じじぃの「科学・芸術_960_アイルランド・ジャガイモ飢饉」

The Irish Potato Famine (1845-1852)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=M8Rbj7H0eX4

Irish Potato Famine

アイルランドを知るための70章』

海老島均、山下理恵子/編著 赤石書店 2004年発行

人口激減の引き金 ジャガイモ飢饉 より

1845年後半にアイルランドではジャガイモの「胴枯れ病」が発生し、アイルランド各地でジャガイモの凶作をもたらした。その結果、大飢饉が起こり、アイルランドの人口を大幅に減少させるなど、アイルランドの社会・経済に大きな影響を与えたのである。
ジャガイモは新大陸からスペインを経由して1590年頃アイルランドにもたらされたといわれ、オート麦などの穀類の代替物として重要となった。穀物栽培に適さない土壌でも栽培が可能であったので、とくにアイルランド西部の土壌の悪い地域では貴重な栽培物となった。大飢饉の影響がもっとも深刻であったのは、この西部地域である。アイルランドで最初に農業統計がとられたのは1847年だったため、大飢饉食前の農業の状態は推定するしかないが、耕地の約3分の2がジャガイモであったといわれている。
ジャガイモの胴枯れ病がアイルランドではじめて新聞に報じられたのは、1845年9月のことであった。米国ではすでに1843年夏に胴枯れ病が報道されていたが、この胴枯れ病がヨーロッパ大陸や英国を経由してアイルランドに到達したのである。英国では1845年8月までに胴枯れ病が北部を覗く全域にみられるようになった。
だが、英国ではジャガイモの凶作が飢饉に発展しなかった。というのは、英国ではジャガイモが主食でなかったからである。同様にアイルランド中産階級以上の家庭では、ジャガイモだけでなく、穀類や肉も食べられていたので、ジャガイモの凶作は中産階級以上では深刻な問題とはならなかった。
一方、アイルランドの下層階級の食事はジャガイモが中心であり、彼らはジャガイモの不作の影響をもっと被った。農村の下層階級はジャガイモを自給自足しており、市場で購買する必要がなかったのだが、大凶作の結果、購買しなければならなくなった。1846年にはジャガイモの価格が前年度の約4倍になり、彼らの窮状に拍車をかけた。
大飢饉に関する人口学的側面の研究は比較的すすんでいる。アイルランドの人口は、1841年の調査では約820万人。1951年のものでは約680万人とされる。この数値と、大飢饉が存在しなかったときのカウンター・ファクチュアル・モデル(反事実仮定法モデル)に基づく推定によると、約100万人が死亡したとされ、移民による人口の減少は約120万人と推定されている。もっとも死亡率が高かったのはコナクト地方で、とくにスライゴー、ゴールウェイ、メイヨーの各カウンティである。反対に死亡率が低かったのは、レンスター地方東部とアルスター地方東北部の豊かな地域であった。
     ・
大飢饉の救済にあたったのはロバート・ピールの保守党政府(1841~46年)と、それにつづくジョン。ラッセルの自由党政府(1846~52年)である。ピールはジャガイモ不足の報告を受けると、代替食糧としてトウモロコシ粉の緊急輸入を決定した。輸入されたトウモロコシ粉は、アイルランド各地に設けられた食糧貯蔵所において原価で販売された。無料で配給されなかったのは、当時の英国で支配的だった、国家が市場に介入することを否定する自由放任主義に基づいていたからである。
     ・
英国政府が大飢饉に救済に費やした費用は、おもに貸付金というかたちで約1000万ポンドに及んだ。この額は当時の連合王国の国民総生産のわずか0.3パーセントにすぎず、クリミア戦争(1853~56年)の費用の2割であった。この額が多いのか、少ないのかは議論の分かれるところであろう。アイルランド自身も救貧税の徴収により700万ポンド投入しており、各国政府の立場はあくまでも大飢饉はアイルランド人によって解決されなければならないというものであった。