じじぃの「科学・芸術_03_ニュートンと重力」

数学ミステリー白熱教室(最終回)第4回 数学と物理学 驚異のつながり 動画 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x3himsy
Secret Life of Isaac Newton (HD) - New Full Documentary 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YPRV1h3CGQk

数学ミステリー白熱教室 第4回「数学と物理学 驚異のつながり」 2015年12月4日 NHK Eテレ
【講師】エドワード・フレンケル(カリフォルニア大学バークレー校教授)
抽象的な数学を突き詰めれば、やがてこの宇宙の法則を次々と解明することに繋がるとも考えられるのだ。
それにしてもなぜ、抽象世界を描くはずの純粋数学が、現実を記述する物理学と深いつながりを持つのか。
今回、特に話をしたいのは、量子物理学とのつながりだ。
数学とは全く異なる、物理学の世界ともつながりがありうる。
      ・
最後に伝えたい言葉がある。
アイザック・ニュートンの言葉だ。
 私は浜辺で遊ぶ子どものようだった。
 浜辺ですべすべした小石や美しい貝殻を拾って喜んでいた。
 しかし、私の目の前には真理の大海原が発見されることなく広がっていたのだ。
https://www.nhk.or.jp/school-blog/300/230993.html
『光と重力 ニュートンアインシュタインが考えたこと 一般相対性理論とは何か』 小山慶太 ブルーバックス 2015年発行
重力――統一への指向 (一部抜粋しています)
ニュートンは、神は宇宙空間に実態として遍(あまね)く存在すると明言している。
今日、物理の教科書には、『プリンキピア』から抽出された重力の法則や運動法則、またそれらを使ったケプラーの法則の証明など力学の基礎的内容が、現代の数学表記に翻案されて必ず載っている。しかし、ニュートンの神への言及は時代が流れるうち、いつしか削ぎ落とされ、いま、それを物理学書の中に見ることはまずない。
ニュートンの没後、力学の進歩とともに、神の存在は徐々にその影が薄くなり、物理学からは姿を消してしまったわけであるが、『プリンキピア』においてはまだ、力学は神の掌(たなごころ)の中にあったのである。
こうしたニュートンの頭の中にあった重力と神のかかわりを考えるとき思い浮かぶのが、当時、巻き起こった、重力をめぐるやっかいな論争である。その論点を要約すると、重力の原因についてニュートンは何も説明していないではないかという批判が寄せられたのである。
重力がなぜ質量に比例し、距離の二乗に逆比例するのか。そして、そもそも、空虚で広大な空間を重力がどうして伝わるのかを、まずはきちんと説明すべきであるというわけである。原因不明の力を勝手に仮定して天体の運動を論じるのでは、神秘主義に通じるとニュートンは攻撃された。
これに対し、ニュートンはある意味、開き直りともとれる見解を「一般注」に次のように示している。
天空から地上まで、運動の諸現象を重力によって説明することができた。しかし、重力の諸性質の原因を発見することはできなかった。それでも、重力が『プリンキピア』で述べてきた法則に従って作用するとして、天体や地上のあらゆる運動を記述するのに役立つのであれば、ひとまずは、それで十分であろうというのである。
要するに、ニュートンは重力がなぜ働くのかという究極の原因を棚上げし、それを神に託したわけである。
      ・
アインシュタイン一般相対性理論によって与えられる、重力場内での質点の運動方程式を用いて計算を行い、近日点の移動を惑星の周期、楕円軌道の長軸半径、離心率で表わした指揮を導出している。そこから、水星の場合、ニュートン力学にもとづく計算よりも、近日点は軌道運動の方向に100年で43秒前進するという結論が求められたのである。アインシュタイン相対性理論は観測と完全に一致すると、高らかに宣言している。
ヴァルカンが幻に終わり、ルヴェリエがそれに託した説明が相対性理論によって成されたことは新旧理論の交代を象徴する出来事となった。
ところで、重力場という言葉がすでに何回も登場しているが、何かある物理的な作用が働く空間を一般に「場」と呼んでいる。
たとえば、電荷や磁石を置いたとき、それに対し引力あるいは反発力が働く空間が電磁場になる。場には色も形も模様も目印となるものは何もついていないので、そのままでは見えないが、それがもつ作用を引き出す操作を行うことにより、その存在が浮かび上がってくるわけである。
同様に、質量のある物体をそこに置くと引力が働く空間が重力場になる。リンゴの落下も惑星のケプラー運動も、それぞれの現象を通し、重力場の実在を表している。
つまり、場はそれに反応する対象に対し、こうした影響を行使できる潜在能力(ポテンシャル)を有しているわけである。その能力が空間全域に広がっていることになる。力の作用に関して場という概念が導入されたのは、電磁気学が発展する19世紀半ばのことであった。
本章の前半で、ニュートンが重力の究極原因は何かと追求されたとき、それを宇宙に偏在する神に託したという話を紹介した。これと関連し、場がポテンシャルを付与され、連続的に広がる物理的物体として捉えられるようになると、リンゴにしても惑星にしても、それらが重力を感じるのは地球なり太陽なりという力の源との直接的なかかわりではなく、空間に偏在する場(物体を包み込む環境)との接触によるものとイメージされるようになった。
ニュートンが『プリンキピア』の中で夢想した神は、かくして場に置き換わったのである。