じじぃの「歴史・思想_110_数学の天才・先駆者・ニュートン」

How did Kepler's law helps Newton to arrive at the inverse square law of gravity

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nTt_j3HsPBE

Newton's Principia

『数学の真理をつかんだ25人の天才たち』

イアン・スチュアート/著、水谷淳/訳 ダイヤモンド社 2019年発行

世界の体系 アイザック・ニュートン より

アイザック・ニュートン卿(1643~1727年)

不幸な子供時代

ニュートンは1642年のクリスマスの日に生まれた。少なくとも、生まれたときにはクリスマスの日付だった。しかしそれはユリウス暦に基づいて決められた日付であって、「失われた日々」で悪名高いグレゴリオ暦に切り替わると、公式の日付は1643年1月4日となった。子供時代には、リンカンシャー州の、グランサムに程近いウールスソープ=バイ=コルスターワースという小さな村の農家で暮らした。
ニュートンの父親は同じくアイザックという名前で、息子が生まれる2ヵ月前に亡くなった。ニュートン家は伝統的な農家で、父アイザックはかなり裕福に暮らし、大きな農場と邸宅と何頭もの家畜を有していた。農場を管理していたのはその妻ハンナ(旧姓アスキュー)。アイザック2歳のときにハンナは、ノース・ウィザムという近くの村の教会の牧師バーナバス・スミスと再婚した。アイザックは、ウールスソープに住む祖母のマジョリー・アスキューに育てられることになった。幸せな子供時代とは言えず、祖父のジェイムズ・アスキューとはあまりうまくいかなかった。母親や義父とはさらにそりが合わなかった。19歳で罪を告解したときには、「両親スミスに、家もろとも焼いてやると脅した」と語っている。
1653年に義父が亡くなると、アイザックはクラーク家に下宿しながグランサムのフリー・グラマー・スクールに通いはじめた。大家のウィリアム・クラークは薬剤師で、家はハイ通りのジョージ・インの隣にあった。町の住民のあいだでニュートンは、奇妙な発明品や機械仕掛けを作ることで有名になった。小遣いを工具につぎ込み、遊びなどをせずに、木材を使って女の子向けのドールハウスや実際に動く風車の模型などいろいろなものを作った。風車の模型には踏み車を取りつけてネズミに回させた。自分が座り、ハンドルを回して走らせることのできる小さなカートも作った。また、凧(たこ)に提灯を取りつけて、夜中に近所の人を驚かせたりもした。ウィリアム・スタックリーの書いた伝記によると、「近所の住民はみなしばらくのあいだ恐れおののき、市(いち)の立つ日には地元の人たちがエールビールのジョッキを傾けながら盛んに語り合った」という。

微積分をめぐるライプニッツとの大論争

バークリー主教は微積分の前提に不満だったかもしれないが、数学者というのはたいてい哲学者の言うことを無視したがる。とくに、完璧に通用している方法をやめろと言ってくる場合にはそうだ。しかし微積分をめぐって起こった大論争は、誰がそれを作ったのかという先取権争いのほうだった。
ニュートンは1671年には著作『流率法と無限級数』を書きとげていたが、出版はしなかった。ようやく日の目を見たのは1736年、ジョン・コルソンがそのラテン語の原文を英語に翻訳したときだった。一方のライプニッツは、1684年に微分について、1686年に積分について発表している。ニュートンの『プリンキピア』が出版されたのは1687年。しかも、そこに収められた結論の多くは実際には微積分に基づいていたものの、ニュートンは「主比と究極比」と呼ぶ原理を使って、もっと伝統的な幾何学の形式で説明することを選んだ。
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後世の歴史家は、この戦いは引き分けに終わったとみている。ニュートンライプニッツは、それぞれの手法を互いにはほぼ独立して考え出した。互いの研究のことをある程度は知っていたが、どちらも相手のアイデアを盗んではいない。

ニュートン物理学はいまだにきわめて重要である

『プリンキピア』は、それ以前の科学者、とくにケプラーとガレリオの業績を土台にして書かれている。ニュートンが重力の法則を編み出すうえで基にしたのが、ケプラーの導いた惑星運動の3つの法則である。一方のガリレオは、落下する物体の運動を実験的に調べてその測定値に美しいパターンを発見し、1590年に著作『運動について』で発表した。それをヒントにしてニュートンは運動の3法則を導いたのだった。『プリンキピア』の初版は1687年に出版され、その後、補遺や修正が加えられて何度も改訂された。
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『プリンキピア』の第1巻では、抵抗をおよぼす媒体が存在しない、つまり摩擦も空気抵抗も流体抗力も働かない場合の運動が論じられている。これが最も単純なタイプの運動で、最も簡潔な数字で表現できる。はじめに初比と終比の方法というものを説明し、それ以降はすべてこの方法に基づいている。前に述べたように、これは幾何学を装った微積分にほかならない。
この方法を使ってまず、引力の逆2乗則がケプラーの惑星運動の法則と等価であることが証明されている。