じじぃの「歴史・思想_120_数学の天才・先駆者・クルト・ゲーデル」

Math's Existential Crisis (Godel's Incompleteness Theorems)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YrKLy4VN-7k

Kurt Godel

『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

不完全で決定不可能 クルト・ゲーデル より

●クルト・フリードリヒ・ゲーデルオーストリアハンガリー1906~アメリカ1978年)
数学者のなかには、現実世界への意識を欠くあまりに本当にいかれてしまう人もいる(けっして数学者に限ったことではないが)。その最もわかりやすい例が、一度も研究職に就かず、自分の家も持たなかったポール・エルデシュだろう。エルデシュは同業者の家を渡り歩いては、ソファーで一晩、あるいは空いている部屋で何ヵ月も過ごした。それでも1500編もの並外た研究論文を書き、500人もの数学者と共同研究をおこなった。
いかれているということで言えば、人生のどこかの段階で精神を病んでしまった人もいる。カントールは深刻な鬱の発作に悩まされた。小説および映画『ビューティフル・マインド』の主人公ジョン・ナッシュは、1994年のノーベル経済学賞を受賞した(もっと正確に言うとノーベル記念賞だが、たいていは本来のノーベル賞と同等に扱われる)。しかし妄想型統合失調症と診断される症状に長年悩まされ、電気ショック療法を受けた。そして、人格の変化を自覚してそれに屈しないよう意識することで、自力でなんとか回復した。
クルト・ゲーデルも明らかに変人で、ときにはそれだけで済まないこともあった。研究分野に選んだ数理論理学は、当時は数学の主流ではなく、その点だけでもほとんどの同業者よりも少なからず浮世離れしていた。それを埋め合わせるように、この分野におけるゲーデルの発見は、論理学と数学の基礎、そしてそれらの関わり合いに対する我々の考え方を覆した。ゲーデルは優れた独創性を発揮し、驚くほど深い思索を進めたといえる。

真偽が定まらないような命題が存在する

ゲーデルはいくつかの疑念に基づいて、2つの衝撃的な結論を証明した。それが、不完全性定理と無矛盾性定理である(訳注:一般には前者を「第一不完全性定理」、後者を「第二不完全性定理」と呼んでいる)。
無矛盾性定理は不完全性定理に基づいている。矛盾を含む論理体系ではどんな命題でも証明できてしまうのだから、「この論理体系は無矛盾である」という命題も証明できるだろう(もちろん「この論理体系は矛盾を含んでいる」という命題も証明できるが、それは無視する)。しかし、そのような証明がどんな真理を裏付けているというのだろうか? 何も裏付けてはいない。直感的に「そうかそうか」と言っているだけだ。ヒルベルトの研究計画をこの罠から逃がしてやれそうな方法は一つだけ。形式的な公理系では、「この体系は無矛盾である」という命題には意味がないのかもしれない。そもそも、どう見ても算術の命題には見えないし。
それに対してゲーデルは、この命題を算術に変えてしまった。形式的な数学体系は記号から構成されていて、何らかの命題の証明(証明とされるもの)は単に記号の列である。それらの記号にコード番号を割り振れば、記号列にそれぞれ固有の数値コードを与えることができる。その方法としてゲーデルは、コード番号の列abcdef……を、素数の累乗の積、
  2a3b5c7d11e13f……
で定義される一つの数に変換した。この数を再びコード番号の列に戻すには、素因数分解の一意性を使えばいい。
記号列を数にコード化する方法はほかにもいくつかあるが、この方法は数学的に簡潔である一方で、まったく実用にはならない。しかしゲーデルに必要だったのは、そのような方法が存在することだけである。
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ゲーデルは、数学に対する人類の哲学的見方を一気に変えてしまった。数学の真理は絶対ではありえない。数学の論理体系では真偽が定まらないような命題が存在するのだ。
リーマン予想のような未解決予想は真か偽のどちらかであって、証明か反証のどちらかが存在するはずだと、普通は決めつけられている。しかしゲーデル以降は、そこにもう一つの可能性を付け加えなければならない。集合論の公理系からリーマン予想へ至る道筋が存在しないと同時に、その同じ公理系からリーマン予想の否定へいたる道筋も存在しないというケースがあるうるのだ。もしそうだとしたら、リーマン予想が真であることの証明も、偽であることの証明も存在しない。たいていの数学者なら、リーマン予想は決定可能であるというほうに賭けるだろう。それどころかほとんどの人は、リーマン予想は真であって、いつかその証明が見つかるだろうと考えている。もし真でなかったら、臨界線上にない零点という反例が見つかるにちがいない。どちらなのかまだわからないというだけだ。