じじぃの「歴史・思想_109_数学の天才・先駆者・フェルマー」

The Heart of Fermat's Last Theorem - Numberphile

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ua1K3Eo2PQc

Pierre de Fermat

フェルマーの最終定理

ウィキペディアWikipedia

フェルマーの最終定理Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理のことであるフェルマーの大定理とも呼ばれる。

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『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

最終定理 ピエール・ド・フェルマー より

●ピエール・ド・フェルマー(フランス1601~フランス1665年)
何百年も答えの出ない問題、とくに、出題されたときには存在さえしていなかった分野で中心的な重要性を帯びるようになる問題を出せる数学者など、片手で数えられるほどしかいない。その特別な人たちのなかでもおそらく最も有名なのが、ピエール・フェルマーである。(貴族の称号である”ド”は、のちに政府役人になったときに付け加えられた)。しかし厳密にいうと数学者ではなく、法学の学位を取ってトゥールーズ高等法院の評議員になった。とはいえ、アマチュア数学者呼ばわりするのは失礼だ。法律で生計を立てる無給のプロ数学者と考えるのがいちばんだろう。
フェルマーは研究成果をほとんど発表していない。それはおそらく、数学以外の仕事のせいで書き上げる時間がほとんどなかったからだろう。それらの成果についてわかっていることはおもに、ピエール・ド・カウカヴィ、ルネ・デカルト、マラン・メルセンヌブレーズ・パスカルといった数学者や哲学者に宛てた手紙に基づいている。
フェルマーは証明の意義をわきまえており、とくに、現存する文書に書き直した命題のなかで唯一間違っているもの(素数のみを与えると考えた公式)には、証明が欠けているという言い訳が添えられている。いまも残っている証明はごくわずかにしかないが、そのなかで最もじゅうようなのが、2つの平方根を足し合わせても4乗数にはならないとことの証明で、それには「無限降下法」と名付けられた新しい手法が使われている。
フェルマー数学にはおける名声を数多く有している。幾何学を大きく前進させ、微積分の先駆けとなる方法を編み出し、確率論や光の数理物理学を研究した。しかし最大の業績は、数論に関する独創的な研究である。その分野では、テレビドキュメンタリーやベストセラー本によって一般のひとのあいだでも名声を獲得したあの予想を示した。いわゆるフェルマーの最終定理である。

1995年、最終定理の証明が完成した

1825年にはアンドリアン=マリ・ルジャンドルが最終定理の5次のケースを証明し、1832年にはペーター・ディリクレが7次のケースを証明しようとして失敗したが、それをもっと弱いケースに生かして14次のケースを証明した。1839年にはガブリエル・タメが7次のケースに取り組み、1847年にパリ科学アカデミーでその証明のこぅしを説明した。その証明には、特別なタイプの複素数において素因数分解に相当するものが使われていた。
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新たなアイデアが浮び上ってきたのは、1955年に谷山豊が一見したところこれとは無関係な、楕円曲線という数論の一分野に取り組んでいたときだった(これは誤解を招く呼び名で、楕円は楕円曲線の一種ではない。楕円曲線とは特別な種類のディオファントス方程式のことである)。谷山は楕円曲線と、複素解析におけるモジュラ関数の理論とが驚くような形で結びついているという予想を立てた。何年ものあいだほとんど信じられていなかったものが、志村=谷山=ヴェイユ予想と通常呼ばれているその予想が実は正しいかもしれないことを示す証拠が、徐々に集まっていった。
1975年にイヴ・エルグアーシュが、フェルマーの最終定理楕円曲線との関係性に気づき、もしフェルマーの最終定理の反例が存在するなら、そこからあるきわめて奇妙な性質を持った楕円曲線が導かれるのではないかと提唱した。そしてゲハルト・フライが1982年と1986年の2編の論文のなかで、そのような曲線はあまりにも奇妙すぎて存在するはずがないことを証明した。もしそうだとすると、背理法によってフェルマーの採取定理が証明されることになるが、ただしフライの証明には志村=谷山=ヴェイユ予想が欠かせない形で利用されており、その肝心の予想はまだ宙ぶらりんの状態だった。
しかしこれらの進展によって、多くの数論学者が、エルグアーシュとフライの方向性でうまくいきそうだと確信した。ジャン=ピエール・セールは、この道筋でいずれ誰かがフェルマーの最終定理を証明すると予測した。実際に証明される約10年前のことである。
1993年にアンドリュー・ワイルズがその最後のステップを踏み、志村=谷山=ヴェイユ予想のある特別なケースの証明を発表した。それは、フェルマーの最終定理の証明を完成させるのに十分なほど強力なケースだった。残念ながらその後ある論理的欠陥が明らかになり、すべて水泡に帰すかに思われた。だがワイルズは興奮だった。以前の教え子リチャード・テイラーの助けを借りて、1995年にその欠陥を塞ぐことができたのだ。そうして証明は完成した。