Newton's notation for Calculus
『図説 世界を変えた100の文書(ドキュメント):易経からウィキリークスまで』 スコット・クリスチャンソン/著、松田和也/訳 創元社 2018年発行
アイザック・ニュートン文書 (1660年代-1727年) より
歴史上最大の影響力を持った科学者が、世界最大の貴重かつ独創的な学術的手記の集成を遺した。だが何世紀もの間、そのほんの一部しか目にすることを許されていなかった。特定の主題に関するニュートンの非正統的な考えのためである。
サー・アイザック・ニュートン(1642 - 1727)は人類史上に屹立する啓蒙思想の偉大な科学者・数学者・自然哲学者である。最も有名なのは万有引力の数学的説明であるが、微積分法、古典力学、光学、色彩学、その他無数の領域における業績で万人の畏敬を集めている。ニュートンに帰せられる重要な発見と発明はあまりにも多いがゆえに、彼はおそらく科学史上最高の学者と見做されている。だが彼のあまりにも知られていない文書の多くは、彼の業績を紛糾させかねない。実に奇妙な主題に対する研究である。
アイザック・ニュートン文書の物語は多くの点で興味深い。ニュートンは大量の手稿、書簡、その他の文書の山を遺したが、それらは総計1000万語に及ぶと見積もられている。よく知られた彼の科学と数学における天才はかつても今も高く賞賛されている。だが彼の文書庫の大きな部分を占める錬金術、神学、編年学の項は何世紀もの間、表沙汰にされることはなかった。
その文書を見ることを許された人々の一部は、ニュートンが非正統的な分野に幅広く興味を抱いていたことを知ると、失望して去った。たとえば彼の弁論術的な聖書分析は、その「異端的」宗教観念――たとえば三位一体の否定――の追求と相俟って、多くの敬虔な信者を驚倒させた。そして錬金術を始めとする「奇妙な」概念への傾倒は、彼の科学的判断にまで疑問を抱かせた。その結果、ニュートンの膨大な文書足跡の幅広さは何世紀もの間、政治的とも言える理由で、気難しいヴィクトリア時代を通じて禁断の領域とされてきた。とある慧眼の歴史家は、ニュートンの純然たる数学的手記に気まずい神学的成分が混じっていることに気づいて驚いたが、それはおそらくニュートンの天才の学識的な本質を評価してのことではない。「私は仮説を立てない」と彼は言う、「というのは、現象から導かれぬものは仮説と呼ばれねばならないからである。そして仮説は、形而上的なものであれ形而下的なものであれ、穏在的なものであれ力学的なものであれ、実験哲学その場所を持つことはできない」。
ニュートンはケンブリッジ大学と深い関わりを持っていた。かつてはそこで学び、後には同大学のルーカス数学講座の教授となった。ゆえに彼の数学・科学手稿の多くが彼の親族によって1872年にケンブリッジ大学図書館に遺贈されたのは驚くべきことではない。
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多年に亘ってニュートン文書を取り巻いていた臆病さと検閲は、デジタル時代を迎えて変化しつつあるようである。古典的なニュートンの業績の膨大なアーカイブが、ケンブリッジ大学大学によってネット上にポストされている。もうひとつのウェブ上のイニシアティブである、サセックス大学を基礎とする「ニュートン・プロジェクト」は、ニュートンのすべての文書の完全なオンライン版の公開を目的としている。これまでのところ、このプロジェクトは640万語ほどアップロードした。また同プロジェクトは彼の最も需要なラテン語テキストの翻訳も手がけている。ニュートン文書は拡大を続けている。今や読者は、歴史上、最も飛び抜けた精神の全容を理解することができるのだ。