じじぃの「科学・芸術_969_中国・陰陽五行」

陰陽道とは なにか

2016年12月25日 天徳・地徳・人徳 ~ 気になった時事 & Dのサンクチュアリ
陰陽道とは何か。その起源は紀元前二千年の古代中国にまでさかのぼる。
日々刻々と移り変わる自然の脅威にさらされていた人々にとって、その変化を予測することは、生命維持に直結する最大の関心事であった。やがて人々は天地運行の中に神を認め、神と一体化することによりその答えを得ようとする。シャーマニズムの誕生である。シャーマンは「蜥易(せきえき)」すなわちトカゲ、ヤモリ等の爬虫類を駆使し、雨乞い等の宗教儀礼を行い、占術によって神意を探った。しかし、これらは余りにも断片的であり、非論理的であった。
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『中国の歴史を知るための60章』

並木頼壽、杉山文彦/編著 赤石書店 2011年発行

陰陽五行 東アジア伝統の宇宙観 より

陰陽五行というと、いまではその言葉は知っていても、その中身を知っていると自信をもっていえる人は、そう多くはないであろう。しかし、かつては陰陽五行といえば、中国のみならず朝鮮半島、日本、ヴェトナムなど東アジア一帯の人びとが、自然界であると人間界であるとを問わず要するにわれわれを取り巻く情況を理解するのに用いた思考の枠組みであった。そのはじまりは古く春秋戦国時代であるとされ、諸子百家のなかには陰陽家といってこれを専門とする者もいたが、彼らのみでなくより広くほかの思想家たちにも共有されたものであった。また、陰陽と五行とはもともと別であったとされるが、漢代までには合体したといわれる。
その気になってみるとわれわれを取り巻く諸現象は、そのうちに互いに対立する一対を含んでいるということがみえてくる。世界は天と地からなり、人類は男と女、1日は昼と夜、人は生まれて死ぬ、1年は春から夏にかけて暑くなり秋から冬にかけて寒くなるなど、これらが陰陽に配当される。(略)天の陽に対して地は陰であるが、地のなかにも陰陽が配当される。たとえば山は南麓が陽で北麓が陰となる。河は反対に北岸が陽で南岸が陰である。ちなみに、中国の地図をみると洛陽、瀋陽、漢陽、瀏陽など陽のつく地名が目につくが、それはこれらの都市が河の北岸に位置していることを示している。少数ながら江陰、淮陰のように陰のつく地名もある。同様に、男女として対比すると陽とされる男のなかにも陰陽が配当されるし、陰である女のなかにも陰陽が配当されている。
この陰陽の運動する世界は、それ自身「楽」であり、「善」なるものと考えられている。冬の寒さや夏の暑さは苦であるが、それなくしては麗(うらら)らかな春も爽(さわ)やかな秋も訪れない。したがって、寒暑の苦も含めて四季の循環は全体として「楽」であり「善」である。「善」はそのうちに善悪を含むのである。陰の気が過剰に作用すれば厳冬になり不足すれば暖冬となり、いずれも四季の循環に変調をきたす。これが「苦」であり「悪」である。「苦悪」は「善楽」の過剰もしくは不足、陰陽世界では「悪」は「善」の乱れとされる。冷酷は愛情の不足であるが、過剰な愛も無分別な溺愛(できあい)となって他者を苦しめ自らも苦しむ。
ところで陰陽といえば、『易(えき)』である。『易』は『周易』ともいわれ、また儒教の経典のひとつであることから『易経』ともよばれる。伝説によれば易は、まず伏義(ふつき)が乾(一)・坤(八)・震(四)・離(三)・巽(五)・兌(二)・坎(六)・艮(七)の八卦(はっか)を画し、次いで周の文王がその八卦を重ね合わせて六十四卦とした。
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陰陽が物質的性格をほとんどもたないのに対して、五行(ごぎょう)のほうは木・火・土・金・水と、こちらは明らかに物質から出発している。古代中国の人びとは、万物の根源を人が生きてゆくうえに欠かせない木火土金水の5つの物質に求めた。しかし、これも五行という語が示すように象徴的意味合いを強めてゆき、方位、季節、色彩、音律、動物、さらには人の身体機能の各所に配当され、漢方医学などにも用いられた。たとえば、
木行は、樹木の生長する姿から、季節は春、方位は東、色は青が配当され、音律は角、象徴的動物である五神(五獣)では青龍が配当される。身体機能にかんしては、五臓は肝、感覚は色(視覚)、味覚は酸、感情は喜がそれぞれ配当される。
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五行も陰陽と同様に固定したものではなく、推移し循環する。陰陽説と五行説が統合されると、五行は陰陽の働きによって生まれ、また推移するものとされるが、その推移・循環の仕方については、木が火を生み火が土を生むというふうに、木火土金水の順で生み出されてゆく相生説(そうしょうせつ)や、木が土に剋(か)ち土は水に剋というふうに、土木金火水の順で前者を克服しながら循環する相剋説など種々の説がある。戦国末期の思想家鄒衍(すうえん)は五徳終始説(ごとくしゅうしせつ)をとなえ土木金火水の順で徳が循環するとした。これにより王朝交代を五徳終始で説明することもされた。たとえば秦の始皇帝は周を火徳としみずからを水徳として、秦の色を黒とした。