンカレは、数学界の偉大な創始者の一人、当時の数学のほぼあらゆる分野を手中に収めた最後の人物の一人と受け止められている。その数学的遺産はいまだ健在である。