じじぃの「歴史・思想_116_数学の天才・先駆者・リーマン」

Bernhard Riemann

リーマン予想

コトバンク より
ドイツの数学者リーマンの論文「与えられた数より小さい素数の個数について」によって、1859年に提出された素数分布の規則性にかかわる予想。数学における未解決の難題であり、ミレニアム問題の一つとしても知られる。リーマン仮説。
[補説]リーマンのゼータ関数ζ(s)について、ζ(s)=0となる複素数sは、自明の零点である負の偶数を除くと、sの実部が1/2の直線上に存在するというもの。この予想が正しいとすると、従来の素数定理に、より厳しい制限を課すことができる。

                  • -

『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

素数の音楽家 ベルンハルト・リーマン より

ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマンハノーファー王国1826~イタリア1866年)
ベルンハルト・リーマンは20歳の頃から、とてつもない数学的才能と専門知識と独創性を発揮した。リーマンを教えた師の一人モリッツ・スターンはのちに、「彼はすでにカナリアのように歌っていた」と語っている。同じく師であったガウスはそこまで強い印象はうけなかったようだが、ガウスが教えていたのは初等的な教科で、リーマンが真の才能を発揮する場ではなかった。しかしまもなく、ガウスまでもリーマンの並外れた才能を見抜いて、博士研究の指導教官となった。テーマはガウスのお気に入りの複素解析だった。ガウスはその研究の「見事なほど豊かな独創性」を評価し、リーマンがゲッティンゲン大学の初級の教職に就けるよう手配した。

リーマン予想は数学最大の未解決問題の一つ

ガウス多様体や曲率に関する成果を見てリーマンの可能性と才気に気づいたが、数学界全体がそれを認識したのは、アーベル積分に関する研究結果が発表されてからだった。1859年、クンマー、カール・ボーチャ-ド、ヴァイエルシュトラウスはその研究に触れ、リーマンにベルリン・アカデミーの会員選挙に立候補するよう勧めた。新会員に課せられた課題の一つが現在の研究に関する報告をおこなうことで、リーマンは期待を裏切らない結果を残した。それまでリーマンは研究分野を再度替えていて、報告のタイトルは『与えられた大きさ未満の素数の個数について』。その報告のなかで、複素解析素数の統計的分布と関連づけるリーマン予想を提唱した。いまではこの予想は、数学全体で最も有名な未解決問題となっている。
素数は数学で中心的な位置を占めているものの、さまざまな点で腹立たしい存在である。とてつもなく重要な性質をいくつも持っていながら、驚くことに何一つパターンを示さない。素数のリストを順番に見ていっても、次の素数を予想するのは難しい(ただし、2よりあとの素数はすべて奇数だし、3、5、7など小さい素数の倍数は除外できる)。
素数は明瞭な形でただ一通りに定義されるが、それでも見方によってはランダムに見える。しかし統計的パターンは存在する。1793年頃にガウスは観察に基づいて、与えられた数xより小さい素数の個数が近似的に x / logx であることに気づいた。証明はできなかったが、この予想は素数定理と呼ばれるようになった(当時は、証明されていない命題にも「定理」という言葉がふつうに使われていた)。
フェルマーの最終定理について思い返すと、最終的に得られたその証明は、まったく予想外の方向から導かれたのだった。素数は数論に基づく不連続な存在。数学のなかでその対極にあるのが、連続的な対象を扱い、数論とはまったく異なる(幾何学的、解析学的、トポロジー的)手法を使う複素解析である。これらのあいだにつながりがあるなどとはどうしても思えなかったが、実は結びつきが存在し、それが発見されて以降、数学は様変わりしたのである。
その結びつきは、1737年、数式の鬼ともいえるオイラーが次のような事柄に気づいたことに端を発する。sを任意の数として、
無限級数
  1 + 2-s + 3-s + 4-s + …
は、級数
  1 + P-s + P-2s + P-3s + … = 1 / (1 - P-s)
の、すべての素数Pにわたる積に等しい。その証明は簡単で、素因数分解の一意性を冪(べき)級数にそのまま書き換えればほぼ片がつく。オイラーは、sが実数の場合、とくに整数の場合について考えた。しかしsが複素数であってもこの式は意味が通り、この場合、収束に関するいくつかの技術的な問題と、この式を定義する数の範囲を拡張させる手法が関わってくる。これをゼータ関数といい、ζ(z)と表わされる。
複素解析の威力が明らかになりはじめるにつれて、当然その新たな道具を使ってこの種の級数が調べられ、そこから素数定理の証明が浮び上ってこないかという期待がかけられるようになった。複素解析の専門家であるリーマンも必然的に関わっていった。
1848年、パフヌーティー・チェビシェフがゼータ関数(この呼び名はのちにつけられたものだが)を使って、素数定理の証明に向けて一歩前進したことで、この方向性が有望そうだとわかってきた。そして1859年にリーマンは、簡潔だが洞察に富む論文のなかで、ゼータ関数の役割を明らかにした。素数の統計的性質が、ゼータ関数の零点、つまり方程式ζ(z) = 0の解zと密接な関係にあることを示したのだ。
この論文の山場は、与えられた値xより小さい素数の正確な個数を、ゼータ関数の零点にわたって足し合わせた無限級数として与える公式である。そのうえで、まるでその余談であるかのように、すべての零点は負の偶数という字名なものを除いてすべて z = 1 / 2 + itという臨界線上にあるという予想を示している。
もしそれが正しければ、いくつもの重要な結論が導かれる。とくに、素数に関するさまざまな近似式が、現在証明されているよりも精確になる。リーマン予想が証明された場合の影響は多岐にわたるが、まだ証明も反証も見つかっていない。